2016年1月24日 放送内容DASH島 無人島を開拓できるか!?

DASH島の砂浜で事件が起きた。
メンバーたちがスタッフの手招きする場所へと向かうと…
達也「人間の足跡じゃないな」
砂にくっきり残されていた、明らかに人間のものではない足跡。
その大きさは、約16cm。
松岡「デカいよね」
この無人島で出会った最大のほ乳類といえば、ウサギ。
だが、足跡の大きさからしてウサギではない。
もっと大型の動物だとすれば、島の環境に被害を及ぼしたり、出くわせば襲われる危険も。
早急に、正体を確かめねば。
達也「風で消えてない、この足跡まだ新しい」
城島「(足跡の主が)島の外から泳いできた?」
松岡「それか俺たちが(生息に)気づいてなかったか」
というのも、この無人島に上陸して3年半。
TOKIOやスタッフが足を踏み入れたことがあるのは、全体の面積の3割にも満たない。
広い山の中に潜んでいたのか、それとも、新たに海を渡って島にやってきたのか。
調べてみると、クマは泳ぎが得意。
かつて、津軽海峡を20km泳ぎきったヒグマもいるらしい。
シカは、島から島へ泳いで渡ることもしばしば。
イノシシは、群れで泳ぐ事もある。
さらに、なんらかの事情で、野生化した動物が渡ってきた、という可能性も…。
とにかく、その居場所を先に把握せねば。
達也「(足跡の主は)どこ行ったんだろう」
足跡を辿ってみると、その先にあるのは竹やぶ。
そこは、まだ誰も足を踏み入れていない場所。
達也「(竹やぶに)入って調査しよう」
装備を整え、改めて動物の痕跡を探すことに。
達也「獣道があればわかるんだけど」
確かに、動物が通った後には、獣道が出来る。
エサを食べれば、フンをする。
そんな痕跡が残っているか?
すると、竹やぶに入ってすぐ、踏み固められたような道が。
達也「土を掘った形跡があるね」
土の乾き具合からすると、それほど時間も経っていない。
城島「タケノコ剥いた跡ちゃう?」
落ちていたのは、タケノコの皮。
調べてみると、海岸に群生する、メダケ。
細く、しなりがあることから、竹細工に利用されてきたが、
タケノコは苦いため、全国でも食べる地方はほとんどない。
達也「掘るのはイノシシくらいしかいないでしょ」
それは、福島DASH村で、身をもって知っていた。
そのときは、収穫間際のサツマイモを食べられた。
イノシシは何でも食べるが、イモや木の根が大好物。
鼻を使って地面を掘る。
タケノコを食べる姿もよく目撃され、残された痕跡は、DASH島のものと酷似している。
松岡「あとクマも土掘るよね」
日本に生息するクマは、ヒグマとツキノワグマの2種類で、ともに雑食。
ヒグマは、鮭やイノシシなど、肉食中心だが、ツキノワグマは、木の実など植物が中心。
前足のするどい爪で地面を掘り、ハチの巣を狙ったり、
タケノコも、皮を剥いて器用に食べる。
さらに、近年、ツキノワグマは、山の食料の減少が原因で、
本来生息しない市街地にも出没。
人への被害も出始めている。
達也「水場に行ってみようか」
というのも、砂浜で見つけた足跡から、竹やぶの穴、そのまま山を上った場所には、
かつての住民が使っていたのか、貯水槽のようなものが。
動物が、水を求めに来ていてもおかしくはない。
と、そこへ向かう途中、気になる植物が。
それは、マムシグサ。
新芽の模様や形がマムシに似ていることから、その名がついた。
その赤い実は人間が食べると、ノドに激痛が走るほどの毒を持つ。
それが、何かに押し倒されたような状態に。
しかも、赤い実も一部しか残っていない。
達也「(動物がマムシグサ)食べたのかな?」
そして、その先に、またも土を掘った跡。
イモやタケノコなどエサらしき痕跡は見当たらないが、
達也「平らなところを作って寝た訳でしょ?」
それは、大型動物にみられる習性。
体に付いたノミなどの虫を落とすため、くぼみに寝転び、土をこすりつける。
さらに、そのすぐ横には、杉の木の根元から1mほど、皮が剥がれている。
達也「皮を剥がして、ほじった跡もあるね」
調べてみると、クマは杉が好物。
内側を食べるために、食いちぎるように皮を剥がし、クマハギ、という跡が残る。
達也「うわ、何コレ。キノコ?」
見つけたのは、見た事のない形のキノコ。
城島「かじった跡がある。(動物が)食べたんかな?」
こんな時は、得意の嗅覚で。
城島「くっさ!魚の干物みたいな匂い」
