7月5日 森富美

高校時代からの親友が、50歳になりました。

誕生祝いを盛大に!と言いつつ、

日程調整だけで2か月が経ってしまって・・・

このエッセイで、お祝い写真とともに高校時代の思い出をつづろうと思っていたのに間に合いませんでした。

 

秋には私も50歳。

数字のキリの良さだけではない、特別な意味のある年齢です。

 

母が他界したのは、49歳の時でした。

今の自分が、あのときの母と同じ歳。

そして50歳は、母が迎えられなかった歳なのです。

 

母が知らない時間を生きる、ということに

少なくない不安と緊張、そしてそれよりちょっと大きい希望を感じます。

 

文庫本の字が最近読みづらいなあ、更年期ってどんな感じかなあ。

変わっていく体について、体質が似ていたかもしれない母と話ができたらよかったのにと思うこともあります。

仕事のことも、子育てのことも、この先に生まれる悩みを「あの頃の母は」と考えられないのも地図を失ったような気分です。

「不安と緊張」は、そんなこと。

 

就職活動のとき、アナウンサーとしての私をテレビで見たとき、結婚したとき、子どもが生まれたとき、

母が生きていたら、なんと言ってくれただろうとは、ずっと考えてきました。

母が我が子にできなかったことを、この先ひとつずつ重ねていくのだということが、「希望」。

 

母が逝ったとき、私は大学1年でした。息子は今、中学3年です。

子育ての面では、まだ母に追いついていません。

息子がどんな職業につき、どんな人とどんな風に生きていくことを決めるのか見守るために、

そして、自分が選んだアナウンサーという仕事を永く続けられるように、

健康第一!で50歳からの日々を過ごします。

写真は、35歳ごろの母と私。