渋谷区 vs 新宿区 掘った土で土鍋は作れるか!?

 「陶器」…食卓で使う器でありながら、形や色を味わう古来の文化。縄文時代の土器に始まった陶芸の歴史は、常に人間の手によって練られ、伝えられてきた。その原料となるのは「粘土」。陶器作りの第1歩は、きめが細かく粘りのある粘土を探すこと。

 良質の粘土が採れる土地では、古くから焼き物が栄えた。岡山県備前市の「備前焼」は褐色の上品なおもむき。佐賀県唐津市の「唐津焼」は素朴で自由な味わい。そして滋賀県信楽町の「信楽焼」は奈良時代からの伝統。

 「その町で採れた土で陶器を作る」…これを東京でもできないものか? アスファルトとコンクリートに覆われた大都会、特に象徴的な高層ビルの立ち並ぶ「新宿区」、そして流行の発信地である「渋谷区」、この2つの街から土を掘りだし、作る陶器は「土鍋」。果たして作れるのか?

ならばやってみよう!
新宿区 vs 渋谷区 掘った土で土鍋は作れるか!?

 今回、自らの力で土を探し土鍋作りに挑むのは、城島と太一。2人はジャンケンの末、城島は「新宿区」、太一は「渋谷区」に分かれて、それぞれ土鍋作りに適した土を探す。しかし、陶器に関しては素人の2人、まずはプロから土探しの基本を学ぶことに。

 そしてやってきたのは、新宿区の陶芸教室「目白陶幻倶楽部」。小林琢磨先生から土鍋作りに適した土の選び方を教わる。

陶器に適した土の見極め方とは*
(1)水をつけると粘りがある。
(2)口に含んだ時に舌触りが滑らか。
(3)無味無臭であること。

そして、土鍋を作るなら、バケツ3杯分の土が必要。

 おもむろに粘土を口にする先生、それを複雑な面持ちで眺める城島と太一。戸惑いながら2人も口にしてみると…確かに無味無臭だが、旨いものではないようだ。

 こうして、ひと通りの知識を身につけた2人は、粘土を求めて移動開始! アスファルトに覆われた大都会で、2人はどんな策に打って出るのか? そして、自ら探し出した土で、土鍋作りは成功するのか?


 渋谷区へ向かう太一は、移動中の車内で作戦会議。すると、太一はひらめいた…それは「昔から流れている川の辺は地形の変化も少なく、土は水分を含んでいるため粘土があるのでは?」ということだった。太一、その推測に自らを絶賛! そして地図で目をつけたのは「鍋島松涛公園」。すると「鍋を作る島だったんだよ!」と名前から勝手に解釈し、ひとまず向かうことに。

 一方、新宿区の城島、こちらは適当な判断で区の中心部へ。そして西早稲田にさしかかると、通りに建設現場を発見! ここで城島は現場で土を分けてもらう作戦にでた。ところが現場監督を訪ねると、「夕方から土を掘り出すため、粘土は4時頃じゃないと出ない」という。そこで城島は夕方に改めて訪ねる約束をした。ひとまず1軒目は確保したが、それが土鍋に適した粘土かどうかは分からない。そこで西早稲田の建設現場を押さえとし、他の場所を探すことに。

 その頃、渋谷の太一は「鍋島松涛公園」に到着。公園内へ入ると早速土を発見!粘土かどうか先ほど教わった方法で確認。まずは口に含んでみると…無味無臭のようだ。続いて水に浸して粘りをみると…太一はこれが粘土だと確信した! そこで看板に書かれた管理元の渋谷区役所に問い合わせ、土を掘らせてもらえるか交渉。だが、公共の施設で土を掘ることは許されなかった。

 公園の外で次の策を練る太一、すると、前方の民家からご主人が出てきた。ここで太一は個人宅の庭を狙う作戦にでた! 家主の許可をもらえば庭を掘らせてもらえる。そこでご主人に交渉してみると、快く了承してくれた。早速太一は広い庭の中へ進むと、木の根元付近に目をつけた。土を口に含み、さらに水に浸してみると、粘りが出てきた。太一はこの方法で粘土だと確信し、ここへ来て、はじめての土掘り開始!

