ソーラーカーは作れるか?

200X年…。
私たちが想像する未来生活。

そこにはたくさんの不思議な車が必ずといっていいほど登場する。
空を飛ぶ車、水中を走る車、運転をしなくても勝手に走ってくれる車・・・
そんな、全く新しい夢の「未来の車」を自分たちの手で
つくることはできないだろうか?

しかし、地球上には資源が不足している。
近い将来、枯渇してしまうかも知れない資源を無駄にしないように走るのが、
未来の車としてふさわしい。
そんな限りある資源を使わない最高の車とは・・・?

『ソーラーカー』。
エンジン車はガソリンを使うが、ソーラーカーは太陽という無限のエネルギーを
電気に変えて走ることが出来る。
そんな、未来の車として最も現実に近いソーラーカーを自分たちの手でつくる
男たちの挑戦が今、始まる…

そもそもソーラーカーの仕組みとは…、
@太陽の光をソーラーパネルで受ける。
A光エネルギーを電気に変え、バッテリーに蓄電
Bバッテリーからモーターに電気を送り、車を動かす

お互い、車は大好きの松岡と達也。熱意は有り余るほどにあるが、
どうやって作ればよいのか全く分からない。
そこで、ソーラーカーに詳しい専門家のもとを訪ねることに。

「あっ、ここじゃない?」
専門家のお宅らしき家には、屋根にソーラーパネル、ソーラーパネルの乗ったバイク
が置いてある。ここに違いない、と訪ねてみると、そこから現われた一人の老人。

山本梯二郎さん(85)。日本のソーラー研究の第一人者。
ソーラー関係の特許を10以上取っているというスゴイ方。

山本さんがソーラーの研究を始めるきっかけは、第二次世界大戦にまで遡る。
戦時中、山本さんは帝国陸軍科学研究所に所属。
山本さんが携わっていたのが「潜水艦の開発」。
潜水艦は水上ではエンジン、水中ではモーターを使って走行するという
現在のハイブリットカーと同じ仕組み。

戦後、潜水艦の知識を生かすために、仕組みが同じソーラーカーの研究を
始めたのだという。

山本さんから「一般の車を改造するのが良い」というアドバイスをもらった松岡と達也。
スタッフが提示する「10万円以内」という予算の中で、車探しに向かう。

「どれも高いなー」
中古車センターを回るが、全て10万円以上。
「10万で探すなんて無理だよ!」
と諦めムードの松岡。すると、達也が…、
「バカヤロー!目、覚ませよ!」と一撃を食らわせた!

「ゴメンよ、兄貴…。俺、ガンバルよ…。」
と気持ちを切り替えた松岡。
「業者専門のオークションなら10万以内でも…」という情報をもらい、
業者の社長さんにお願いして、オークション会場へ同行させてもらう。

神奈川県相模原市にある「相模オートオークション」は一般人立入禁止の業者専門オークション。ここでは1日で400台から600台の車が競り落とされている。
実際に会場の前を通る車を見て、競りを行う。
スタート価格からスイッチを1度押すごとに、金額が3000円アップするシステムで、
最後にスイッチを押した人が競り落とすこととなる。
同行させてもらった業者の方の脇に陣取り、応援する達也と松岡。

「おっ、あれは?車体もデカイし」と登場したのは「ベンツ」。
しかし、あっという間に100万円まで跳ねあがってしまった…。

「あっ、軽なら買えるんじゃない?」
「軽い方が電気も食わないしね。」
早速、業者の方に競りに参加してもらう。

3万…、5,4万…、8,7万…と少しずつ値は上がる。
「もうちょっと!あと1回お願いします。」と粘ったが、結局競り落とされた値段は
13万8000円。

「オークションでも無理か…」とさすがの達也も諦めムード。と、その時!
「あっ!これいいんじゃない!?」登場したのは軽のワンボックスタイプ。
スタート価格はなんと0円!何とか競り落とさなければ!と興奮する松岡と達也。

3千、6千、9千…と一気に上がる値段。
何とか手に入れなければ…と積極的に競りに参加してもらう。
6,3万円で金額表示が止まっている。しかも最後に押したのは同行させてもらった
社長さん。
「決まった!?」「オレ達でしょ?」と喜ぶふたりを尻目に金額表示が
6,6万に替わってしまった…。
しかし、車がなければソーラーカーが作れない!とさらにスイッチを押してもらう。

そして、粘った末に8万4000円で車を購入する事ができた!
購入した車は、ダイハツの「ハイジェット」。平成9年式で車検もついている。

「これで十分でしょ!」
「ワイパーも動くし、ライトもつくし、ゴキゲンだね!」
興奮する2人。
早速ソーラーカーへと改造するべく、近くの整備工場で紹介して頂いた場所へと向かう。

