●さよなら、ココ
様々な企画で個性的な自分をさらけ出し、その存在を印象付けた鉄骨TOKIQの長瀬ことココ・ソー29歳。12月14日、ココは新たなる自分を見つける為、楽しかった日本での生活に終止符を打ち、アメリカへ旅立って行った。
1999年12月10日。鉄骨!DASH!!の収録スタジオ。「今日は永久保存版!! 3倍で撮るなよ!」司会のリーダーの第一声は、今回の鉄骨!DASH!!の収録が特別なものであることを意味していた。
それは収録前から始まっていた。楽屋で一人妙に明るく振る舞うココ。対照的に、彼にどう接したらよいのか戸惑う他のメンバー。
実は事前にココからTOKIQを卒業して5日後には日本を離れ、アメリカへ行く事を聞かされていたのである。
そして収録本番。半生を描いたVTRが再生されると同時にココの表情が固くなった。
1970年7月23日。ミャンマーのヤンゴン郊外で産声をあげたココ・ソー。父は軍のトレーナー、母は小さな雑貨屋を営む、ごく普通の家庭の末っ子の3男坊として、元気に育った。
しかし、政情不安なミャンマー。ココの成長とともに国の情勢は著しく変化していった。1988年、社会主義の行き詰まりから、スー・チー女史指導のもと、全国的な民主化運動が活発化。この時ココは18歳。彼にとってこの運動は極めて身近な事だった。2番目の兄が、この活発な運動のリーダー的な存在だったのである。一方の父は、軍に勤める身。親子でありながら敵対する父と兄の間に置かれたココ。家は崩壊し、ココは一つの決断を下した。「小さな頃からの憧れの国、日本へ行きたい。」
1989年、ココは夢を抱えて日本へやってきた。当然、言葉の壁がココに大きくのしかかる。何をするにも、まずは語学。日本語を学びながらバイトをする厳しい生活がしばらく続いた。そんな中でもココは、持ち前のガッツと笑顔、そして前向きな姿勢を忘れなかった。いつのまにか彼の周りには大勢の仲間ができた。日本での生活がうまく流れ始めたそんな時、大きなチャンスも手に入れた。そう、木更津ケーブルテレビの「鉄骨!DASH!!」にTOKIQ長瀬として参加。
全てが充実し、楽しく過ぎていった日々。そこへ、突然の訃報が届いた。心の支えになっていた父が癌で他界。
思いもしなかった父の死にココはもう一度自分自身を見つめなおした。30歳という節目を迎える自分がすべきこととは何か‥‥。ココは次なる目標を定めた。人として大きくありたい。アメリカに行って語学を学び、そしていずれ国に戻り若者たちに広い世界を知ってもらいたい‥‥。
食い入るようにモニターを見るココ。故郷ミャンマーそして、日本での生活の映像が流れて、ココの目に一掃の涙があふれた。VTRが終わっても、しばらくは誰も話そうとはしなかった。というより、他のメンバーも初めて明かされるココの素性に心を打たれ、収録中だということを忘れて泣いていた。
そして収録は終了。「みんなで見送りに行くからな!」温かい言葉に包まれて、ココは一人ずつ握手を交わし深々と頭を下げ、最後の収録スタジオの現場をあとにした。日本での最後の思い出に鉄骨なりのやり方で、ココを見送りたい。
12月14日、この企画が実行に移された。
●成田空港まで300歩でココを見送りに行けるか?
ココが旅立つ日1999年12月14日。「鉄骨!DASH!!」なりに考えた、ココの見送り企画‥‥。「成田空港まで300歩でココを見送りに行けるか!!」がSTARTする。
START地点は、もちろん木更津ケーブルテレビの前。GOALは、ココがいる成田空港4F出発ロビー。一斉にスタート!!
勢いよく駆け出す松岡軍団に対し、いきなりコケる達也。
地元4丁目の千葉さんのリアカーに乗せてもらい、歩数を節約する太一。すでに勝利を確信か?クラリネットで「ゴッドファーザー」を奏でながらの走行。のどかに最寄りのバス停を目指す。
太一が乗ったバスを追いかけコケるリーダー。そこには有刺鉄線!! 危うく血だらけになるところだった。
スタートから1時間。多少の問題はあったものの全員無事JR木更津駅に到着! 目指すは成田空港!! 若干他のメンバーより遅れていた太一は、JR千葉駅を降りて高速バスで一気に時間と歩数を稼ぐ作戦に出た。一方、成田空港駅の手前、成田駅でなぜか電車を降りてしまった松岡軍団。何か秘策があるのかと思えば‥‥3号がただバスに乗りたいだけだった。単純な理由でルートが決まる。
その頃リーダー・達也組は成田空港内に入っていた。が、3Fエレベーター付近で達也、300歩を使い切り戦線離脱!リーダーに託す。
一方、バス乗車中、おしっこがしたくなった1号。2号、3号の制止にも耳を貸さずバスを降り、近くのトイレに駆け込む。
未だココを見つけられないリーダー。がついに‥‥感動のゴール!!
その後、太一、達也も見送りに駆けつけた。が、松岡軍団は、いつの間にやら規定の300歩を大きく越えてリタイヤ。
こうしてココはアメリカへと旅立っていった。その後のココについては、追って報告。
|