 スタッフも総出で順調に作業が進む中、ここで問題発生! 掘ったところから木の根っこが出てきてしまったのだ。さすがに人様の物に傷をつけてはいけない。これ以上は掘れないと判断し、太一は埋め戻すことにした。さらに庭の隅々まで探し、掘っては確認してみるが、土鍋に適した土は見つからなかった。太一、やむなくこの庭を断念!

 一方、新宿の城島は繁華街の歌舞伎町にさしかかると、続いて工事現場を発見!早速交渉に挑み、現場を覗かせてもらうと、かなりの深さまで掘っているが、粘土は出ていない模様。作業員によると、この現場は地下20mくらい掘らないと粘土は出てこないらしく、城島はあまりの深さにこの場所を断念。そこで、他に粘土が採れそうな場所はないか尋ねてみると、「新宿区役所に行けば教えてくれるのでは?」との情報をもらう。区役所であれば、どの場所でどんな工事が行われているかが分かるはず。

 そして新宿区役所に到着すると、係りの案内で建築課にやってきた。だが、担当者によると「粘土層は土の表面からかなり深いところにあり、現在区内でその深さまで掘っている現場はない」という。しかし、粘土層より浅いところには「関東ローム層」という土があるという。関東ローム層とは、およそ100万年前に富士山の噴火でできた火山灰の層のことをいい、その中には長い年月をかけて風化し、粘土質になっている部分もあるらしい。新宿区の関東ローム層分布図を元に説明を受ける城島。この粘土で土鍋が作れるかもしれない…

 さらに嬉しい情報が…以前、落合の方で縄文式土器が見つかった例があり、落合方面であれば良質の粘土が出るかもしれないという。そこで城島は落合で工事中の現場はないか調べてもらうと、西落合と上落合の2ヶ所が候補に挙がった。これに的を絞り現場へと向かう城島、そこに求める土はあるのか?

 その頃、渋谷の太一は場所の洗いなおし。再び渋谷区役所に問い合わせ、地質や以前に川や田んぼがあった場所を尋ねてみると、渋谷一帯には「渋谷粘土層」が広がっているという。渋谷粘土層とは、渋谷を中心とした地区にある粘土層のことをいい、特に代官山付近では、以前、瓦や瓶(かめ)などの焼き物に使うための土が掘られていたという記録が残っている。さらに、区役所に明治時代の土地利用図があるらしく、早速地図を求めて渋谷区役所へ急行!

 一方、新宿の城島は西落合の工事現場へとやってきた。しかし、そこは既に建物が建っており、念のため現場の方に聞いてみるが、やはり土を掘る工程はとっくに終わっていた。残る上落合の現場に望みを託し、城島は向かった。

 その頃、渋谷の太一は区役所で念願の古地図をゲット! 入手した明治時代の渋谷区の土地利用図を見てみると、川に沿って田んぼが点在しており、当時粘土が掘られていたという代官山付近にも、かつては田畑が広がっていた。底に眠る土は、今も土鍋作りに適したものなのか? そして渋谷区猿楽町の代官山駅付近を歩き、西郷橋を渡り古地図を見ると、今は見られない川も明治時代には西郷橋の下を流れ、近くに水田もあった。そこで太一は、古地図を元に田んぼの跡地をさまよう。

 一方、新宿の城島は上落合の現場に到着。祈る気持ちで従業員を訪ねると、掘った土はちょうど目の前を出発しようとしているダンプに積んであるという。城島が慌てて駆け寄ると、ダンプは無情にも出発してしまった! 走って追いかける城島だが、到底間に合わない…そこで、車で追いかけることに!

 身を乗り出してダンプを探す城島、しばらく直進を続けると、前方に土を積んだダンプを発見! そして離れることなく追い続け、ようやくダンプの3台手前までこぎつけた。が、運悪く信号に捕まり、またしても見失ってしまった! 落胆する城島だが、しばらく走ると再びダンプを発見し、今度こそピッタリマーク。しかし、ダンプは一向に停まる気配がない。どうすれば停められるのか?

