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はじめての冬を迎えたDASH村に、ついに初雪が降った。真冬の気温は氷点下にまで下がり、雪が解けるまでは厳しい寒さとの闘いとなる。村は冬を越すための準備で連日慌ただしく、その様子を見守りながら初雪の感触を堪能するアヒル村長、みんなの力でこの冬は暖かく過せそう…。 そして「炭」を作るための炭窯づくりは急ピッチで進行中! 冬の燃料となる炭はDASH村にとって必要不可欠! 果たして、炭窯は無事完成となるのか? さらにもう1つの冬支度…「漬物」づくりにとりかかる。日本の漬物の歴史は1200年以上にも及び、野菜のとれない冬の保存食として雪国の生活で培われてきた。先人から受け継がれた知恵、手作りの漬物はどんな味に仕上がるのか? 20世紀も残りわずか! DASH村の新年を気持ち良く迎えたいと、太一はある物を求めて里山へ向かった。果たして、その狙いとは!? |
炭窯づくりに着手したのは10月のこと…家から200mほど離れた山のふもとを窯場に決め、名人・三瓶金光さんのアドバイスを受けながら雑木林の一角を切り開き、斜面の下から80cmの高さを水平に整地。そして斜面が崩れてこないよう支えの木で柵を立て、整地面に直径5mの浅い溝を掘った。 11月に入ると日も短くなり、日中の作業は休みなく続く。浅い溝の中に、さらに赤土を入れ替えて壁とするための溝を掘る。全身を使いスコップで軽快に掘る松岡、一方の太一はほとんど掘れず…。その間、城島と達也は薪割りに挑む。達也は横に寝かした木を足で押さえ、切り口の中心めがけてナタを一気に振り下ろすと、木が見事に真っ二つ! 城島も同じようにナタを振り下ろすと、狙いが外れて地面を直撃! 土を運ぶ作業は長瀬と清、長瀬は村でしか出来ない薪割りや窯づくりをやりたいらしく、どこでも出来る土運びに不満の様子。そして手押しの一輪車に土を盛って長瀬が運ぼうとしたら、安定せずに倒してしまった! 盛った土が台無しに…。 一方、太一・松岡は5時間かけて直径3m、深さ82cmの壁となる溝を掘り終えた。砂と粘性の強い赤土を混ぜ、溝に入れて壁を作る。壁に脆い個所があると崩れてしまうため、土を入れると大きな杵で突き固め、これを何度も繰り返す。仕上げに土の上を走ってさらに踏み固め、この日の作業はここまで。全体にシートをかぶせて雨対策も万全。 作業開始から30日目、固めた壁の内側、窯の内部となる部分を掘る。次第に固まった内壁がむき出しになり、これをスコップでならしていく。そして掘り続けること3日間、炭となる木を入れる窯の内部が完成し、これから木をぎっしりと並べていく…ところが、冷たい秋雨により作業中断! 思わぬ足止め、炭窯の周囲が湿っていくのが心配…。雨の中やってきた太一、シートに覆われた窯場に入り「早く作りたい…」と呟く。 それから10日後、ようやく秋晴れに恵まれ、今度は内側の土を掘り出して煙の出口となる「煙道(くど)」を作り、煙の抜け具合や崩れの恐れもあるため内側から火を焚いてテスト。すると出口からしっかりと煙が抜けた! 雨による遅れを取り戻すため、作業は夜になっても続く…。炭となる木を窯の中にぎっしりと並べ、さらに積み重ねると、その上から土をドーム状に盛って炭窯の屋根となる部分を作る。土を盛っては杵で突き固め、ヘラでならしてドーム状にならしていく。そしていよいよ最後の作業、火を燃やす部分となる窯口を掘り終え、2ヶ月に及んだ炭窯づくり、ついに完成。 続いて待望の火入れ。窯口で燃やされた炎と熱が、中に埋められた木にゆっくりと伝わり、これがやがて炭となる。そして2週間に渡って火を絶やすことなく燃やし続ければ、念願の炭が出来上がる。 一方、達也と松岡は新たな作業にとりかかった。