2014年3月23日 放送内容DASH村開拓記スペシャル!

1年半をかけて、ついに完成したDASH島の基地、舟屋。
島にあった古い材木や、流れついた漂流物など、種類が違う材料をかき集めて作ったため、見た目はバラバラ。
長さが足りなかった柱は、異なる木材を継ぎ足して1本にする継ぎ手でこしらえた。
その方法は、中でも最も強い継ぎ方と言われる金輪継ぎ。
達也が、5時間を費やし、完成させた力作。
実はこれ、11年前に、福島DASH村で学んだこと。
DASH村の村役場を建てる際、金輪継ぎを学んでいた。
そんな経験が、11年の時を経て、DASH島の舟屋づくりに活かされている。
一方、横浜DASH海岸では、春の訪れを告げる魚が。
それは、ボラの赤ちゃん。春、水温が上がると必ず訪れる。
そんな春の訪れを、ひときわ喜んでいたのが、
達也・城島「北登!」
福島DASH村の仲間、柴犬の北登。
かつては、DASH村の田園風景の中で暮らしていたが、今、過しているのは大都会・東京。今年で3年目になり、すっかり都会での生活にも慣れてきた。
城島「13歳か」
人間で言うと、約70歳。そう、いつの間にかTOKIOの年齢を超えていた。
そんなTOKIOと北登が過ごして来たDASH村の始まりは14年前。
『日本地図にDASHの文字を刻みたい』と、福島県で始まった。
TOKIOはまだ全員20代。初めて目にした、1万2000坪。
松岡「すげえじゃん!」
絶えず流れる湧き水と、一面の雑草と、20年放置されていた家があるだけ。
全ては、1からのスタートだった。
まず、TOKIOが取り掛かったのは、DASH村の拠点とするための家の修復。
壊れた壁や床を取り除き、足りない材木は周囲から集め、地元の大工さんに教わりながら、道具の使い方を覚えた。
これで家の構造や作り方を初めて知った。
柱もなかった玄関や、囲炉裏しかなかった家の中が見違えるように蘇った。
道具の使い方、土の練り方、瓦の葺き方、火の起こし方…、この時の経験が、無人島の開拓に活かされている。
様々な農作物を作った畑も、荒れ果てた土地を耕すところから学んだ。
この時、DASH村の顔とも言える、あの人に出会った。
達也「三瓶明雄さんですか?」
明雄さん「そうでございます」
当時70歳の明雄さん指導の元、楽器をクワに持ち替え、畑を耕した。
今では、身体に染み付いた作業だが、この時は、全てが初めてだった。
種を蒔くことができたのは、日が沈んだ頃。
達也「大根の種なんか初めて見たな」
城島と達也にとって、それが記念すべき初めての種蒔き。
夏には、一気に芽を出し、秋になると、初めての収穫を迎えた。
達也「大根だよ!ちゃんと生ってるよ、ほら」
太一「すげえ白菜だ」
獲れたてがうまい事も初めて知った。
この経験のおかけで、理解できるようになった農家さんの苦労。
DASH村で、初めての冬を超え、2001年、初めての米づくりに挑戦した。
皆総出で、田んぼに苗を植えた。
さらに、廃墟となっていた築200年の民家を建て直し、その中に作ったのは、手づくりのかまど。
『やがて実る自分たちの米を、お釜で炊いて食べてみたい』。
そんな思いで、作り始めたかまどは、苦労の末、1か月かけて完成させた。
DASH村で2度目の秋。
城島「刈入れしますか」
ご近所の方々にも手伝って頂き、TOKIO5人が初めての稲刈り。
この米が、今も福島県で作り続けている、TOKIOオリジナル、新男米の原点。
稲穂から籾を外す脱穀、白米にする精米など、稲から白いお米ができていく仕組みも、この時初めて学んだ。
達也「米だ!こうなるんだね」
その米を、DASH村の湧き水で研ぎ、手作りのかまどへ。
火のつけ方もDASH村で学んだ。
燃えやすい乾燥した小枝を燃やして火をつける。
そして、出来上がったのは、たっぷり5合の炊き立てご飯。
城島「あーうまい!うまいこと炊けてる!コレ本当にうまい」
それ以来、達也は、横浜DASH海岸でも、時々同じように火をおこしている。
DASH海岸に遊びに来た北登が待ちわびているのが、懐かしいDASH村の味。
達也「今、焼きジャガやるから」
DASH村では藁を焼いて作ったが、この日は炭焼きで。