到着したのは春山モータースという整備工場。
相談してみると、空いている作業場を貸してくれるとの事。

「うぉー、これだけ広かったら十分だよね」
「早速、作業を始めますか!」
と背中に『HARUYAMA MORTORS』と刻まれたつなぎを借りて、作業開始。

車を探す前に、山本先生から「総重量から120kg程度軽くしないとモーターでは走らない」と言われていたので、外せそうな部品をドンドン外す事に。

整備士の方にも協力して頂いて、早速解体作業に入る。
「外せそうなのは、エンジンとマフラーとガソリンタンクか…」などと考えながら外していく。
車の下に潜り、ひとつひとつ慎重にネジを外す。

「よし!取れた!」まず外したのはマフラー。
早速、重さを計ってみると12,341kg。120kgまではまだまだである。
さらにガソリンタンク、プロペラシャフトを外し、心臓部のエンジンを外す。

エンジンの重さを計ってみるとなんと68kg!
「オレの体重と同じだよ!」と驚く松岡だが、まだ120kgには至らない。

そこで、さらなる軽量化に挑む。
松「スペアタイヤいらないよね。」
達「大丈夫!パンクしたらオレが直してやるって!」
松「ワイパーは?」
達「ソーラーカーなんだから雨の日は走んないでしょ!」
松「ってことは、ライトもいらないよね。」
達「夜は走れないからね!」
松「ラジオは?」
達「新聞読めば十分!」
松「未来の車なんだからNO SMOKING!灰皿はいらない!」
など多少強引な理屈(?)で後部座席、スペアタイヤ、ラジオ、ワイパー、ライト、ウインカー、灰皿などを取り外した!

「よし、これでOKでしょ!」「だいぶ軽くなったよね」
仕上がり具合に満足そうな2人。そこで山本先生に見てもらうことに。

「どうですか、先生!」と自身満々の2人。しかし…
「何でライト外しちゃったの!?外し過ぎだよ!」
と怒られてしまった…。

実は、ソーラーカーはバッテリーに電気を貯めておく事ができるので、
雨の日でも夜間でも走る事ができるのだという。
さらに、公道を走るには、ライトやワイパー、ウインカーが無いと
車検が通らないのだという。

そこで、その3つに加え、プロペラシャフトを付け直す。
しかし、山本先生によるとまだ外せるものがあり、合計で150kgまで
軽くする事ができるという。

山本先生が指摘する、クーラーや、ラジエーター、クラッチワイヤーなどを外して解体作業は終了。早速計量してみる。

すると、あと1,4kg足らない!
外した部品についていたネジなどは、外しても良いという。
そこで、車を探しまわりネジ1本ずつ計量していく。

「このサビはいいんじゃない?」
「だめだよ!もとから車にあるものじゃないじゃん!」
ネジを探すのに悪戦苦闘する2人。「掃除機でガーッとやれば…」とブツブツ言いながら何とかネジを探すが…。

「あと8g!」「あと3g…」などなかなか目標に達しないが、最後にプラスチックのカバーを乗せると…。
「あー!ピッタリ!!」ちょうど150kg減量することができた!
「よし、これでもう大丈夫!」と山本先生のお墨付きも頂いた。

とりあえず解体作業は終った。
次は、この車をソーラーカーへと変身させなければならない。
果して、未来の車を作ることはできるのか!?

<放送されなかったロケエピソード>

春山モータースの工場をお借りしての解体作業。
その作業は、専門知識も必要な作業でなかなか素人には難しい作業のはずでした。
しかし、しばらくすると達也の作業スピードが、どんどん早くなっていったのです。

実は達也、ガソリンスタンドでのアルバイト経験があり、さらに以前JAFの隊員を務めていたこともあり(DASHの企画で)。

達也のその姿に、松岡も「なんで、オレより2,3年先輩みたいな感じでやってんの」
と漏らしていたとか…。

春山モータースの工場をお借りしての解体作業。
その作業は、専門知識も必要な作業でなかなか素人には難しい作業のはずでした。
しかし、しばらくすると達也の作業スピードが、どんどん早くなっていったのです。

実は達也、ガソリンスタンドでのアルバイト経験があり、さらに以前JAFの隊員を務めていたこともあり(DASHの企画で)。

達也のその姿に、松岡も「なんで、オレより2,3年先輩みたいな感じでやってんの」
と漏らしていたとか…。

DASH村 〜かまどづくり〜

一面の緑だったDASH村も赤や黄に色づき始め、
ハセに干した稲も乾燥し、黄金色の帯のようなこの季節。
深まり行くDASH村の秋の空では、
なにやら静かとは程遠く、大きな音が響いていたのでした。

その音の正体はDASH米の脱穀。
稲からモミ粒へ、次々と姿を変えていくDASH米。

時間をかけて天日で乾燥した稲もいよいよ米らしくなってきた。
ご飯への思いは人一倍の城島、
「自分たちの手でご飯を作りたい!」
その思いを胸に脱穀は進む。

そしてまだ、ハセに稲が干される前。
稲は田に根を張り、力強く成長していた頃のこと。
日本家屋の中ではDASH米には欠かせない、
もうひとつの準備が行われていた・・・。


そう、彼らが計画していたのは究極のかまどづくり。
設置場所は日本家屋の広い土間。
先人の知恵を借り、美味しいご飯を食べるため、
究極のかまどはつくれるのか?!