11月に無事収穫となった大量の大根と白菜、しかし一度に食べられる量ではなく、放っておけばいずれ腐ってしまう…。そこで、冬の間おいしく味わえる「漬物」に挑む。例えば、柿なら日持ちのする干し柿、魚介類なら干物や燻製が保存食となり、冷凍にすれば生のまま鮮度を保てる。漬物はそんな保存方法の1つ。 自分たちの作った野菜を自らの手で漬ける…漬物が大好きな松岡・達也だが、肝心の作り方は分からない。そこで近くにある即売所を訪ねた。店内に並ぶ様々な漬物、そのすべてが手作り。地元のみなさんが持ち寄り、自ら店員さんとなる。その味を堪能する2人、いずれも劣らぬ旨さだが、その中に2人が特に惚れ込んだたくあんが…。商品には作った人の名前と連絡先が明記され、そこには地元のみなさんも認める名人・三瓶孝子さんの名が記されていた。 早速、連絡先をもとにお宅を訪ねると、現れたのは漬物歴40年の三瓶孝子さん。母親の厳しい教えで花嫁修業にあらゆる漬物の技を体得。結婚後もさらに着け方や味を独自に研究し、そのレパートリーを広げた。そこで、恋しき味の主・孝子さんに教えてもらうことに。 まずは準備、孝子さんはワラを揉んでこすり合わせ、鮮やかな手つきで即席のタワシを作った。昔はタワシがなかったため、みんなワラを使っていたという。名人技を目の当たりにした2人、「結婚して欲しいな〜」と思わず呟く。これを使い湧き水で野菜を洗う。漬ける野菜は冷たい水で洗うのがコツ。そしていよいよ漬物づくり、最初にとりかかるのは「白菜の塩漬」。まずは白菜を包丁で縦に4等分するが、途中まで切れ目を入れたらあとは手で裂く。これが自然な味わいを出すコツだという。続いて塩、孝子さんが長年の勘で量を決め、葉の間にふりかける。その際、葉先の方は塩辛くなってしまうため、根の方にだけふりかけて桶の中に並べていく。さらに松岡が唐辛子を刻み、白菜を一段並べるごとに少量くわえる。これを繰り返し、白菜7個分で桶が一杯になった。 ここで必要となるのが「漬物石」。表で適した石を探す達也と松岡だが、孝子さんに良い石を届けたいという思いから、妙な張り合いがはじまった…。松岡は安定感のありそうな平たい石を届けるが、小さすぎて重石にならない。そこへ、すかさず達也も運んできたが、松岡よりも小さすぎ…。そして松岡が家の脇にある大きな石を持ち上げようとすると、その隙に達也、孝子さんに1本のススキをプレゼント! さらに2人で巨大石を持ち上げようとするが、びくともせずに即断念…とその時、思わぬライバルが現れた! 2人を見かねた明雄さん、既に適した石を3つも見つけていた! その石を松岡は1人で洗い、孝子さんと達也は2人で仲良く洗う。そんな2人が気になる松岡だが、さらにもう1つの視線…遠くから見つめる明雄さんの姿が! 妙な張り合いは続く…。 今度は白菜の入った桶に中蓋をし、その上に漬物石を乗せる。重石は総重量の1.5〜2倍、塩は総重量の3〜5%が目安。水は加えず、その重さと塩の働きとで、白菜の水分が出て十分に漬かるのを待つ。食べ頃になるまで2週間ほど。 次は大根を使い「ぬか漬」に挑戦。それにはまず、ぬか味噌を作らなければならない。熟成と日々手でこねることが大切なぬか漬、料理店ではその店独自の味として立派な人気メニューともなる。生きているぬか味噌をうまく熟成させうまく漬けるには根気と愛情が必要。
