2014年6月15日 放送内容DASH島 無人島を開拓できるか!?

DASH島は、朝から暗く重い梅雨空だった。
そして、この日、島にいたのは、松岡、太一、長瀬だけ。
実は、開拓が始まって以来、
松岡「この3人での作業、初めてです」
思えば、舟屋を建てた時も、水路を作っている時も、
さらに、手漕ぎ舟を帆船に改造した時も、
現場で開拓を引っ張ってきたのは、常に達也。
なんだかんだ、リーダー城島も知識が豊富で、頼りになる。
年上2人が不在の中、何かできることは…。
太一「(舟屋の)表札を作ろうよ」
表札の始まりは、江戸時代に武士が名前を、商人が屋号を掲げた物が始まりとされ、
普及したのは関東大震災のときだという。
似た形の家を新たに大量に建てたため、
区別をつけるのに表札が重宝されたという。
当初は木製、後に石製が増え、最近では素材や形も様々に。
表札なら、雨の中、この3人でも作れるのでは。
長瀬「表記(名前)を何にするかだね」
太一「いつもノリで(色んな名前)付けてきたもんね」
共に日本一周を成し遂げたソーラーカーは、
元々は、名もない中古の“車"だったものを、
『お笑いマンガ道場』でお馴染み“車だん吉"さんから拝借し、
「ソーラーカー・だん吉」と名付けた。
そう、命名はノリと響きが命。
しかし、この命名作業でさえ、なかなか進まない…
太一「やっぱり、二人(達也と城島)がいた方がよかった」
と、漏らしたことで、ならば二人に敬意を払うという意味で、
松岡「“山城(やましろ)"でいいんじゃないの?」
こうして、舟屋の名前は「山城(やましろ)」と、あっけなく決定。
今回も深くは考えず、とにかく響き優先。
そして、浜辺で味のある漂着物の板を拾って、これを材料にする。
舟屋の正面、下屋の梁の部分に表札の位置を決めたら、
雨で湿った板を焦げないよう火で乾かし、命の筆入れは、長瀬が。
長瀬「練習すると芸術が生まれない」
と、強気の一発勝負らしい。
かの葛飾北斎も下書きをせずに浮世絵を仕上げたことがあるという。
では、メンバーきっての天才肌・長瀬も、いざ。
長瀬「魂込めて書くよ!」
しかし、出来上がった表札をよく見てみると、
「城」の最後の「﹅」がない…。
そんなことは露知らず、その数日後、太陽照りつける梅雨晴れの日、
城島と達也が、DASH島へ。
ここで表札の存在を知った城島は、その違和感に気付きながらも、
松岡たちには告げずに、拾った貝殻でそっと「﹅」を書いたのだった。
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