3月28日 中野 謙吾

入社19年目の秋、アナウンサーとして大きな決断をしました。

それは「箱根駅伝実況挑戦」です。

 

日本テレビの年末年始のスポーツ実況業務は2つに分かれます。

「箱根駅伝」

「高校サッカー選手権」

どちらも日本テレビが大切にしてきた歴史あるコンテンツです。

 

入社する前は実家の炬燵で家族と共に箱根を見て、そのあと高校サッカーを見ていた自分がいました。

 

私は入社以来高校サッカーに育ててもらいました。

取材の基本、実況の基本、仲間と共に何かを成し遂げる素晴らしさ。

12月は毎年日本全国の高校に取材に行き、多くの指導者から話を聞くことができ、素晴らしい人間関係も築くことが出来ました。本当に感謝しています。

その高校サッカーを離れ、41歳の秋、箱根駅伝に移ろうと思ったのは、実況アナウンサーとしてもっと成長したいと強く思ったからです。

慣れた環境、築き上げた人間関係、喋り慣れたフレーズ、それらを一度リセットしてもう一度ゼロから挑戦したい。

 

寿司職人だった祖父が昔からよく言っていた言葉があります。

「職人は10年やってようやく人前に料理を出すことができ、20年やって一流と言われるようになる。そこから先、自分を磨き続けた人間だけが超一流になれる」

当時、小学生だった私はその意味がよくわかっていませんでしたが、今はその言葉の意味がわかります。

 

20年目からの10年。実況アナウンサーとしての自分をどこまで磨くことが出来るのか。

高校サッカーへの感謝を忘れず、箱根駅伝という新たな「山」をここから登っていきたいと思います。