まずはフライパンでぬかを炒り、焦げつかないように水分を飛ばす。流れ板松岡お得意の手さばき、孝子さんに誉められ動きはいっそう軽快に! 次に炒ったぬかを広げて冷まし、松岡が一口…「きな粉みたい」。これをぬか味噌にするには、ぬか5升(約9l)に対して塩4合(約720ml)・水5合(約900ml)、さらに唐辛子をくわえてこねるように混ぜ合わせる。そしてカメに移し、収穫した大根の中でも小さめのものや、葉も一緒に漬ける。この作業を「捨て漬」と呼び、ぬか味噌を熟成させるために野菜を漬ける。これにより、ぬかは大根の水分が染み込んでしっとりとなり、丹念にかき混ぜて呼吸させる。じっくりと熟成されるまで約2週間、重石をのせてぬか漬の準備は完了! 続いて挑むのは「たくあん」。それにはまず、たくあんにする大根を1ヶ月ほど干さなくてはならない。干すことにより「甘みが増す」「栄養分が濃縮する」「保存性が良くなる」「弾力性を帯び漬けやすくなる」「歯切れが良くなる」などの効果が出て、うまいたくあんとなる。
続いて大根が雨に濡れないよう軒下にぶら下げて干す。大根を横向きに並べ、1束につき5本づつわら縄で縛る。これを竿にぶら下げ、このまま1ヶ月ほど干せばたくあんに適した状態となる。そこへ、いきなり八木橋が飛び込んできた。人の集まる所へ来たがる八木橋だが、作業が止まってしまう為、やむなく小屋へ…。さらに大根の葉も同じように縛って干せば、お茶や入浴剤などになる。そして午後7時をまわり、ようやく作業終了! その翌日、漬物づくりも一段落つき、太一・明雄さん・清はある物を求めて里山へ向かった。枝が3段になっている若松を切り出し、次に竹やぶで1本の太い竹を切りはじめた。さらに梅の木、具合を見ながら切る枝を厳選する明雄さん、「桜切るバカ梅切らぬバカ」という言葉があり、「桜」は枝を切ると切り口から病気にかかるなどの障害が起こりやすく、一方「梅」は余分な枝を切ることで風通しが良くなり成長を促進する。それは、この里山全体にも言えることで、適度に木を切るなど人間が上手に手を加えることで日当たりが良くなり、多くの植物の生育バランスが保たれる。 こうして材料を持ち帰り、揃ったのは「松」「竹」「梅」。縁起の良い3つの材料でこの時期つくる物…それは「門松」。これで21世紀をよりめでたく迎えられる! そこへ、明雄さんが「薦編み台」と呼ばれる道具とむしろ(わらや竹で編んだ敷物)、麻のひもを持ってきた。それらは門松づくりに非常に便利な道具、これで「薦(こも)」を作る。薦とは、わらなどで粗く織ったむしろ。これを薦編み台で作り、門松の土台に巻きつけるという。明雄さんの手ほどきで太一が挑戦! 薦編み台に固定したヒモでひとひねりずつわらを束ね、編んでむしろにしていく。はじめは戸惑った太一だが、仕組みと要領が分かってくるとスムーズに編みはじめた。 1時間が過ぎ、次第に形が出来てきた。しかし、いつもの力仕事とは対照的に手先を使う繊細な作業、次第に体も冷え込む…すると、明雄さんと清が炭を焚いたドラム缶を運んでくれた。これで暖をとる太一、「この炭が早く僕等の炭になるといいのに…」。そして2時間が経過し、立派な薦が完成! その一方で、干してある大切な大根に異変が…。清が大根を手にとると、何者かにかじられた跡が! その犯人は…八木橋! そこへ白昼堂々と大根を狙う八木橋が現れ、両者の闘いがはじまった…。大根の前に壁となって立ちはだかる清、角を持って押さえようとするが、八木橋はこれを振り切って大根に飛びついた! さらにもみ合いとなり、再び八木橋が振り切ると、清は手綱を掴み、前のめりになって阻止! そして漬物づくりから3週間が過ぎ、達也と松岡は白菜の塩漬の出来具合を見る。すると孝子さんが充分食べられる状態と判断し、みんなではじめて漬けた嬉しいひと口…「うめぇ!」と声をあげてしまう納得の出来! そこへ太一が駆けつけ食べようとしたら、遠くから「こっちが先だよ!」と叫ぶ声…明雄さんも食べたかったようだ。これを桶から取り出して湧き水で洗う。冷たい水で洗うのもおいしさのコツ。これを絞って水気をしっかり取るが、冷たい水は手にこたえ、すぐさま炭ストーブで温める。続いて松岡が包丁で切って盛り付け、これで孝子さんお墨付きの一品目が完成した。 