9月10日 桝 太一

先日、ちょっとしたご縁があって、自分が卒業した小学校にお邪魔してきました。

中学校から地元を離れた学校に通っていたため、
卒業後に小学校を訪れる機会も殆どなく、20年ぶりに足を踏み入れた母校。
子供の頃と変わらず、温かく迎えて頂きました。
 
当時の担任が教頭先生になられていたり、
ブラウン管だった教室のテレビが薄型液晶になっていたりと、時の流れを節々に感じつつ...
校内を見て回っていくうち、小学校の風景がどれだけ自分の体の一部に入り込んでいるか、
大人になった今更になり気付かされました。
 
低学年のクラスの廊下にずらっと貼られているのは、
一生懸命書きあげた筆文字が躍る半紙たち。
そういえば、今は当たり前のように書いている漢字の書き方を教えてもらったのは、この場所だった。
 
図書室に並ぶ、読み切れないほどの伝記や図鑑。
そういえば、憧れのファーブルやエジソンの人生に初めて触れたのは、この部屋だった。
 
音楽室に入ってみると、目に飛び込んでくる肖像画。
夕方に一人で入ると、音楽家たちがこっちを睨んでいるようで目を合わせられなかった。
それなのに、「ベートーベン」と聞いてすぐ頭に浮かんでくるのは、いまだにその時の肖像画の顔だ。
 
物心ついた中学・高校で学ぶことの、その前の話。
 
気付かない内に自分にとって"当たり前"になっていた、知識や習慣、風景。
その全ての原点が、実は小学校にあったのだと、感じずにはいられませんでした。
まさに、この場所こそが「学び舎」だったんだな、と。
 
帰りぎわ、母校の佇まいを眺めていたら、
なんだか校舎そのものが一人の先生の姿に見えてくるような気がしました。

"恩師"への感謝の気持ち、これからも忘れずに日々を過ごしていきたいものです。