 そして追いかけること40分が経過し、ダンプがコンビニの駐車場へ入った…城島、絶好のチャンス! 休憩に立ち寄った運転手に交渉を試みると、「早いとこ積んで」と了承をもらえた。城島、ダンプの荷台で念願の土掘り開始! 土質を確かめる暇はなく、粘土らしきところをとにかくバケツ3杯分急いでかき集めた。だが、これが土鍋作りに適した土かは分からない。ここで陶芸教室で教わった方法で確認。口に含み、水に浸して粘りを見る…すると、かなりの良質な土とみたようだ。土探しから6時間40分が経過し、「新宿区上落合の土」入手完了! そして城島は休む間もなくある場所へと向かった。

 その頃、渋谷区の代官山をさまよう太一は建築現場を発見! と、その向かいの駐車場入り口に、切通しでむき出しになった土を発見! 確かめてみると、太一は良質の土だと確信した。そこで看板に書かれた土地の地主に問い合わせてみると、快く了承してくれた。スコップ隊スタッフも出動し、土掘り開始! しかし、必要なのはバケツ3杯分、斜面の形を崩さぬよう慎重に粘土を掘り、こうして太一も「渋谷区猿楽町駐車場の土」入手完了!

 しかし、向かいの建築現場の土も気になる。ここは建築前で土も残っている。そこで現場の方に許可をもらい土を触ってみると、駐車場のものよりもかなり良質とみた。ここで再び土掘りを開始! 2つ目は楽々ゲットし、「渋谷区猿楽町工事現場の土」入手完了! 太一は2種類の土で万全の構え。

 一方、新宿の城島は西早稲田に到着し、この日最初に訪れた工事現場に再びやってきた。夕方には粘土が出るはずと言われたが…まだ粘土は出てなかった! 仕方なくこの現場を諦めた城島であったが、よそで土を見つけておいて良かったと、胸を撫で下ろす。

 その頃、太一は渋谷区南平台町を歩いていると、またしても工事現場を発見! ここは土が山積みになっており、太一はここを逃す手はないと、土地の持ち主に電話で了承をもらい早速中へ。土を手に取る太一、すると、もう見ただけで粘土かどうかが分かるらしい。ここでは味見なしに粘土であると判断。そしてスコップ隊スタッフ共々、土掘り開始! 「渋谷区南平台町の土」入手完了!

 こうして日が暮れ、太一は全ての土を持って土鍋作りに挑むべく、陶芸教室に戻った。そして教室を訪ねると、そこには既に城島が戻っていた。

 太一は多めに「3種類」の土をゲットし、対する城島は「1種類」。2人は早速、各々が探した土を小林先生に見てもらうことに。まずは太一の3種類、「渋谷区猿楽町駐車場」の土は、粘土分はかなり少ないようだ。続いて「渋谷区猿楽町工事現場」の土は、やや粘土化しているという。そして3つ目の「渋谷区南平台町」の土は、砂目は多いが、精製の仕方によってはかなり粘土化しそうだという。両者の土は見た目にもかなりの違いがあり、茶色っぽい太一の土に対して、城島の土は褐色。そして城島が唯一見つけた「新宿区上落合」の土を見てみると、先生は絶賛! 褐色の土の中に、粘土化している良質の土を見つけ、これなら精製をしなくてもそのまま使えるという。

 城島と太一、ここでいよいよ土鍋作り開始! 先生指導の元、今回はできるだけ時間を短縮した方法で実践。

 最初の工程は「粘土作り」。土から粘土だけを抽出する作業を行う。

1) まずは土を乾燥させる。砕いた土を中華鍋に乗せ、火にかけて炒めるようにほぐしていく。
* 通常は天日で5〜6時間自然乾燥するが、この方法で一気に時間を短縮。
2) 乾燥したらふるいにかけ、細かい粒のものを選り分ける。
3) 選り分けた土に水を少しずつ加えて練り上げる。(目安は20〜30%)
4) 水を加え過ぎた場合は、石膏盤に土を塗って水気を抜き取る。
5) さらに手で丹念に練り上げる。この時、体重をかけて練るのがポイント。ひと通り固まったら、ハンバーグを作る要領で中の空気を抜く。
6) こうして練った固まりはビニールに入れ、暗い場所で4〜5日間寝かせる。

