天下の台所といわれた大阪の町。全国各地からさまざまな物資が集まるこの町の港には、海からの目印となる山が作られていた。 当時は高さ20メートルほどもあったといわれるその山は、灯台の役割だけでなく人々の集まる憩いの場としても有名な山であったといわれている。

20メートルあったこの山、天保山がさらに低くなったのは幕末のころ。大砲台の設置のため山を削り、さらにその後も地盤ごと沈下していき現在4.53メートル。国土地理院発行の地形図に掲載されているもっとも小さい山として知られている。