2014年1月12日 放送内容DASH海岸 ~多摩川のアユ~

5度目の冬を迎えたDASH海岸。
この季節、夜の満潮に合わせてやって来るのが、秋に産まれたばかりのタイの仲間のキチヌやコトヒキなど、様々な種類の魚の赤ちゃん。
その中でも、特にTOKIOが心待ちにしているのが、
城島「アユの赤ちゃんいないかなあ…」
古くは、徳川家歴代将軍に献上されていた江戸前の多摩川のアユ。
夏場、多摩川の上流で大きく成長したアユは、水温が下がる秋になると、中流に向かい、そこで産卵する。
その後、産まれた赤ちゃんは、冬になると川を下り、東京湾でプランクトンを食べてスクスクと成長する。
その姿は、DASH海岸でも、冬の風物詩となっている。
そんなアユの赤ちゃんは、今年も来てくれているのか?
探していると、姿を見せてくれたのは、クロホシマンジュウダイ。
しかし、海の専門家・木村さんによると、
木村さん「死滅回遊魚で南の海から来る魚なんですよ」
和歌山県より南にすむこの魚は、夏から秋にかけて、黒潮に乗って東京湾へ運ばれてやって来る。冬は、寒くて死滅するので、死滅回遊魚と呼ばれる。
木村さん「これがいるってことはまだ水温が高いっていうこと」
昨年の10月は、観測史上最も遅い真夏日を記録するなど、水温が低下するのが例年よりも、遅れているのではとの見解。
その結果、水温が高い影響で、アユの産卵が遅れている可能性が。
つまり、DASH海岸には、まだアユの赤ちゃんは来ていない!
ということは、親アユ達はこれから多摩川で産卵するかも!ならば…
城島「気になるね」
そこで向かったのは、海から30kmの位置にある府中市。
過去に、アユの産卵が確認されたポイント。
川にも詳しい木村さん曰く、アユは浅く流れが速い瀬と呼ばれる場所で、集団になって産卵するという。
すると、川岸で投網をしている漁師さんを発見!
達也「あれで獲れるんだなあ」
投網をしていたのは、多摩川漁業協同組合の多磨支部の皆さん。
話しを伺うと、やはり今年のアユの産卵は遅めだという。
実際に、投網で獲れたアユを見せて頂くと、
達也「色が黒いんですね」
オスアユは、産卵が近づくにつれて、婚姻色と呼ばれる赤い模様が現れる。
これは、メスへのアピールといわれ、その色の具合で産卵時期がわかる。
つまり、赤いアユが見つかれば、産卵が近いという事。
そこで、伝統漁法の投網に挑戦し、赤いオスアユを探す事に!
投網の仕組みは、先端に重りの付いた網を、アユのいそうなポイントに投げて、アユを網の中に閉じ込め、重りによって川底に沈んだ網を引っ張る事で、徐々に網を窄めていき、中の魚を閉じ込めるというもの。
しかし、投げた瞬間に網を広げるのは、長年の経験による、高度な技術が必要とされる。
早速、城島と達也が挑むものの、初めての投網に悪戦苦闘。
特に、重さ5kgにもなる網を投げるのには、コツが必要らしい。
達也「網が広がらないなあ…」
城島「難しいなあ」
すると、何度も挑戦を続けていた達也の網に、
達也「入ってる!入ってるよ!」
達也の網に入っていたのは、産卵前のメスアユ。
産卵まであとひと踏ん張り、という事なので、
達也「子どもを産んで、うちの海岸に来てくれるようにね」
元気に産卵して欲しいと願いを込めて、川へと戻した。
その後も、産卵開始の合図となる赤いオスアユを探し、網を投げ続けたが、結局、赤いオスアユは見つからず…。
この日、このポイントでの産卵は見られそうにない。
そこで、次に向かったのは、府中市から南下した世田谷区の二子玉川。
ここでも、毎年アユが産卵に集まるという。
木村さん「昔はこの辺り天皇陛下が釣りに来る所だったんですよ」
二子玉川周辺は、かつてアユ漁が盛んに行われ、それを味わう屋形船などで賑わう観光名所として親しまれていた。
しかし、高度成長による汚染が進み、アユがすめなくなってしまった。
その後、様々な取り組みで水はキレイになり、清流の女王とさえ言われるアユが、再び帰ってきた。
そんなアユの産卵を手助けしているのが、東京都島しょ農林水産センターの職員として、江戸前アユの調査や保護を行う川の専門家の安斎さん。
昨年も、川を上るアユを調べた際にお世話になった、アユのスペシャリスト。
そんな安斎さんがこの日行っていたのは、アユが好む産卵場所作り
安斎さん「アユが産卵期を迎えるので、川底を耕しています。石と石の間に隙間を作ってあげる」
もちろん、場所はどこでも良いというわけではない。
アユの産卵は、1匹のメスと数匹のオスで行われ、アユが好んで卵を産みつけるのが、安全な石の隙き間。
しかし、水の流れが弱い多摩川では、石の隙き間に砂や泥などが溜まりやすいため、人の手で耕してあげる必要があるという。
この日、安斎さんたちが耕している場所は、毎年アユが産卵してる所。
安斎さん「この辺で産みたいっていうアユがいれば、今日の夕方には、産んじゃうかも」