調べてみると、特定はできなかったが、椎茸の仲間、ヒラタケが腐ったものと考えられる。
そして、貯水槽のある場所に到着。
ここに来るのはおよそ2年ぶり。
達也「水場が無いと動物は生きていけない」
もし、ここを水場として使っているならば、近くに身を隠せる、ねぐらがある可能性も。
達也には、思い当たる場所があった。
そこは2年前、山の中腹で見つけた小屋。
動物が身を潜めるには、絶好の場所。
斜面を登ること30分、小屋の前まで来たら、
達也「何が(動物が)出るか分からないから注意して」
万が一、クマなどが潜んでいた時に備え、声を出し、音を立てながら中の様子を確認。
ねぐらにしているなら、フンや毛など、何か手がかりも残っているはずだが、
ここでは大型動物の痕跡は見つからず。
だが、砂浜の足跡、斜面の痕跡、中腹の小屋、そして、この先の山は、
TOKIOはもちろん、スタッフもまだ足を踏み入れたことが無い場所。
油断はできない。
その先へ進むと、
松岡「石が崩れてる、土砂崩れだね」
1トン以上はある巨大な岩が積み重なった状態。
1つ崩れたら、雪崩のように一気に落ちてくる恐れが。と、
達也「あれ、ここじゃなかったっけ?」
思い出したのは、以前、この崖の下で見つけた、イノシシらしき動物の頭の骨。
これと同じものがいるとすれば、推定150kg。
とはいえ、骨を見つけたのは去年の夏。
砂浜で見つけた足跡を始め、動物の痕跡らしきものは、全て最近のものばかり。
つまり、まだ現在も潜んでいる可能性が。
だが、イノシシなら食べるのは植物が中心。
出くわすことさえ注意すれば、共存できる。
しかし、城島が見つけてしまったのは、
城島「なにこれ。鳥(の羽根)?」
羽根が散乱している現場。
達也「ここで何かが(鳥を)捕食したってこと?」
さらに、そこにはいくつかの骨も。
調べてみれば、6年前、福井県で鳥小屋をツキノワグマが襲撃していた。
そんな肉食の獣がDASH島のどこかに…?
一方、水路作りは、新たな問題に直面していた。
島と島を結ぶ洲の部分には、風を遮る物が何も無い上に、時に風速30mにもなる。
木の樋では、いつ倒れてしまってもおかしくない。
達也「木じゃなくて、割と重みがあって、しっかり固まって、水が漏れない水路にする」
その技術を学びに、達也が向かったのは、愛知県。
この地に伝わる、土で波風に負けない水路を作る技術。
愛知では良い土が取れるため、瀬戸市の土は“瀬戸焼き"に。
三河粘土は、世界遺産、奈良・東大寺の屋根を、雨から守る三州瓦に。
その、土に精通する職人を訪ねた。
纐纈(こうけつ)勇夫さんは、左官歴60年。
文化財指定の芝居小屋、明治座の土壁の修復を手がけるなど、
半世紀以上、土を生業としてきた。
そんな土のプロに事情を説明すると、
纐纈さん「水に強い土がある」
そう言って、案内して頂いたのは、海のど真ん中にある建造物。
それは、コンクリートではなく、土で出来た防波堤。
纐纈さん「防波堤の石積みの間に詰めてあるのが“三和土(たたき)"」
防波堤の内側、石と石をつなぎ止めるのに使われているのが、
「三和土」と呼ばれる、土から出来た天然の接着剤。
纐纈さん「これ(防波堤)が出来たのが100年前」
国の重要文化財でもある「潮吹防波堤」は、全長199m、明治27年に完成した。
その強固な作りで、甚大な被害をもたらした、
伊勢湾台風でも崩れず、巨大災害から港を守ってきた。
纐纈さん「当時、コンクリートは高価であまり使えなかった」
コンクリートが、日本で初めて使われたのは、北海道・小樽湾の防波堤。
11年の歳月をかけ、明治41年に完成したが、天然の材料から
作られる三和土は、それより遥か昔の江戸時代から。
水を多く使う、炊事場や土間を固めるなど広く普及し、
港や防波堤の接着剤としても使われていた。
達也「水路の材料に(三和土)はもってこいだね」
三和土の材料は全て、天然の物。
纐纈さん「土と砂利と石灰を合わせて作る」
土は粘土質のマサ土。
これならば、DASH島では、瓦を葺く時に使った、山に中の土が使えるはず。
砂利は、小石が入り交じった、サナゲ石。
これは、石橋の土台を固めるのに使った、浜で採れる、細かい砂利が使える。
そして、石灰。
これは15年前、福島DASH村で、荒れた畑に撒く、カルシウムとして使った。
石灰は鉱山で採れる、石灰石を高温で焼いたもの。
これを無人島で見つける事は出来るのか?
