2016年5月22日 放送内容DASH島 無人島を開拓できるか!?

この日、舟屋の一番目立つところに飾ったのは、今年50周年を迎えた番組『笑点』、
その生き字引である、5代目司会者、桂歌丸師匠のお面を取り付けたスコップ。
唯一、初回放送から大喜利メンバーとして出演し、勇退。
そんな師匠にあやかって、この番組も50年続きますように、
“毛がなし、ケガなし"で、安全祈願も兼ねまして。
達也「そういえば、リーダー(笑点の)司会やりたがってたな…」
そして、汗ばむ陽気の中、アラフォーの男たちは、夏に向け早くも準備を始めていた。
城島「米麹で甘酒を作る」
栄養価が高く、飲む点滴とも呼ばれる甘酒。
江戸時代には、夏バテ防止の栄養剤として、行商が売り歩いていた。
必要な材料はお湯と米麹。
ならば、およそ1年半前、味噌作りのため、DASH島の洞窟で作った米麹を使って、
城島「だいたい60℃(のお湯)に」
甘酒は、沸騰した湯で米麹を煮崩すのではなく、60℃に保って煮る。
すると、米に含まれるデンプンが糖に分解され、甘くなる。
同時に米粒自体も液状化、およそ8時間で甘酒に。
成功するかは、温度管理が全てだが、体感温度は60℃以上、
真冬のドラム缶風呂を経験した城島は、
城島「(指で湯を触って)熱っ!これ位、これ位」
豊富な経験から60℃と判断し、ここに米麹を入れる。
材料はこれだけだが、分解が進めば甘くなるはず。
しかし、温度が上がりすぎると水分が飛んで固まり、
甘くならないどころか、おかゆの出来そこないになる恐れが。
そこで、炭火の強さは一定に、鍋の距離を自在鉤で調整すれば、
温度が上がりすぎることもない。
松岡「湯島天満宮行くとさ、“合格甘酒"ってあるよね」
学問の神様・菅原道真を祀る、通称・湯島天神。
合格甘酒1杯300円が受験生に人気。
城島「あの辺の雰囲気いいのよ」
街を語り待つ間に、1時間が経過。
香りは甘酒に近づいているが、
松岡「(味見して)旨い!こんなに甘み出るの、米麹って」
そこで、火の番を城島に任せ、松岡と長瀬は、煮炊きに使う薪拾いに。
波が立つ度、浜には流木が打ち上がる。
と、その中に紛れて、筒に入った卒業証書が。
そこには、“昭和53年3月1日卒業"の文字。
卒業された方は、どうやら昭和33年生まれ。
長瀬「(持ち主は)いま57歳とか」
松岡「これは本人に返してあげよう」
その頃、昭和45年生まれの城島は甘酒の番。
米の分解にムラが出ないよう、かき混ぜ、炭火を一定に保つ。
しかし、森に古井戸の水を汲みに行ったほんの30分、
目を離した間に、炭の量が多かったのか、温度が上昇。
米が水を吸い、おかゆのような状態に…。
甘酒にはならなかったが、仕方なく一口、と
松岡「美味い!」
長瀬「リーダーが作った中で一番美味しい」
一方、残り270mという気の遠くなる作業が待っていた。
古井戸から舟屋までの水路計画は、未だ道半ば。
強い波風打ちつける洲を越えるため、潮風に負けない、
和製コンクリート・三和土(たたき)で樋を作った。
しかし、乾燥した三和土は、型を取り外した途端に、もろくも崩れてしまった。
材料の配合に間違いはない、これには棟梁・達也もお手上げ。
そこで、達也が三和土のいろはを教わった土のプロ、
その道60年の左官職人・纐纈(こうけつ)勇夫(いさお)さんに、
知恵と技術をお借りしようと、愛知から駆けつけて頂いた。
と、左官の道60年は、一目で見抜いた。
纐纈さん「湿気が逃げるようにして乾かさないとダメ」
つまり、三和土は空気に触れる内側から乾き、その際に縮むのだが、
型枠に接した面は湿ったまま。
角の部分は両側に引っ張られる形になり、裂けてしまった。
こんな時は、
纐纈さん「型に入れるんじゃなくて裏表を両方塗る」
それは、型枠を使わない左官の技術。
竹で組んだ骨組みに、外側と内側2回に分けて薄く塗る。
これで、それぞれが乾き、ムラがなくなる。
TOKIOも16年前、福島DASH村の土壁で経験していた。
達也「(コの字だと)角に支点が来るから割れやすいんですよね」
纐纈さん「四角でダメなら丸でどうですか」
つまり、コの字型はかかった力が角に集中し、崩れてしまう。
しかし、角を無くせば力は分散する。
城島「雨どいもUの字型多いもんね」
そこで、コの字に組んだ竹の骨組みをU字型に変え、
三和土を裏表2回に分けて塗っていくことに。
これを、洲を越えるための150m分。
まず、骨組みの材料は、DASH島の浜に群生する、ダンチク。
杖や釣り竿にも使われる強さと粘りに期待し、スダレ状にしてからU字型に。
それには、以前、竹の街で学んだ竹の特性を利用。
竹は温めてから曲げることで、自由に形を変えることができる。
曲げたい形にして火で炙り、熱いうちに水で冷やせば、その状態で固まる。
これに、ダンチクのスダレを縛り付けていく。さらに
纐纈さん「三和土にシュロの皮を入れるとつなぎになる」
松岡「土壁に入ってる藁みたいなもんですね」
それも福島DASH村で学んでいた。
粘土質の土に、刻んだ藁を混ぜ込むことで、土がバラバラになりにくい。
世界遺産の姫路城などの土壁には、藁だけでなく、
シュロの木の繊維も繋ぎとして使われている。
油が多く水に強いのは、左官職人の常識。
そんなシュロの木は、DASH島にもあった。
それは去年の夏、砂浜で棒倒しに使った流木。
このシュロの流木から繊維を取り、土、砂利、石灰に混ぜる。
そして、よくこねた三和土をダンチクの骨組みに、外側と内側に分けて塗っていく。
纐纈さん「(それぞれ)2cmくらいの厚みで」
薄すぎれば、強度が落ち、厚過ぎれば、乾きムラができて割れてしまう。
13年ぶりの左官仕事に、精を出すTOKIO。
しかし、わずかな凹凸が、左官の道60年の目には許せない。
素人は山のように盛っては、削るように伸ばしていたが、
職人は、少しずつ押し付けるように。
松岡「土を足していく感じなんですね」
わずかな凹凸や小さな穴は、強度不足につながる。
そして、職人の手で仕上がった三和土を海風にさらし、しばし。
達也「いい感じに白くなったね」
乾く時間は、型枠を使ったときのおよそ3分の1。
そして、この内側に三和土を少しずつ、押し付けるように塗る。
ここは水が流れる部分、凹凸なく滑らかに。
これで再び、乾燥を待つ。
達也「カチカチだけど水を流し続けて大丈夫なのかな?」
完成すれば、ここを毎日水が通ることになる。
試しに水を流してみると、
太一「三和土が溶けて流れ出たりしてない」
三和土に含まれる石灰が、乾く時に空気と反応し、鍾乳洞の岩と同じ成分となる。
硬い上に、水に濡れても土に戻ることはない。
これで波風にも耐える水路となるはず。
濁ることもなく、これなら飲み水を通せる。
ようやくできた1.5m。
しかし、舟屋までは残り270m、先はまだまだ。
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