日本人がこよなく愛する「麺料理」。
一年前、その発祥の地とされる中国の四川省、広東省で男達が麺を食べ倒した。
そして今年も、麺のルーツを求め、無類の麺好き二人が飛んだ!
長瀬は、1日3食、麺が当たり前の食文化、中国北部の町、山西省、太一は、独自の進化を遂げたソウルフード、冷麺を味わうべく本場韓国へ。
「麺料理」は、西から4000年前に小麦、2000年前には、製粉技術が山西省あたりに伝わり、小麦食は飛躍的に発展。
その最たるものが、消化もよく食べやすい麺食とその製麺法だった。
小麦を使った製麺技術は、後に、東の朝鮮半島へと渡るも、小麦が育ちにくかった地では、そばと緑豆のでんぷんを代用し、冷麺が誕生。
そんなアジア 二カ国麺探し、そのルーツとともに味わう旅!

山西省中部、世界遺産「平遥古城(へいようこじょう)」で、まず長瀬が食べた1杯目は、麻辣(マーラー)仕立ての山西省名物“刀削面(ダオシャオミェン)"。
くの字に曲がった鉄の板で削った麺を直接湯の中に入れ、茹で揚げる。
かつて、刀狩りを受けた山西省の庶民が、それでも麺を作って食べたいと生み出した麺。
さらに、もう一品、名前もそのまま、猫の耳たぶ“猫耳朶面(マオアルドゥオミェン)"。
1cm角に切った麺生地を、親指の腹でくるりと押し延ばして作る麺。
長瀬「麺の形を変えたりして、歯ごたえで楽しんでるんだね」

と、麺料理を探していた長瀬に声を掛けてきたのは、
平遥古城で観光客を乗せる三輪車のドライバーをしている王さん。
平遥古城内にあるご自宅で、麺料理をご馳走してくれるとのこと。
王さん一家は、毎日3食麺料理を食べているという。
早速、家の台所を案内して頂くと、大きな壺の中には小麦粉が常備。
そして、生地を作って、麺打ちは専用の押出機を使う。
製麺機「河漏床(ホーラオチュアン)」は、木製の凹凸の間に生地を挟み、裏に空いた小さな穴から押し出す、山西省の家庭道具。
唐代、手軽に細く長い麺が作れるようにと考え出された。