アンタッチャブル柴田英嗣が語る、相方・山崎弘也との関係性とコンビ復活
6月12日(金)放送の『アナザースカイⅡ』では、お笑いコンビ・アンタッチャブル、柴田英嗣の沖縄県・西表島の旅に密着。
1994年、コンビ結成秘話
アンタッチャブルがコンビを結成したのは、1994年。相方の山崎弘也とは、柴田が静岡の高校を卒業し上京した後、人力舎の養成所で出会ったという。元々知り合いだった訳ではなく、「養成所の中で、組んだらどうだと紹介されて組んだのがスタート」と柴田は結成当時を振り返る。
しかし、二人を結ぶ共通項はあった。それが、高田純次だ。
柴田がお笑いを目指したのは、「元々高田純次さんが好きだった」ことがきっかけだったという。「高田純次さんが万が一芸能界を辞めた時、お笑い界が終わってしまうんじゃないかなと思って、第二の高田純次さんを目指してこの世界に入った」そう。そして、そんな中「(コンビを)組んだ奴がより高田純次さん(のような人)だった」のが相方との縁だった。
偶然か必然か、「より高田純次さんみたいな奴のサポート役になっちゃった」「俺がなりたかったんですよ、本当はね」と笑いを誘った。
絶頂期からの突然の休業
結成から10年が経った2004年、アンタッチャブルは『M-1グランプリ』で優勝。お笑い界の頂点に立った。しかし、「必死だったのかどうかは定かじゃない」と柴田は言う。
というのも、当時の二人は純粋にお笑いを楽しんでいたのだという。「不真面目ってわけじゃないですけど、優勝するためのネタみたいなので作ったことは無い」そうで、「僕たちも楽しんで、ついでにお客さんも楽しんでくれませんか」「万が一お客さんが楽しくないんだったら、せめて僕らだけ楽しくてもいいですかね」というスタンスで臨んでいたと、二人のお笑いとの向き合い方を明かした。
その後も順調にお笑いコンビとして階段を登っていた二人だが、前年の番組出演が200本を超えた2010年、女性トラブルを抱えた柴田は突然休業を決断。相方を残し、約1年もの間、芸能界から足を遠ざけた。
10年ぶりのコンビ復活
2011年に芸能界に復帰した柴田。しかし、コンビではなく独りでの再開だった。
その背景には、「ある程度、以前に仕事していたぐらいの量は自分の力で取り返さなきゃ」という思いがあったそう。仕事のない時期には大好きな動物の知識を蓄え、徐々に動物に関する仕事のオファーを増やしていったという柴田。取り返すには「4、5年ぐらいはかかりました」と当時を振り返った。
独りでの仕事が安定してからも、柴田はなかなかコンビ活動を再開しなかった。「コンビの活動をしたくないってことではなくて、この独りの仕事をとりあえずみんなに認めてもらえるように頑張ろうという期間がまた何年かあった」という。
しかし「(山崎が)“アンタッチャブルを残していつかやろう”と思ってくれていたのはホッとした部分ではあります」「コンビを組んだ時からずっと感謝はあります」と素直な心境を語った。
そうして、2019年11月に約10年ぶりにアンタッチャブルはコンビ活動を再開。「芸人のみんなの方が喜んでくれました」「(芸人同士は)ライバルなんて淘汰された方がいいんですけど、それはすごく嬉しかったですね」と復活に対する周囲の反応を噛み締めた。
「久しぶりに山崎さんの肩口を叩いた時、やっぱ感動しました」と柴田。今後は、「二人での立ち位置がもっと増えるようにこれから動いていこうねっていうのは話している」という。
「それが冠(番組)でも冠(番組)じゃないにしても、二人での姿を、二人の絡み・やりとりを見せられるようにしていければいいな」と今後のコンビ活動に前向きな姿勢を見せた。
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