東京での生活にすっかり慣れた北登は、友達もたくさんでき、一緒に散歩をしたり、遊んだりとDASH村とは違った楽しみを満喫していた。
TOKIOと明雄さんは、離れ離れの暮らしになったが、時折、顔を合わせており、会うと北登は、福島DASH村にいた時の様にご飯をねだったり、たくさん撫でてもらったりと思いっきり甘えていた。
16歳の誕生日には、『北登を型どったおいものケーキ』と『似顔絵入りの布団』のプレゼントももらった。
そして、新たに新宿に出来たTOKIOのベース基地にも遊びに行った。
そこで、TOKIOは福島DASH村の様に、また思いっきり遊べる場所を作ると約束し、新宿の廃材を利用して作った『木のレンガ』で土台を作り、そこに新宿の池の底土に昆布を混ぜた『TOKIOオリジナルの土』を入れ、オリジナルの畑を完成させ、明雄さんから引き継いだカブとほうれん草のタネを撒いた。
大都会の真ん中でカブとほうれん草は、順調に生長したが、それと反比例するかの様に、北登の体力は徐々に低下。福島DASH村で味わっていた収穫の喜びを再び一緒に味わう前、2月17日、北登は静かに息を引き取った。
16歳5か月と大往生だった北登。
たくさんの応募の中から決められた北登という名前は、「雪のイメージ」と「方角の基準である北という目標を目指して登っていく」という意味から、雪の中でも元気に飛び跳ね、健やかに成長していってほしいという願いが込められている。
その名前のように、北登は春夏秋冬、元気いっぱいに駆け回り、180度変わった環境の中でも健やかに暮らした。TOKIOや明雄さん、そして、多くの仲間とともに16年5か月、思いっきり駆け抜けました。 |