 いつしかスタッフ総出で粘土作りが進み、この日の作業だけで5時間を要した。

 そして5日後、出来あがった粘土で、いよいよ本格的な作業に入る。

 2つ目の工程は「土鍋の成形」。

1) 次に鍋の底をつくる。必要な大きさの土玉を叩いて伸ばし、平にしたら、 墨で丸く印しをつけて余分な粘土を切り取る。(目安は直径20cm、厚さ1cmの円形)
2) 粘土を細長くした土ヒモを必要な分だけ作る(太さを均一にすること)。
3) 鍋底の縁に沿って土ヒモをきちんと置いていく。
4) 土ヒモを1周させたら、鍋底に密着させる。まずは内側のつぎ目を指でな らして固着させ、続いて外側のつぎ目を指でならして消す。
5) そこへ、次の土ヒモを積み上げ、同じように指でつぎ目を消す。この時、 指で軽く上へ持ち上げるようにつぎ目を消していくのがポイント。
6) 適度な高さに積み上がったら、ヘラなどで形を整える。

7) 続いて「フタ」と「取っ手」を作るが、取っ手を付けるのは、後の作業。

 城島と太一、この日の作業から1時間が経過し、徐々に形になってきた。城島の鍋は粘土が少ないため小さめの1人前サイズ。すると、城島の形を見た先生「灰皿っぽくなりましたね」と、ちょっと失礼な発言。これには城島、笑うしかない…。一方、太一は次第に土鍋というよりは巨大植木鉢といった感じか?

 共に成形を終え、土が余った太一は、ここでろくろに初挑戦。先生のお手本を真似て慎重な手つきの太一、すると、初めてとは思えぬ立派な器に仕上がり、糸でろくろから器を切り離すと、見事な作品の完成。合計8つの器を完成させた。それを見た城島もチャレンジ。だが、手に力が入りすぎて器が外れてしまい、気を取り直して挑むもすぐに折れてしまう。結局作ったのは「一輪ざし」。

 ここで作業は一時中断。次の仕事のため車で移動。そして次の現場に到着すると、なんと「六峯テレビ」の仕事着で登場? 実はここから「DASHサブ出し隊 プロレス編」のロケだった!

 その間、教室では城島と太一に代わって小林先生が乾燥作業を行っていた。

 3つ目の工程は「半乾燥」。通常は自然乾燥で2日かかるが、ここでは「布団乾燥機」を利用して一気に時間短縮!

 やがて城島と太一が別のロケを終え教室に戻ると、再び作業開始。

 4つ目の工程は「仕上げ」。

1) カンナやヘラで全体の形や厚みを整える。
2) 作っておいた取っ手を取り付ける。接着剤代りに「ドべ」と呼ばれる泥状の粘土で接着。

 5つ目の工程は「化粧掛け」。

1) 白化粧土または白絵土(しらえつち)と呼ばれる白い土を泥状にしたもので模様付けをする。
2) 続いてフタに穴を開け、空気穴を作る。

 国分太一作の渋谷鍋、鮮やかな絵柄も入りまずまずの出来か? 一方、城島茂作の新宿鍋、フタの裏には「独り鍋」の文字。鍋の底には「良く食べたなええ子や」と、実際に食べきった時にメッセージが見えるようになっている。

 6つ目の工程は「完全乾燥」。窯で焼く前に、じっくり5〜6日間かけて自然乾燥。

 こうして待つこと6日後、いよいよ素焼きの窯入れ作業。

 7つ目の工程は「素焼き」。800℃の電気窯で6〜7時間かけて焼き上げ、そのままの状態でさらに6〜7時間冷やす。

割れないかが気になる城島と太一だが、場合によっては爆発することもあるらしい。「割れませんように!」2人は窯の前でお祈り。

 そして素焼きを終え、その2日後、この日は鉄腕DASHのスタジオ収録日。その前に城島と太一は教室を訪れた。果たして土鍋はうまくできているのか?

 途中経過はスタジオで発表! 2人の素焼き状態の土鍋を御披露目。太一作の渋谷鍋、こちらはまずまずの仕上がり。一方、城島作の新宿鍋には多少のヒビが入っているが、無事に完成するのか? さらに土鍋作りの工程が続くため、2人は土鍋を再び教室へと持ち帰った。

 8つ目工程は楽しい「絵付け」。金属の粉を原料にした色のついた液で思い思いに模様をつける。

 またも、大胆かつ鮮やかに描く太一、一方、城島は鍋底の書を筆でなぞってさらに強調。新宿と渋谷、それぞれの街で見つけた土が、もうすぐ土鍋となる。

 続いて9つ目の工程は「釉掛け」。ガラスを溶かした上薬をかける。釉掛けは光沢を出す他、鍋の強度や水漏れ防止の役目がある。

 しかし、ここで太一の土鍋に2ヶ所のひび割れを発見! だが、若干のひびであれば、問題ないそうだ。太一の土鍋は大きいため、上薬を慎重にかけていくが、小さい城島の土鍋は上薬の中へ一気に潜らせる。釉掛けを施すと、絵付けの模様が消え上薬で真っ白になるが、焼けば透明になる。さらに仕上げとして余分な上薬を拭き落とす。