ともあれ、まずは、三和土の作り方を学ぶ。
3つの材料を均一に混ぜ、そこに、三和土が固まるのに欠かせない“にがり"を加える。
にがりは、土に含まれる水分と反応して、接着剤の役割を果たす。
まだ、コンクリートがなかった江戸時代の職人の知恵。
纐纈さん「昔は土を練る専門の“こね屋さん"がいた」
全長199mの防波堤に必要な三和土は、推定2000トン。
1年がかかり、こねるだけでも大仕事だったという。
そして、容器一杯、練ること30分。
達也「滑らかになった。固まったらカチカチになりそう」
だが、波風にさらされ、絶えず水を流し続けても、土が溶け出すことなく、
強度を保つ事が出来るのか、試さずにはいられなかった。
こね上がった土で、三和土を塗り固める。
下塗りと呼ばれる、左官では基本の作業だが、
達也「これで水路やるのに相当、土の量使うなあ」
一度すくって塗れるのは、せいぜい瓦一枚程度。
手間はかかるが、完成すれば100年もの間、波風にも負けない物になる。
福島DASH村の土壁も雨風に強かったが、今度は水を流す水路。
滑らかで、凹凸の無い面にしなければ。
そして、この道60年の纐纈さんが、最後の仕上げ。
出来上がった面は、手の影が映りこむほど。
そして、天日と風にさらして、しっかり乾かせば、
達也「硬い、もう石だわ」
本当に水が流れ続けても、溶け出し、土に戻りはしないのか?
試しに、上から水を流してみると、
達也「水も濁ってないし、溶けてない証拠だね、完璧」
これなら、飲み水を通す水路として使える。
100年以上、波風に耐える土職人の知恵を無人島に。
三和土に必要なのは、3つ。
粘土質の土は、瓦葺きに使った、山の中の土を。
砂と小石が入り交じった砂利は、石橋の土台固めに使ったもので。
そして、DASH島では見つかってない石灰。
これには達也、心当たりがあった。
達也「貝殻を石灰にする」
石灰石の代わりは、浜で拾った貝殻で。
貝殻も、その主な成分は石灰。ただし、
達也「1000℃以上で(貝殻を)燃やさないといけない」
それは、福岡県柳川市に伝わる、貝殻を高温で焼き、石灰を作る技術。
TOKIOも窯づくりで、よく似た作業を学んでいた。
必要なのは火を起こす窯だが、
松岡「あのドラム缶、窯になるね」
錆びてはいるが、北の浜に漂着したドラム缶が使えそう。
そして、必要な物がもう一つ。
達也「フイゴを作ろう」
それも、福島DASH村で学んだ鍛冶職人の知恵。
鉄を溶かす高温を得るために、火に空気を送り込む。
酸素を送り続けることで、炎は1000℃を超す。
そのために必要なのが、鎌倉時代から職人が使い始めたと言われる、フイゴ。
その構造は、箱に吸気口と排気口の2つの穴が開けてあり、
中の板を前後させれば、吸気口から空気を取り込み、排気口から押し出す。
箱の密閉性が高いほど、効率よく風を送る事ができる。
まずは、流れ着いた板を使い、フイゴの箱作り。
箱は板の隙間を極力なくし、空気の漏れを防ぐ。
空気穴は、吸気口と排気口を1つずつ。
吸気口に取り付ける弁は、吸気のときだけ開き、排気のときには閉じる。
必要なのは耐久性と柔らかさ。
それには以前、民家跡で見つけた皮を使う。
続いて、空気を押し出す板。
達也「(板と壁の間に)隙間があるから埋めた方がいい」
そのために古くは、タヌキなど動物の毛皮が使われた。
隙間を塞ぎ、漏れなく空気を押し出す。
松岡「毛皮なかったっけ?」
それを見つけたのは、太一だった。
以前、森の中で見つけた、謎の動物の毛皮。
何かに役立つはずと、取っておいた。
これを板に取り付けて、隙間を埋める。
仕上げに、釘の数を増やして、さらに密閉性を高める。
こうして、かき集めた材料で即席のフイゴが完成。
では、このフイゴの力で貝殻を石灰に。
手早く温度を上げるため、ドラム缶の中に、火付きの良い枯れ草を入れて燃やす。
そして、フイゴとドラム缶を竹でつなぐ。
フイゴの風を逃がさぬよう、節を抜いた竹を深めに差す。
そして、貝殻は石灰化すると粉末になる。
一粒たりとも逃さぬよう、一斗缶に入れて焼く。
あとは、1000℃にするため、酸素を送る。
フイゴを一押しする度、ドラム缶の中の温度は上がり、大量の酸素を送りこむほど、高温に。
しかし、火力が強い故、油断すると、
松岡「竹に火が移っちゃった!」
原因は竹の突っ込みすぎ。
新しい竹の節を抜き、今度は浅く刺して、再び空気を送って、1000℃を目指す。
達也「貝殻が白い灰になるまで!」
しばし焼き続け、頃合いを見て一斗缶の貝殻を確認。
達也「すげー、真っ白!」
形が残った物もあるが、白くなったのは石灰化した証。
それらも、全て砕いて粉末状に。
ひとまず、これで三和土に必要な材料が揃った。
こうして、新たな素材を手にした水路計画は、DASH島の、最も過酷な場所へ…。
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