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20世紀は時に抽象芸術の時代とされ、抽象に非ざれば芸術に非ずといった時代もありましたが、しかし抽象の揺り戻しとしての具象、あるいはレアリスムの動きも活発でした。本章でいうレアリストとは特定の流派、様式を指すのではなく、20世紀絵画における具象の流れといったニュアンスですが、その最初の大きなグループがキスリング、パスキン、フジタ(no.15)などのエコール・ド・パリです。エコール・ド・パリの画家たちは、個性的かつ魅力的な子どもの絵を多数残していますが、ユダヤ系の画家が多いせいか、子どもでありながら、印象派のような天真爛漫な明るさがなく、どこか思い深げでメランコリックな表情をたたえたものが多いようです。ロシアからやってきて一世を風靡したレンピッカは絵画におけるアール・デコの代表といえます。この章のこれ以外の画家たちは、それぞれがいわば「個人商店」のような形でそれぞれの画業を展開しましたが、出品作の多くは我が子を描いたもので、モデルの年齢にバラツキはあるものの、子に寄せる親の思い、愛情が制作の動機となっている点は共通しています。
no.14 オーギュスタン・ルーアール《眠るジャン=マリー。あるいは眠る子ども第1番》no.15 レオナール・フジタ《機械化の時代》 -
オーギュスタン・ルーアールは、ドガの知人で、印象派展にも出品したアンリ・ルーアールの孫、またエルネストはアンリの息子に当る。つまり、三代にわたる画家一族で、その血統の良さは折り紙つきである。ただオーギュスタンは画風という点ではこの絵にもあるように、印象派の小刻みなタッチや色とりどりのパレットは捨て、細部描写を排した単純明快なデッサンと平塗りの色面による平明な画面を構成した。モデルの回想によると、父親はベッドの中の我が子の顔にランプをかざしてその寝顔を描いたという。ジャン=マリー・ルーアールは第二次大戦さなかの1943年生まれ、当時3歳であった。23歳の時に結婚したオーギュスタンにはこのほか、2人の子供がいたが、この後も3人の子供を様々な角度から繰り返し描いている。無心で眠る幼子を描いたこの絵は「眠る天使」と呼んでもいいような絵である。
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フジタは裸婦、パリ風俗、風景、自画像、静物、彼が好きだった猫、戦時中の戦争画、それに晩年のキリスト教的主題など、様々なタイプの絵を手がけているが、忘れてはならないのが子どもの絵である。フジタは生涯に3度結婚し、それ以外にも女性関係は多かったが、子どもには恵まれなかった。にもかかわらず、あるいはそれゆえに、孫がいてもおかしくないような年になって、にわかに子どもの絵を描き始める。フジタ自身によると、「私の数多い子どもの絵の小児は皆私の創作でモデルを写生したものではない。(・・・)彼らは本当にこの世の中に存在している子どもではない。私一人だけの子どもだ。私には子どもがない。私の絵の子どもが私の息子なり娘なりで一番愛したい子どもだ」。
彼の言うように、フジタが描くのは実在の子どもではなく、一様につぶらな瞳をした無邪気で愛らしい、しかしほとんど感情表現のない人形のような子どもたちである。それはこの「機械化の時代」にも言えるが、実際フジタは日本人形、フランス人形の膨大なコレクションを持っていた。のみならず、フジタはこれらを我が子のようにいつくしみ、一緒に寝ることもめずらしくなかったという。とすれば、これら描かれた子どもたちは、もし自分に子どもがいたら、こんな子どもたちが欲しいというフジタの願望の表れでもあった。