続いてのヒントは、市場の写真。
写真の建物の看板に「卸市場」の文字がはっきりと書いてあることに目をつけた二人は、このエリア付近で商店が集まる場所を地図で探す。
すると、商店街の文字を発見!円頓寺商店街を目指す。向かう途中にはヒント映像の橋も発見。現在と見比べてみると、建物も変わらず残っていることがわかった。さらに進み、商店街を抜けると、ヒントにあった市場の看板を発見。
そして、ついに問題写真の花嫁の看板があるお店を発見!!

店の周りの建物の様子、店に書かれた、「慰安会、お嫁入り」の文字。
ここで間違いないと判断した二人は、ご主人の安井さんに確認。
松岡「写真のこの方、お父さんですか?」
ご主人「おれだわや」

ついに、問題のお店を発見!
問題となったこのお店は「やすい商店」。
昭和25年に創業。この駄菓子屋問屋街は最盛期には400軒もの店が連なり、全国的な駄菓子屋の拠点となった。滋賀や岐阜から菓子を仕入れに来る『カンカン部隊』と呼ばれる女性たちは地元の名物であった。

名古屋での駄菓子文化の歴史は古く、凡そ400年前、名古屋城建築の際、当時は二食だった職人たちの間食として、菓子が珍重されたのがきっかけと言われている。
また、派手だと有名な名古屋の嫁入りでは、花嫁が家の二階から菓子を巻く「菓子まき」という風習がある。
この風習は江戸時代、村の娘を送り出す際、村人が石を投げて妨害したため、それを治め、花嫁を家から出すために菓子をまいたことが起源とされている。紅白まんじゅうや餅だったものが、日持ちする駄菓子へと変化し、今に至るという。