《野外での婚礼の踊り》ピーテル・ブリューゲル2世 1610年頃 Private Collection

Special スペシャル

魅惑のベルギー、ブリューゲル紀行

4、ピーテル1世の子供たち

1569年、ピーテル1世はブリュッセルで病死しました。彼の生年は不明ですが、地図制作者で友人だったアブラハム・オルテリウスがその死を「人生の開花期に逝ってしまった」と悼んでいるところをみると、おそらく40代前半で亡くなったのではないかと考えられます。
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ブリュッセル、ノートルダム・ド・ラ・シャペル聖堂内の礼拝堂。
向かって右の壁面に、次男のヤンがつくった両親の墓碑がある
©神戸シュン/NTV
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ピーテル・ブリューゲル2世 《野外での婚礼の踊り》 1610年頃 Private Collaction
父のピーテル1世が描いて人気を得た農民の祝宴のテーマを、息子のピーテル2世も繰り返し描いた
この時、長男のピーテル2世は5歳頃、次男のヤン1世にいたってはわずか1歳頃。当然、偉大な父の薫陶を受けることはありませんでしたが、代りにピーテル1世の義理の母であるマイケン・ヴェルフルストが、幼い孫たちに絵の手ほどきをしたと思われます。彼女は当時の書物に、最も優れた女性芸術家の1人、と書かれるほど画家として高い評価を得ていました。
その後、画家の工房に入り本格的な修行をした2人は、それぞれ芸術家として大成します。地獄の絵を得意としたことから「地獄のブリューゲル」と言われた兄のピーテル・ブリューゲル2世(1564-1637/38)は、愛好家やコレクターのために父親のコピーやブリューゲル風の作品を大量生産しました。
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ブリューゲル街道にある子供農場で再現してもらった伝統的な農村の食事。
ボールの中は「ライストパップ」という甘いお粥。ビールは、当時農民が水代りに飲んでいた、自然酵母でつくるランビックビールで
©神戸シュン/NTV
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ピーテル・ブリューゲル2世 《鳥罠》 1601年 Private Collection, Luxembourg
父が考案して人気となったこの冬景色を、息子のピーテル2世が量産。
全てが彼の工房作というわけではないが、現在世界各国に100枚以上の模倣作(コピー)が残る
たとえば人気のあった《鳥罠》は100点以上の模倣作(コピー)が確認されています。そのうちの1点は、上野の国立西洋美術館に所蔵されています。また現在、兵庫県立美術館で開催中の「大エルミタージュ美術館展展」(~2018年1月14日)でも、同作の模倣作(コピー)をみることができます。模倣作品の多くは注文制作というより描いたものをマーケットに流す、という販売方式だったようですが、このように大量の模倣作(コピー)が世の中に出回ることにより、「ブリューゲル」というブランドは西欧諸国の津々浦々に浸透したのでした。
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ピーテル1世が《鳥罠》のオリジナルを描いた時に、モデルにしたとされるヴィロン城(現ディルヴェーク市役所)公園内の池。
今でも冬に凍ることがあり、スケートができる
©神戸シュン/NTV
弟のヤン・ブリューゲル1世(1568-1625)は、兄同様、父の模作もしましたが、「花のブリューゲル」と言われたように、華麗な花の静物画で人気を得た画家です。その繊細で滑らかな筆触から「ビロードのブリューゲル」ともたたえられました。また彼は、さまざまな動物が集う《ノアの箱舟への乗船》のように、動物画を得意としたことも知られています。
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左:ヤン・ブリューゲル1世、ヤン・ブリューゲル2世 《机上の花瓶に入ったチューリップと薔薇》 1615-1620年頃 Private Collection
右:ヤン・ブリューゲル1世 《ノアの箱舟への乗船》 1615年頃 Anhaltische Gemäldegalerie Dessau
■木谷節子 プロフィール
アートライター。現在「婦人公論」「SODA」などの雑誌やアートムックなどで美術情報を執筆。近年は、絵画講座の講師としても活動中。
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