浜金谷駅 石切り場跡
かつて金谷で栄えた地場産業
かつて鋸山で採れた石は「房州石」と呼ばれ、皇居や横浜の港など街づくりの基盤を担ってきました。
全盛期には町の人口の8割が関わっていたそうですが、セメントが広く使われるようになり昭和60年に石切り場の役目を終えました。現在の石切り場は、屏風のようになっている地形で音が響く環境を活かしコンサートなどに利用されています。
お会いした鈴木裕士さんの家系は代々鋸山で活動した石切り職人で、父親が鋸山最後の石切り職人。自宅を開放し、小学校で子供たちに石切りの歴史を教えたり、美術館で房州石、鋸山の石切り場の魅力を伝える活動を行っています。
全盛期には町の人口の8割が関わっていたそうですが、セメントが広く使われるようになり昭和60年に石切り場の役目を終えました。現在の石切り場は、屏風のようになっている地形で音が響く環境を活かしコンサートなどに利用されています。
お会いした鈴木裕士さんの家系は代々鋸山で活動した石切り職人で、父親が鋸山最後の石切り職人。自宅を開放し、小学校で子供たちに石切りの歴史を教えたり、美術館で房州石、鋸山の石切り場の魅力を伝える活動を行っています。
石切り場
切り出した石を運んだ滑り台
石切り場近くのツリーハウス
- 最寄駅
- 浜金谷駅より徒歩19分
- 所番地
- 千葉県富津市金谷地先
- 電話番号
- 0439-69-8111 (金谷美術館)