髪を伸ばす娘と両親の愛
今年4月、鹿児島に住む一人の女性が話題になった。
川原華唯都さん、18歳。
話題の理由は...髪の毛。なんと身長とほぼ同じ長さ。
彼女は人生で髪の毛を切ったことがないという。
測ってみると...なんとその長さは155cm以上!
一体なぜ彼女はこんなにも髪を伸ばしたのか。そこには家族の娘を思う深い愛があった。
鹿児島の私立高校に通っていた華唯都さん。
そのあまりに長い髪のせいで、普通の女の子とはかなり違った生活を送っていた。
お風呂の時は長すぎる髪を1人で洗うのは困難だったため、母親に手伝ってもらっていた。
それでも15分以上かかったという。
そして乾かすのはもっと大変で、父親に手伝ってもらっていた。
これで30分かかる。
そして朝、母にギリギリ地面につかないように三つ編みにしてもらい登校。
座ると、髪の毛が地面につくので毎回膝の上にのせるようにしていた。
さらに...髪の毛にホコリがつく、なんてこともしょっちゅうあった。
それにしても一体、なぜこんなに髪の毛を伸ばしたのか?
実は、ある病気がきっかけだった。
2000年4月、華唯都さんは川原家の長女として生まれた。
そして、まもなく母のみゆきさんが、ある異変に気付いた。
左後頭部に小指の先ほどのアザのようなものが。
それはゴツゴツしていて盛り上がっていたという。
心配になった母は近所の皮膚科へ。
すると、医師に「脂腺母斑」という新生児もしくは幼少時に見られるあざの一種だと告げられた。
あざの部分には髪の毛が生えないため、見た目が円形脱毛症のようになる。
健康的な害があるケースはほとんどないが、成長するにつれこの部分は大きくなってしまう。
ある程度大きくなったのちに手術で取り除くことを医者から勧められた。
そして、両親は心に決めた。
このアザで誰かにイジメられたりしないよう、髪の毛を伸ばし隠してあげようと。
これが華唯都さんが髪を伸ばし始めたきっかけだったのだ。
伸ばし続けた髪、ついにギネス世界記録に認定
娘のために母は毎朝、アザが見えないように髪を結んだ。
それは小学生になっても、小学校の高学年になっても。
その頃、髪の長さはすでに100cmを超えていた。
一方で、後頭部のアザは...より大きくなっていた。
この時点でようやく手術が出来るように。
この手術はアザの部分を切り取り、頭皮を引っ張り縫う方法。
簡単ではあるが、ある程度成長しないと出来ないものだった。
手術は無事成功!しかしその後もその傷跡を隠すためにも母は毎日髪を結んだ。
そして父は、伸ばし続ける髪の毛を綺麗な状態に保てるよう髪を乾かした。
いつのまにか、これが家族のルーティーンとなり、365日休むことなく続けられた。
やがて、黒く綺麗な髪の毛は華唯都さんの自慢になり、この髪を切るという発想は彼女からなくなった。
小さい頃からずっと長い髪の毛で生活していたし、
さらに両親がサポートしてくれたおかげで髪の毛に対するストレスがほぼなく、
気づけば18年間、髪の毛を切らずに来てしまった。
もちろん他の髪型への憧れはあったし、家族に髪を切ることを勧められることもあったが、
彼女がイマイチ踏み切れなかった理由はシンプルに「勿体無い」という思いがあったから。
そして、髪の毛を通して培った家族の絆はある大記録を達成する。
それはギネス世界記録!世界一髪の毛の長い10代に華唯都さんが認定されたのだ。
華唯都さんの髪の毛が褒められるということは家族が褒められるということ。
家族にとってこの上ない喜びだった!
世界一の髪の毛を切った理由とは
しかし、そんな華唯都さんも髪の毛を切る時が。
ある日、ヘアドネーションという活動に関する記事を見つけたのだ。
ヘアドネーションとは、病気や怪我などで髪の毛を失ってしまった人のために、
カツラ用の髪の毛を寄付する活動。
自分も髪の毛を伸ばし始めたきっかけは病気...。
病気や怪我で苦しんでいる人のためになるのなら...と彼女は髪の毛を切ることを決意した。
そして今年4月。
18年間、伸ばし続けた髪の毛を切るため初めて美容院の中に入った華唯都さん。
ハサミを入れるのは毎日髪の毛を乾かしてきた父・雄一さん。
ドキドキのお母さんも見守る中で、髪の毛は切られた。
彼女の提供した髪の毛は医療用のカツラとして使われるという。
こうして、華唯都さんは18年間で初めて髪を切る経験をした。
父・雄一はそんな娘の姿を見て、解放感もあるがやはり寂しさも半分あると語った。
これが髪の毛が繋いだ家族の絆の物語。