という事で、TOKIOもDASH海岸にアユの赤ちゃんたちが来る事を願い、産卵場所づくりのお手伝い。
川底は、石の隙間に砂や泥が溜まり、固まっている状態。
しばらく、川底を耕していくと、状態は徐々に改善され、
達也「柔らかくなってきたな」
こうして、多摩川全体にアユが好む産卵場所を作る事で、多摩川のアユの数は、年々増加しているという。
耕した後は、その場所にロープを張り、立ち入り禁止にする。
達也「意外と守ってあげないとダメなんだなあ」
さらに、アユの産卵を邪魔するのは、人間だけではなく、
安斎さん「コイやウグイなどに卵が食べられちゃう」
しかし、それは、もとからあった自然の生態系。問題なのは…
安斎さん「産卵するアユ自体も食べちゃう魚がいる」
それは、多摩川の生態系を脅かしている巨大外来魚。
本来、この川にいてはいけない魚たち。
そこで、安斎さんの仕事の一つである、外来魚調査をお手伝い。
調査するのは、アユの産卵場所のすぐ近く、二子玉川駅の脇を流れる野川。
ここで「大きな魚を見た」という地元住民からの目撃通報があるという。
安斎さんも、この川を調べるのは、初めてだという。
魚を捕まえるのに使うのは、DASH海岸でも使ったことのある籠。
中にエサを入れ、その匂いで誘き寄せ、籠の中に閉じ込めてしまう仕組み。
達也「さあ、何か入るかなあ」
籠を設置するのは、橋桁の下の水深50cm、120cmの2か所と、場がレスの少ない淀みの1か所。あとは、この状態で数時間待つ。
果たして、どんな生き物が籠に入るのか?
その間に、もう一つの捕獲作戦!
上流からやって来る魚を一網打尽にする、追い込み漁、網の端を岸に取り付け、魚が隠れていそうな木陰を狙う。
城島「追い込みましょう!」
スタッフも加わり、逃げられないように、一気に網で囲い込む。
網にかかったのは、まだ婚姻色の出ていないアユ。
そして、コイの赤ちゃんの大群に混じっていたのが、男たちが探していた、赤い産卵直前のオスアユ!
達也「こんな色になるんだね」
さらに、他の魚が網にかかっていないをチェックしていると…
達也「うわ!なに!?」
一同が驚いた、その巨大魚の正体は、ライギョ。別名はスネークヘッド。
元々、観賞魚として日本に持ち込まれたが、飼いきれず捨てられた事で、全国で繁殖。アユだけでなくウナギなども食べてしまうことから、各地で頭を悩ませている。
さらに、びっしりと生えた歯が特徴で、一度くわえたら「雷が鳴るまで放さない」という云われから、ライギョと名付けられたとも言われている。
続けて、先ほど設置した籠をチェック。
まずは、水深120cmに仕掛けた籠。
中にいたのは、ライギョの大好物でもある、アメリカザリガニ。
このザリガニも食用ガエルのエサとして輸入された外来種。
一方、水深50cmに仕掛けた籠には、日本の在来種のモクズガニがびっしり!
藻のクズのような毛が生えていることからその名前が付き、高級食材上海ガニの仲間で、ウニのような濃厚なカニミソは絶品。
木村さん「産卵で海に下ってくるのでDASH海岸にも来る可能性がある」
モズクガニは、冬になると海へ下って産卵する。
達也「ザリガニブロックとカニブロックにすみ分かれてるんだね」
最後に、流れが無い場所に仕掛けた籠を調べてみると、
達也「スッポン!かわいい!」
手のひらサイズの大きさから、どうやらこの川生まれの推定1歳。
ところでスッポンと言えば…
達也「これ本当に噛んだら放さないんですか?」
鋭い歯を持ち、首が甲羅と同じくらいまで伸びるスッポン。
扱いには、注意が必要。
そして、この日の本題だったアユの産卵。
残念ながら、この日はその様子を見ることができなかったため、特別に許可を頂き、産卵場所に観察カメラを設置。
スタッフが連日通い、撮影を続け、その姿を捉えたのは5日後の事だった。
観察カメラに写った映像を皆で観てみると、まずメスが石の隙間に卵を産み付け、すぐさまオスがそれに精子をかけ、卵を受精させている様子が!
達也「すげえ!」
専門家である安斉さんと木村さんでさえ、見た事がない貴重な映像だという。
安斎さん「川底が固いと、オスが石を押し上げて受精させられない。産卵場所を作った甲斐があったね」
その日の夜、特別に許可を頂き、スタッフ及川が観察カメラの周りを調べてみると、石に直径1㎜程のアユの卵が!
この卵は、10日から2週間程かけてふ化し、一気にDASH海岸がある東京湾沿岸に下ってくる。
3週間後の夜、DASH海岸でその姿を待つTOKIO。
城島「もう来てもいいはずなんだけどな…」
網ですくってみると、体長1.5cmのアユの赤ちゃんが!
達也「あっという間に来るんだね!」
城島「あたりまえだけど、こういう命を見ると、海と川がつながってるんだなって思うね」
新たな命の誕生に喜び、そしてその成長をこれからも見守っていきたいと、強く思う男たちだった。
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