 そしていよいよ最終工程の「本焼き」に入る。1160℃の窯で15時間かけて焼き上げる。

 2つの鍋は無事に焼きあがるのか? これで割れたら全てが水の泡。城島と太一は、窯の中へ慎重に入れ、再びお祈り。そして、窯に運命の火が入れられた。あとは先生が夜を徹しての監視を続けてくれるという。

 窯入れを終え、太一は自らろくろを回して作った器に得意の絵付け。ろくろの上で回しながら筆やワラぼうきで模様をつけていく。それを見た城島、「ボクもこんなことしたい!」と、駄々をこねだした。城島は一輪ざししか作っておらず、絵付けする器がない。そこで先生がメンバー用に作った器に、絵付けをさせてもらうことに。各メンバーへの想いを込めて、足の指に筆を挟んで描いたり、耳の穴に筆をつけて描いたりと手法もさまざま。先生も筆で丹念に描き、味のあるザリガニの絵に仕上がった。そして全ての器に「釉掛け」をして、全ての作業終了。ろくろ作品も窯に入れて本焼き。

 そして1週間後、いよいよ本焼きを終えた2つの鍋が窯から出される日がやったきた。教室を訪れるのはこの日が最後となる。果たして無事に完成しているのか? 城島と太一、一斉にフタを開けた! 果たして…

 そして、完成品はスタジオで披露! どちらも初めてにしては見事な出来栄え。長時間焼いたことにより、素焼き状態の時より若干小さくなっている。国分太一作の渋谷鍋、外観はこげ茶色で味のある色合いに、対する内側は色や模様も鮮やかに描いた。一方、城島茂作の新宿鍋、黒を基調としたシンプルな色合いだが、フタにひびが入ってしまったためきちんと閉まらない?

 こうして、2つの土鍋は立派に仕上がったが、これが土鍋として使えなければ完成したとは言えない。

そこで、スタジオ実験!
作った土鍋で料理は作れるか!?

 スタジオには小林先生もお越しになり、アドバイスをもらいながら鍋料理に挑む。鍋奉行松岡のさばきで作られるのは、太一の土鍋で鳥だんご鍋と城島の土鍋で鍋焼きうどん。念のため火は弱めにし、順調に料理が進む。と、その時、太一の鍋底から汁が漏れだした! ここで止む終えず強火にして急いで作ることに。この状態に太一…へこむ。

 先生によると、こんな場合に備え、土鍋で料理をする前におかゆを炊くと、お米のデン粉が間にうまって漏れを防いでくれるという。

 すると、急に漏れが止まった? その原因は先生にも分からない。そこへ長瀬の「野菜が詰まったんじゃん」との意見に全員納得。

 アクシデントに見舞われながら、鳥だんご鍋と鍋焼きうどんが無事に完成! 手作りの土鍋、手作りの器で最後は全員で美味しい鍋料理に舌鼓を打った。

 

アヒル隊長出動! オーストラリア ダックレースに参戦!!

 シドニーオリンピックまであと半年、世紀の祭典に向け、日本ではこんなニュースが放送された。それは、ある日の日本テレビ「SPORTS MAX」でのこと。カヌーのオリンピック代表有力候補選手の1人、佐々木 翼選手(16歳)が秋田県角館市の玉川で強化トレーニングを行っている様子だが…

 すると、練習に励む佐々木選手の脇に、何やら黄色い物体が…やっぱりアヒル隊長だ! 実は、佐々木選手と同じく、隊長も強化合宿中であった。波に耐え、水の冷たさにも負けず…そんな隊長の目的もまた、オーストラリアだった。そう、遥かあの国で行われるアヒルたちにとっての、夢の大舞台に挑むためだ。その熱き思いは佐々木選手も隊長も同じ。

 こうして合宿を終えたアヒル隊長は、オリンピック選手団より一足お先にシドニーへ旅立った! そしてやってきた決戦の地…オーストラリア!