ホクホクに焼きあがるまで30分の辛抱。
北登は、待ちきれないのか、そわそわと落ち着かない。
そんな北登がまだ1歳だった頃、2002年6月。DASH村で作ったのは井戸。
水脈を探し、崩れ防止の木を井戸の内側にはめ込みながら穴を掘り進め、
長瀬「あー!水だ!やったー!」
達也「どんどんキレイな水が染みでてくる」
井戸は、深さ4.5m。
冬の間に石と砂利で天然の濾過装置を作り、手掘り井戸が完成したのは2003年の夏。
真っ先に飲んだのは、明雄さんだった。
そんな冷たい水でこの年豊作だった桃を冷やして食べた。
自分たちの手で粘り強く掘り当てた命の水。
その経験は、DASH島の井戸を再生させるための糧となり、ヘドロだらけの汚れた水を、煮沸をすれば飲めるまでに甦らせた。
城島「おいしい!」
そして、横浜DASH海岸では…
達也「もう十分でしょ」
北登が大好きな焼きジャガが焼き上がり、食べごろに。
城島「焼けた、焼けた」
達也「美味しい!フワフワ、もちもち、ホクホク」
北登も懐かしい味に、大喜び。
福島DASH村の冬は、厳しい寒さとの闘いだった。
その厳しい冬を越すために作ったのが、たくあんや梅干しなどの保存食。
そして、自分たちの手で納豆も作った。
大豆を藁に包み、畑で発酵させた。初めて作った手作り納豆は、
城島「これは、最高の朝ご飯!」
ご飯のおかずだけではなく、甘いハチミツも立派なDASH村の保存食。
里山博士・守山先生との調査で、里山にミツバチを発見し、養蜂指導の三瓶専次郎さんからハチミツづくりを教えてもらった。
巣箱を作り、そこに住み着いたのはニホンミツバチ。
そして2年ごしに巣にびっしりと詰まったハチミツを収穫した。
太一「すげえ!砂糖の甘さとは違うよ」
ミツバチと人間が協力してできた天然のスイーツ。
そんなニホンミツバチ以外にも、DASH村にはたくさんの生き物がいた。
田んぼ横の水路には、トウホクサンショウウオ。溜め池には、ヤマアカガエルのオタマジャクシ。そんなオタマジャクシを狙って姿を現したのが、今や希少な虫、ゲンゴロウ。
さらに、オニヤンマやクロスジギンヤンマなどのトンボの幼虫。
羽化したトンボは、夏の空に飛び立ち、オタマジャクシから成長したヤマアカガエルは、仲間のいる山へと還って行く。
こうして学んだ自然の見方と生態系は、無人島の森で様々な発見をする観察力の源となり、DASH島では、ウサギと出会う事ができた。
2004年の夏、DASH村では、野菜が大豊作だった。
メイクイーン、男爵などのジャガイモや、ナス、ピーマン、トマト、キュウリなどの夏野菜が収穫を迎え、カゴいっぱいに。
そんな大収穫となったその日、TOKIOが計画したのが、DASH村夏祭り。
日頃お世話になっている、近所の皆さんへの感謝を込めてのおもてなし。
その出し物は、夏の風物詩の流しそうめん。
それも、里山の水を引き込む水車小屋から畑を縦断し、湧き水の所までの全長75うまくそうめんが流れないなどのハプニングもあったが、それでも皆さんに喜んでもらえ、これも良い思い出となった。
夏祭りは、夜が更けても続き、
太一「僕たちから手作りのべっこう飴を、みなさんに」
太一が感謝を込めて、水と砂糖を煮詰めて作った。
松岡「今日は皆さん遅くまでありがとうございました!」
すると、突然明雄さんが…
明雄さん「おーい!頼むぞー!」
それは明雄さんからTOKIOへ感謝の気持ち。
夜空に、大きく花開く、花火が打ちあがった。
明雄さんのお知り合い、花火師さんに頼んでいた。
TOKIO「ありがとう!」
DASH村は、TOKIOと明雄さんとの10年。
DASH村の始まりと共に明雄さんはいた。
自ら動く事を教えてくれ、様々な道具の使い方も教えてくれた。
何より、TOKIOが驚いたのが、手の平だけで藁を編み縄にする藁縄づくり。明雄さんはその達人だった。
時には猛毒を持つマムシに立ち向かう勇敢さと、時にはおどけて見せるお茶目な明雄さん。
そんな明雄さんや福島DASH村で学んだ事を忘れず、これからもアラフォー男5人の挑戦は続く!
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