2001年9月11日、午前7時。
医療機器メーカーに勤めるトム・バーネットは、
出張先のニュージャージーから自宅のあるカリフォルニアへ帰るため
ニューアーク空港へと向かっていた。
もっと遅い便に乗る予定だったが、
少しでも早く帰って娘達に会おうと1本便を繰り上げたのだ。
しかし、その便こそ、8時発サンフランシスコ行き、 ユナイテッド93便だったのである。
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この日、93便の乗客の中には、ハイジャックを目論むテロリストが4名潜んでいた。
フロリダの飛行機訓練学校に通い操縦技術を習得していた。
午前8時、ユナイテッド航空93便は定刻どおりにゲートは離れたものの、
滑走路が混み合い、離陸許可が下りたのは午前8時42分であった。
乗員7名、テロリスト4名を含む乗客37名を乗せて、
93便はニューアーク空港を離陸した。
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その離陸から3分後の午前8時45分、
1機目の旅客機がワールドトレードセンターに激突。
同時多発テロが始まった。
さらに18分後の午前9時3分、多くの市民の目の前で、2機目の旅客機が激突した。
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そして午前9時28分、ユナイテッド93便では、
テロリストたちは持ち込んだ小型ナイフで、乗客ひとりのノドを切り裂き、
ハイジャックを開始した。
さらにコックピットに侵入し機長と副操縦士を殺害。
主犯ジアドが操縦桿をにぎり、機体を180度旋回。
航路を首都ワシントンDCに変更したのだ。
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ハイジャックされた93便の乗客たちは、
機内電話や携帯電話で地上と連絡を試みる。
そして、同時多発テロのことを知ることになるのであった。
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午前9時37分、国防総省ペンタゴンに3機目が激突。
アメリカ全土に、かつてない、強い衝撃と不安が駆けめぐった。
その事件を妻から聞かされたトム・バーネットは、
この93便のハイジャックも自爆テロであることを確信する。
機内に衝撃が走り、それはやがて深い絶望へと変わった。
自分たちは助からない...そして、もう二度と家族を会えない....
残していく人を思い、悲しみがこみ上げて来る。
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だがなんと、93便の乗客たちは、
この飛行機をテロリストから取り返すことを考え始めたのだ。
機内にあるものの中から武器としてつかえそうなものを探し、戦闘準備を整えた。
そして、重さ100キロ以上の機内食を運ぶカートを、男達が押して突撃。
乗客の突然の攻撃にうろたえるテロリスト。
遺族たちだけが聞いた、ボイスレコーダーの最後の方には、
コクピットのドアの開いた音がしたと言う。
そう、乗客たちに突入され、
目的を達することが不可能と悟ったテロリストたちは、
93便を自ら墜落させることを選んだのではないかと考えられるのだ。
そして…
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午前10時3分、ユナイテッド航空93便は、時速930キロで地表に激突。生存者ゼロ。
そこはペンシルバニア州、シャンクスビルの森の端。
首都ワシントンまで飛行機で、あと15分の距離だった。
しかし、この日ハイジャックされた4機の飛行機の中で唯一、
地上に被害者を出すことがなかったのである。
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乗客たちの勇気ある行動が、さらなる悲劇を防いだのである。
数日後、墜落現場を訪れた遺族たちを待っていたのは、
襟を正し、最敬礼で迎える30人もの地元警官たち。
それは、極限状況の中、奇跡的な精神力で、人知れぬ戦いを挑んだ
乗客たちへ捧げられた敬意の現れであった。
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