アヒル隊長出動!
オーストラリア ダックレースに参戦!!

 今回の開催地はシドニーの北方に位置する「コフス・ハーバー」。一見静かな町だが、年に1度行われるこの町最大のイベントを前に、市内はまさにダックレース一色であった。過去5回、これまでに数々の名勝負を繰り広げられ、その熱戦ぶりから「アヒルたちのオリンピック」とも称される。アヒル隊長はこのレースに参戦するべく、単身この地へ乗りこんできたのだ!

 美しい海岸に用意された特設コースは全長130m。波に押され、ひしめくライバルたちをかき分けて進む命がけのコース。戦いを前に、隊長は海に浮かびながら独り高ぶる気持ちを落ちつかせる。すると、思わぬ敵が現れた! それは、地元のチビッコだった! 持ち上げられては海に沈められ、隊長、絶体絶命か? しかし、何とかこの危機を脱した。

 やがて出場選手のエントリーがはじまった。どうやら2ドル払ってもらうことでアヒルたちは出場資格を得るらしい。ところが、ここで気になる問題が…隊長だけサイズが大きいのだ! そう、思い出されるのは1999年10月、シンガポールでの苦い経験。レース寸前、体重制限に引っかかり屈辱の出場停止。外国のアヒルたちが60gであるのに対し、隊長は倍以上の131g。他のアヒルたちと同じ体重になるためには、体重を半分以下に落とさなければならなかったのだ。同じ屈辱だけは味わいたくない…隊長は徹底した減量に挑み、なんと71gの減量に成功したのであった! その努力を選手たちも認めてくれ、ここに堂々のエントリー! エントリーナンバーは369番に決定!

 次々とカゴに積まれていく選手たち、このレース、勝負を左右するのはスタートのポジション争い。カゴのどの位置になるかが重要なカギを握る。すると、隊長はカゴの一番上に積まれ、見事ポールポジション獲得! こうして386人の選手たちはスタートラインへ。固唾を飲む大観衆の中、ただ1人日本からエントリーしたアヒル隊長、アウェイでの戦いはプレッシャーとなるのか?

 日本での強化合宿の成果が、今ここに試される!

 カゴから放たれた386人の選手たち、一斉にスタート!

 カギを握る序盤の戦い、入り組んだ集団からうまく抜け出せるのか? アヒル隊長は先頭集団にピッタリマークし、だいたい48位の好位置につけた。そして2分が経過すると、じわじわと順位を上げ、たちまち24位ぐらいに踊り出た。

 必死のアヒル隊長、減量のスタミナ不足を吹き飛ばし、3分が経過すると、ついに先頭を捕えた! 悲願の優勝へ向け、波に乗るアヒル隊長。しかし、オーストラリアアヒルも諦めない。激しいトップ争いが続く…

 そしてレースは中盤に差しかかり、隊長の動きに何やら異変が起きた! なんと突然のペースダウン、いったい隊長の身に何が起きたのか? 実はこの時、強い向かい風が吹いていた。体の大きい隊長には格段のダメージ! 一方、先頭集団は体を倒して風の抵抗を抑える頭脳的なレースを繰り広げる。

 5分が経過し、いよいよ終盤に差しかかると、先頭集団はラストスパートの構え。アヒル隊長はこの時点でだいたい61位、危うし! と、そこへ、渦巻きに巻き込まれてしまった! このまま敗れ去ってしまうのか? そして何とか渦巻きを脱出し、ここからゴールを目指して一気にラストスパート!

 2人抜き、1人抜き、再び見えてきた先頭集団。隊長は最後の力を振り絞り、だいたい42位。しかし先頭集団は間もなくゴール。隊長もゴールへのスパートをかけるが、果たしてどこまで順位を上げられるのか? 次々にゴールする先頭集団、しかし隊長はゴール寸前でややもたつき、結局「36位」でゴール!

 隊長の背中は泣いていた…優勝争いから無念の脱落。目前に迫ったシドニーオリンピック、日本への熱いエールを残し、隊長はオーストラリアを後にした。

 今回の無念を晴らすべく、隊長は既に次の戦いに目を向けていた。それは、最後の清流「四万十川」で行われる大レース! 四国高知の美しい川を舞台に繰り広げられるダックレースにエントリーし、リベンジに挑む!

 今後のアヒル隊長の活躍に、乞うご期待!