ヴェルサイユ宮殿
もともとはルイ13世が「狩猟の館」として建築したものですが、1682年にルイ14世がヴェルサイユに宮廷と政府の機能を移し、フランス絶対王政の象徴となりました。
1770年に当時はフランス王太子(のちのルイ16世)と結婚後、マリー・アントワネットはフランス革命までの約20年を、ここで過ごしました。ヴェルサイユ宮殿は、マリー・アントワネットにとって、人生の最も輝かしい時代を過ごした「思い出の宝石箱」とも言えます。
本展は、そのヴェルサイユ宮殿が日本で初めて《企画・監修》し、華やかな宮廷生活をしのばせる絵画や、マリー・アントワネットがヴェルサイユ宮殿で愛用した食器や家具、革命期に着用していた衣服など200点あまりを展示します。更に宮殿内にあった王妃のプライベート空間、「プチ・アパルトマン」を原寸大で再現。3つのコンテンツでその波乱の一生に迫る、マリー・アントワネット展の集大成です。
ファッションリーダー
1770年頃、華やかな盛り上がりをみせていたパリのファッション界を10代半ばで目の当たりにしたマリー・アントワネットは、最新の流行に夢中になりました。その情熱は服や靴、アクセサリーだけでなく髪型にも・・・。当時の版画には、髪の毛を高く盛り、複雑な編み込みを施したマリー・アントワネットの姿が残されています。
一方で、堅苦しい宮廷の作法を嫌ったマリー・アントワネットは、シンプルな服装を好み、公的な儀式など、必要な場合にしか正装はしませんでした。1783年に描かれた白い木綿のドレス姿の肖像画は「軽薄」などと批判を浴びました。威厳が求められる王妃としての地位と、シンプルなものを好む個人的な趣味との間で苦しんでいたのかもしれません。
原寸大再現!“プライベート空間”
ヴェルサイユ宮殿には、「プチ・アパルトマン」と呼ばれるマリー・アントワネットの“プライベート空間”があります。
結婚から8年目に生まれた待望の長女、マリー=テレーズ・シャルロットの近くで生活したいと、子供部屋の近くに浴室・図書室・居室の3室を確保したのです。室内の家具だけでなく、壁の装飾に至るまで、マリー・アントワネットの好みを色濃く反映しています。
本展では、このプライベート空間を壁の装飾なども含めて原寸大で忠実に再現。当時使われていたベッド、椅子、同時代の浴槽などとともに展示します。また、現在は残っていない図書室は、かつての設計図などをもとにバーチャルリアリティで蘇らせます。東京、六本木で、マリー・アントワネットが生きた空間を“体感”してください。
フェルセン伯爵との恋 新たな証拠
フランス王妃とスウェーデン人将校の恋。フェルセン伯爵がヴェルサイユ宮殿に現れた時、マリー・アントワネットはその美しさに衝撃を受けたと言われています。
王妃の死後200年あまり。このほど、2人の関係を示す新たな研究成果が発表されました。
2人はフランス革命勃発後も、暗号を使うなどしながら手紙を交わしていました。中には部分的に黒く塗りつぶされているものもあり、その解読が試みられてきました。
そして2016年1月、ついにその一部が明らかになりました。1792年1月4日付のマリー・アントワネットからフェルセンへの手紙の墨塗りの下から浮かび上がったのは、「あなたを狂おしいほど愛しています。一瞬たりともあなたを敬愛することをやめられません」という文字。フランス国立図書館は、「2人の秘密が明らかに」と大きく伝えました。
本展では、2人が使った暗号表の実物と、墨塗りの手紙の複製を展示します。
フランス革命 37歳の最期
展覧会の最後は、パリの歴史を専門とするカルナヴァレ美術館所蔵の作品などでマリー・アントワネットの悲劇的な末路を辿ります。ヴェルサイユ宮殿襲撃からパリへ連行、失敗に終わった「ヴァレンヌ逃亡事件」、タンプル塔での幽閉生活・・・。
形ばかりの裁判により国家反逆罪で死刑判決を受け、1793年10月16日、マリー・アントワネットは、断頭台の露と消えました。享年37歳。本展では、幽閉中に彼女が身に着けた肌着やヘアバンド、断頭台にのぼる際に脱げたとされる靴などが展示されます。
断頭台に連行される直前の様子を描いた作品には、白い部屋着で天を見上げる、威厳に満ちた王妃の姿が描かれています。マリー・アントワネットが最期に見せた毅然とした姿は、それまでの軽薄なイメージを払拭し、彼女を“歴史のヒロイン”へと昇華させたのです。