一方、門松づくりは切ったドラム缶に太一の編んだ薦を巻きつけ、さらに縄を巻いて固定し、これを門松の土台にする。その際、縄の巻き方にも縁起の良い決まりがある。七五三や三三九度など、古来からおめでたい時の数は奇数とされ、七五三にちなんで縄を上から三重・五重・七重に巻いて固定。 まずは三重の縄を巻き終えると、ここで明雄さんは縄を回してひねり、なんと素手で切った。その事態にただ驚く太一…。実は刃物を使わずに切るのも縁起担ぎとされている。続いて五重の縄を巻き終ると、今度は太一が挑戦。だが、まったく切れず。結局、太一は七重の縄も切れなかったが、これで三・五・七、めでたい奇数づくしで巻いた土台が完成。 漬物チームは続いてぬか味噌、実は生きているぬか味噌を呼吸させるため、清が毎日かき回していた。大根と葉を取り出して湧き水で洗うと、またも急いで炭ストーブに駆け寄る…唸るほど手にこたえるらしい。これを松岡が盛り付けて完成。ぬか漬を作る前の試し漬といったところだが、期待を込めてひと口…かなりしょっぱい。再び味見に来た太一も顔をしかめる…。捨て漬を食べる場合は毎日取り出して新しい野菜と取り替えなくてはいけなかった。 その頃、門松チームは中身の作業に入り、竹をノコギリで斜めに切る。ところが、竹の表面は滑りやすい曲面なため、刃が思うように入らない。そして何とか切り終えると、今度は切り口をカンナで整える。懸命に取り組む太一の姿に「大工さんになれるよ!」と誉める明雄さん。これに太一が「よそ見しながら適当に言わないで下さい」と返すと、大笑いの明雄さん…本当に適当だったらしい! そんな2人の作業は仲良く進む。 そんな中、人の集まる所にまたも八木橋がジャマしに来た! ここは松岡が連れ戻して作業再開。そして2本目の竹を切り終えるが、1本目と切り口の角度が違い失敗。合わせにくい角度、再び挑むと今度はきれいに切り落とせず、ささくれ状になってしまった。切り口の面にノコギリを合わせ、ささくれを慎重に切り落とし何とか成功。さらにカンナで整え、無事に仕上がった。
その頃、門松チームも作業は順調! 土台の中に土を入れ、まずは3本の竹をバランス良く立てて、さらに松・梅の木も立てる。これでいよいよ完成か…と思ったら、薦を固定する縄の巻き数が違っていた。七重のハズが六重しかなかった。そこに太一が縄をつけ足し、先ほど出来なかった縄切りのリベンジ。縄をひねって引っ張ると…ついに切れた。こうして出来た2つの門松を玄関に飾り、七五三の縄に松竹梅が踊る、めでたい手作り門松の完成。 DASH村はじめての冬、そしてもうすぐ迎える新年! 作業も一段落つき、ここで午後のティータイム。干しておいた大根の葉を煎じた「大根葉茶」で、自分たちの漬けたお新香をいただく至福のひと時。 そんな中、太一がある異変に気づいた…湧き水で泳いでいたアヒル村長の姿がない? 清によると村長は出張中だというが…その事実は後日明らかとなる! こうして2000年を締めくくったDASH村、そして、ザ!鉄腕!DASH!! は21世紀もますます躍進します! |
漬物を湧き水で洗い、そのたびに炭のストーブへ駆け込んだ達也と松岡、DASH村の明け方は連日冷え込み、湧き水が凍ってしまうほど! それだけに、かなり手にこたえた様子。また、孝子さんをめぐって妙な争いを繰り広げた2人、その発端は…漬物をつける孝子さんを見ながら「結婚するなら漬物の作れる女性がいいな〜」としみじみ語り、そこから2人の争いがはじまったのだった。 一方、今回のロケで「わら縄」「わらたわし」「薦編み」といったわら細工の作業にすべて関わった太一、縄切りが成功すると、「今や、わらを持たせたら俺の右に出るものはいない!」と、メンバー1のわら職人を自負していた! |