1月24日 佐藤義朗

最近帰宅すると、毎日コツコツとソチ五輪取材に向けた荷造りをしています。

およそ1か月の長丁場
ロシア西南端の街・ソチは、黒海に面した亜熱帯と高山帯が共存するリゾートです。
「気温は冬の東京と同じくらい」とは聞くものの、具体的な想像もできず、必要以上に多くのジャケットやフリースを部屋の中に積み重ねています。
何事も追い込まれないとできない性格。きっと出発当日の朝まで悪戦苦闘するんだろうなぁ。

今回、ロンドン五輪に続き、二度目の現地キャスターを務めます。
2年前と変わらぬ興奮と期待。
しかし、学生時代にスキー部でアルペンスキーに没頭していた自分にとって、やはり冬季五輪は特別であり格別な存在です。

冬季五輪で思い出すシーンと言えば、2006年トリノ五輪。
アルペンスキー男子回転。一本目をメダル圏内の3位で終えた日本代表・皆川賢太郎選手は、この種目では半世紀ぶりとなるメダルに向け二本目のスタートに立ちました。
大学3年生だった私は、新潟への遠征の出発直前、深夜にテレビを食い入るように見ていましたが、その時の実況アナウンサーの言葉を、いまでも鮮明に覚えています。

「歴史を作るか、皆川」

淡々と発せられたシンプルなひと言は、日本スキー界の状況やメダルへの希望を的確に表現していました。

しかし、結果はメダルまで0.03秒の4位。快挙まであと一歩、いや半歩でした。
社会人になり、その皆川選手とお話する機会を頂いたので、「トリノの二本目のスタート台では、どんなことを考えていたんですか?」と質問をぶつけてみました。

すると・・・・

「本当に1分後に歴史を作ってやろうと思っていたよ」と。

自分にとっては答え合わせのような瞬間でした。
そのトリノからは8年、今度は新たな歴史が書き加えられる瞬間を伝える側として、ソチの雪の上に立ちます。

大会の成功と、全選手の健闘を祈りつつ、
自宅に積み重ねた出番を待つ荷物と一緒に、たくさんの期待感を詰め込んでソチに向かいたいと思います。

※写真は学生時代、最後のインカレのレースを終えた時。この頃の自分にも誇れるような仕事をしてきます。