と、土間の地面に大まかなかまどの図を書く明雄さん。
男たちはそれに従い、予定の場所を掘り出す。
掘った穴は「赤土」を入れるためだった。

DASH村の裏山から取ってきた赤土、
なんとこの中に思わぬ先客がいた!
明雄さん「何だぁ?これ〜?」
明雄さんの手のひらにはカエルが。
しかし、このカエルはなんとあのカエルだった!
場所によっては天然記念物である"モリアオガエル"。
この夏、DASH村の池の木で泡の巣から生まれ落ちた、
あのモリアオガエルだった。

そんな冬ごもりをしていた彼も目を見張るかまどづくり。
ペッタン、ペッタンと音を響かせながら、
土台となる赤土は杵でつかれて固められる。

そしてもうひとつ、かまどづくりに欠かせないのが
漬物の重石にちょうどよさそうな大きさの石。
かまどの壁となる部分に円を描くように積んでいく。
かまどの型の基礎にと並べられた石。
しかし、思い描くかまどとは程遠い。

果たして究極のかまどで炊いた、
おいしいDASH米のご飯は食べられるのか?
稲刈りを終えた頃、かまどはその姿を少しずつあらわにしていった。

赤土とワラとを合わせてついたかまどの壁。
と、明雄さんがこれを入れてくれとの提案。
その正体は塩。
塩は水分を調節して、乾燥した後の壁のひび割れを防ぐという昔からの知恵。

つき固めた赤土は丸くソフトボール大のだんごにされる。
かまどの壁はこのだんごを積み、重ねて高くなっていくのだ。
だんごを積み、固め、壁の高さようやく50cm程。
というが、まだまだ米をたくまでは程遠いようだ。

火を炊く部分の底に赤土を盛り、さらにかためて底を15cm上げる。
明雄さんの知恵を借り、その指示のもと作られていくかまどづくり。
今日もチェックの厳しい明雄さん。
と、城島あることに気づく・・・。
城島「明雄さんのクセは、僕らがやったことでも、自分が一回手を入れないと納得しないですよねぇ」
確かに、これまでは最後に明雄さんが微調整してから「よし!」の一言だった。
明雄さん「そんなことしてね!」
といいつつもかまどの壁をかためている明雄さん・・・。
城島「大人気ないな〜」
と笑い声が響く。

そのころ達也は明雄さんに頼まれ、何やら釘を打ち込んでいる様子。
それは、かまどの薪を入れる入り口を作るための木の枠だった。
この木の枠は自然と燃えてしまい、枠の回りに固められた土壁が
きれいに四角く残る仕組みになっている。

火を入れておいしいご飯ができるころには、
ここにきれいな2つのかまどが出来上がる。

ハセがけして1ヶ月・・・。
そろそろいい具合に稲が乾燥してきた。

いもち病に最もやられたひとめぼれ。
モミは寂しいがヤセ細っている。
一方のたかねみのりはぷっくりとしたモミ。
たかねみのり、ひとめぼれの2種が収穫に可能な状態だ。

ひとめぼれ担当は達也。
機械が登場する前は最新式だった足踏み回転式脱穀機。
その名も「チヨダ式国光号」!
足で板を踏むと回転するドラムに稲を当てて脱穀する、
アナログでハイテクな脱穀機。

たかねみのり担当は城島。
しかし、達也のようにはうまくいかず、わらがドラムに絡まってしまった・・・。
直し方も分からず、明雄さんに修理してもらう城島。

肝心の米のほうは、ひとめぼれに比べたかねみのりは
一つ一つの粒がふっくらしているようだ。

果たしておいしいご飯は食べられるのか?
脱穀作業は第二段階。
「とうみ」という機械でモミをより分けた。
稲からモミへ形を変えたDASH米。
そしてこのDASH米をおいしく食べるためのかまどづくりは完成間近!

かまどをつくる場所、土間。
実はこの場所、先日の芋ほり後の焼き芋大会で火の粉が屋根に飛んだ
あの真下に位置する部屋。
危うく大火事になるところを消化できたのが幸いでしたが、
実はその場所から雨漏りが発見され、早く直さねばと思っていました。
その土間にかまどを作るとなると早急な雨漏り工事が必要。
しかし、その工程は萱をちょっと並べ替えるだけの作業。
焦るほどのことでもない作業だったのでした。