10月9日 ペンを握る  右松健太

高校時代の恩師に、
「握手は強く握れ」と言われたことがある。
自分の意思や感謝を相手にしっかりと伝えるのと同時に、
握った手には、その人物の人となりや人生があらわれていることを知れ、と解した。
実家で交わした父との一献の後、別れ際に「ではまた」と握手をすることがあるが、
硬く分厚い父の手に、油にまみれネジを回し家族を支えた半生がしみ込んでいるように感じる。
 
私にも人並みの"これまで"が、と、先日まじまじと私の手を見つめていると、
若いころにあって、今はなくなっているものがあるのに気付いた。
 
「ペンだこ」である。
 
受験生の当時、覚えるべき英単語や歴史用語は、反故紙にびっしりと書きなぐり暗記した。
その頃、右手の中指の爪の左下に、小豆ほどのペンだこがあった。
ペン先でつついてみても、何の痛みも感じないほどの立派なペンだこは、
苦しんだ浪人時代の、ひとつの努力の証であり、勲章だったかもしれない。
  
今や、スマートフォンやパソコンで文字を書くことが多くなり、
このブログも、パソコンに向かい、カタカタとキーボードを打ち鳴らしながら書いている。
指先こそ器用に動くものの、どれ程書けど指紋が消えてしまうようなことはあるはずもなく、
ましてや覚えておきたい言葉が、かつてのように頭に残ることはない。
  
ふと思いたって、最近、心にとめておきたい言葉や文章を、ペンを握りノートに書くことにした。
  
文字を書いてみると、言葉にひそむ語感や、一文に漂う筆者の感情、
漢字一つ一つの成り立ちにも、はっと改めて気付かされることがある。
 

ノートの書き留めた幾つもの言葉が、「引き出し」の中にしまわれ、
いつか自分の口から飛び出ればと思う。
ペンだこができるほどまでとはいかないまでも、
秋の夜長にペンを握るのである。