Special スペシャル
魅惑のベルギー、ブリューゲル紀行
4、ピーテル1世の子供たち
1569年、ピーテル1世はブリュッセルで病死しました。彼の生年は不明ですが、地図制作者で友人だったアブラハム・オルテリウスがその死を「人生の開花期に逝ってしまった」と悼んでいるところをみると、おそらく40代前半で亡くなったのではないかと考えられます。

向かって右の壁面に、次男のヤンがつくった両親の墓碑がある
©神戸シュン/NTV

父のピーテル1世が描いて人気を得た農民の祝宴のテーマを、息子のピーテル2世も繰り返し描いた
その後、画家の工房に入り本格的な修行をした2人は、それぞれ芸術家として大成します。地獄の絵を得意としたことから「地獄のブリューゲル」と言われた兄のピーテル・ブリューゲル2世(1564-1637/38)は、愛好家やコレクターのために父親のコピーやブリューゲル風の作品を大量生産しました。

ボールの中は「ライストパップ」という甘いお粥。ビールは、当時農民が水代りに飲んでいた、自然酵母でつくるランビックビールで
©神戸シュン/NTV

父が考案して人気となったこの冬景色を、息子のピーテル2世が量産。
全てが彼の工房作というわけではないが、現在世界各国に100枚以上の模倣作(コピー)が残る

今でも冬に凍ることがあり、スケートができる
©神戸シュン/NTV
弟のヤン・ブリューゲル1世(1568-1625)は、兄同様、父の模作もしましたが、「花のブリューゲル」と言われたように、華麗な花の静物画で人気を得た画家です。その繊細で滑らかな筆触から「ビロードのブリューゲル」ともたたえられました。また彼は、さまざまな動物が集う《ノアの箱舟への乗船》のように、動物画を得意としたことも知られています。

右:ヤン・ブリューゲル1世 《ノアの箱舟への乗船》 1615年頃 Anhaltische Gemäldegalerie Dessau
■木谷節子 プロフィール
アートライター。現在「婦人公論」「SODA」などの雑誌やアートムックなどで美術情報を執筆。近年は、絵画講座の講師としても活動中。
アートライター。現在「婦人公論」「SODA」などの雑誌やアートムックなどで美術情報を執筆。近年は、絵画講座の講師としても活動中。