ここで死ぬ...そんな恐怖と闘ったアイドル
SKE48...名古屋市・栄を拠点とするアイドルグループ。
ここにある病と闘いながらステージに立っていたメンバーがいた。
2014年までおよそ6年、SKE48に所属していた佐藤聖羅。
明るく元気なキャラクター。
華やかな世界で輝いていた彼女だったが、つらい病に襲われた。
それは...パニック障害。
今はパニック症と言われる、死の不安に襲われる苦しい病だった。
佐藤は幼い頃から、活発で目立ちたがり屋。病気など無縁だった、超健康児。
そして、16歳でSKE48の1期生になり、
地元・三重県の高校に通いながら、活動を続けた。
しかし、3年ほど経った19歳の頃、体に異変が。
それは新公演のステージでの事だった。
公演での最初の見せ場、3人で前に出て歌う。
そこで信じられない事が。
なぜか自分のパートで、全く声が出なかった。
特に体調が悪いわけでもない...。一体なぜ?
次第に、不安が募るように。
もし、次も同じ事が起こったら...そのことで頭がいっぱいになってしまう。
不安を抱えたまま次の公演を迎えた佐藤。
大丈夫、と自分に言い聞かせていたが...
ステージに立つと、声が出ないどころか、口も動かなかった。
そして、得体の知れない恐怖が襲う。
1曲目が終わったところで、息ができなくなった佐藤。
心臓がバクバク動き、張り裂けそうに。「ここで死ぬ...」そう思った。
しかし、およそ10分後...症状は突然治った。
一体、自分の身に何が起こっているのか?
アイドルを突然襲った「パニック症」とは
それからというもの...佐藤は大好きだったステージが怖くなった。
次第に、「本番15分前!」そんな言葉を聞くだけで発作を起こすように。
心配するスタッフや仲間に対し、とりあえず謝ることしかできなかった。
やがてテレビ番組の撮影でも、何か指示を出されると急に不安で苦しくなり...
何もできなくなった。
さらに、仕事場に向かう時も不安に襲われるようになる。
やがて外に出る事が怖くなり、仕事以外はほとんど自宅から出られなくなった。
ついには、今までほとんど休んだことがなかった公演を休むまでに。
そんな時、かかってきた1本の電話。それが彼女の運命を変える。
電話は三重の実家からだった。
ステージを休演したことをHPで知った母が、心配で連絡をよこしたのだ。
ここですべてを話し、母と一緒に病院へ向かった佐藤。
これまでの経緯を事細かに話すと、医師は「パニック症」の疑いがあると佐藤に伝えた。
パニック症とは、ある日突然発作が起こり、その症状が繰り返されるようになる。
症状は、動悸や呼吸困難、吐き気、手足の震えなど。
脳内の一部が突然、異常に興奮し、
ノルアドレナリンという物質が過剰に分泌されてしまうことにより、発作が起こると言われている。
そして、こういった発作がまた起こるのではないかと強い不安に襲われ、
それが引き金となって、また発作を引き起こす、という悪循環に苦しむことに。
自分はここで死ぬ、と思うほど激しい動悸や呼吸困難に見舞われ、
電車やエレベーター、会議など、すぐに逃げ出せない場所に身を置くと、
発作の引き金になることが多い。
医師によると、佐藤の場合は最初に大勢の前で歌えなくなったことが、
トラウマのようになっているという。
舞台監督の一言が彼女を救う
パニック症は、"自分の気の持ちよう"だと考える人が多い。
彼女もそう思っていたので、申し訳なくて人にほとんど言えなかった。
もちろんメンバーにも言えなかった。
だが、強い不安が容赦なく襲い、発作を起こす。
そしてみんなが心配する中、時間が経つとスーッと消えていく。
そんな地獄のような日々の中、救いとなったのは劇場の舞台監督のひと言だった。
実はこの舞台監督も同じパニック症に苦しんでいたのだ。
そんな舞台監督が佐藤にこう言った。
舞台監督「頑張らなくていいんだよ。つらくなったら、いつでもステージからはけても全然OKだし、いつでも私たちがいるから」
絶対に逃げてはいけなかったはずのステージ...その言葉で少し楽になった気がした。
その後も病気と向き合いながらアイドルを続け、
発症からおよそ3年が経った頃にSKE48を卒業。
その後の症状は徐々に改善。
そんな彼女は去年、ブログで自身の病気の事を公表した。
佐藤はパニック症の付き合い方として、
1人で抱え込まず、自分にとって楽だと思える環境を作ってあげるのが一番だと語る。
彼女は現在、テレビに舞台と元気いっぱいに活動を続けている。