2016年9月4日 放送内容DASH島 無人島を開拓できるか!?

この日は、浜へ。
そこには夏ならではの食材が流れ着いていた。
松岡「テングサですね」
見つけたのは水深の浅い岩場に生える海藻で、
夏の風物詩、ところてんの原料となるテングサ。
1000年前から食べられていたという、ところてんは、
のどごしの良さから、夏に涼を得られる定番食材として広まった。
ちなみにテングサは、凍らせて乾燥させると、
保存が効く寒天になる。
そんな嬉しい食材が無人島にびっしりと。
しかし流れ着いたテングサは
達也「白くない?」
松岡「これ本当は赤いんだけど」
元々デングサは赤い色をしているのだが、島のテングサは白色。
というのも福島DASH村でところてんを作っていた。
赤いテングサを真水でよく洗い、天日で乾燥させる作業を繰り返す。
すると赤い色素が抜けて白くなり、海藻の臭みも消える。
DASH島では、潮の流れでちぎれたテングサが、
波が立つ度、浜に打ち上げられ、さらに潮の満ち引きで、
自動的にもみ洗い。
浜の斜面が天然の乾燥台となり、自然と白くなっていた。
そこで、無人島のうだる暑さを少しでも紛らわせようと、
達也「島のところてん作ろうよ」。
打ち上げられたテングサを集め始めた。
テングサを拾っていると、島では見たことのない植物を発見。
達也「なにこの植物…アロエ?」
アロエなら、葉は肉厚で外側にトゲがある。しかし、
松岡「トゲないね…パイナップルの頭か?」
確かにパイナップルには、実の上に冠芽(かんが)と呼ばれる芽がある。
水に浸けるだけで新たな根が生え、
うまく育てれば、2~3年で実が生ることもある。
そこで、
達也「水に浸けとく?」
さらに食べ物らしきものが入った容器を発見。
これまでも、腹の足しになりそうな漂着物を見つけては、
まだイケるか?と、臭いを頼りに確認してきたが、
とはいえ原型をなしていない。臭いだけ我慢し、
松岡「シソ入りの梅干しの発酵したやつ」
今のところいけそうなものはない。
舟屋にテングサを持ち帰り、まずは不要な付着物を取る。
テングサにくっ付いている白い小石のような、
海の中でテングサなどに付着し成長する石灰藻。
海藻の一種だが、9割が石灰質で、
それが乾燥し、まさに石のような状態に。
このままでは歯触りが悪くなるので、これを叩いて砕く。
そして煮沸した井戸水でテングサを洗い、煮つめていくと、
強火でおよそ1時間で、徐々にテングサの成分が溶け出た証。
次に布で濾し、汁だけを取り出す。
冷ますうちに徐々に固まり始め、
30℃まで冷めれば、完全な固形物になる。
冷ましている間に、ところてんに欠かせないアレを作る。
松岡「ニュ~って押し出すやつ」
ところてんを細長く切り出す“ところてん突き"。
中にところてんを入れて、押し出せば、
細長く麺のように、先端の網でカットされる。
そうすることで、独特のツルっとしたのどごしを生む。
必要なのは、筒状の容器と押し出す棒。
筒は、ウナギを捕まえる仕掛け・筌(うけ)で代用。
これならところてん突きと形は同じ。
先端の網は、民家跡で見つけた漁網の切れ端で。
これらを煮沸して殺菌、さらに押し出す棒も手早く作り、
松岡「いいね!完成」
そうしている間に、ところてんが冷めて固まってきた。
ところてん突きいっぱいに、ところてんを詰め、
いざ、押し出す!と、
達也「柔らかい?ちょっと早いか」
調べてみると、しっかりと固めるには6時間以上。
今回、冷ましたのは2時間程度。とはいえ、
松岡「もうそのまんまでいこうよ(食べよう)」
関東では酢醤油、関西では黒蜜で食べることが多いところてん。
無人島にはどちらもないため、味付けなし。
素材そのものの味わいを頂く。
松岡「ところてんじゃん!食感もいい!」
達也「夏はこれでいけるね!」
一方、水路計画は作業開始から9か月。
ようやく洲の終わりに差し掛かっていた。
洲の上150m石の土台と和製コンクリート三和土の樋でつないでいく。
最初は1mあまりあった土台の高さが、
今では地面ギリギリになっている。
傾斜を最小限に抑え、91個目で15cm。
達也「砂利で土台作ると弱くなるからね」
この先、石を小さくしながら傾斜をつけていくと、
土台ごと波にさらわれ、崩れる可能性がある。
そのため、できるだけ大きな石で三和土を支えたい。
達也「三角形の石で挟むしかない」
黒部の保線マン・線路復旧の知恵、
高さ調整に欠かせないキャンバーと同じ原理を利用する。
斜めに加工された板を2枚組み合わせ、
枕木の低い方の下に差し込む。
重なり具合を調整しながら、打ち込む事で、
微妙な水平のズレを修正する事ができる。
この要領で、樋の下へ三角形の石を差し込み、
水が流れる分だけわずかに低くしながら高さを調整する。
あとはズレないように、三和土で固定すれば、
重さ50kgの樋と一体化し、波で流されることもないはず。
松岡「石橋まではこれで乗り越えますか!」
石橋を越えれば、波も届かず、風の被害も少ない。
水路も再び木樋に戻し、一気に舟屋まで。
石の土台は、使う石の数も減り、ペースは上がる。
そして、水路作業を開始してから2年と4か月。
ついに大小2つの島を結ぶ洲の上150mがつながった。
松岡「傾斜がちゃんとなってるか気になるね」
達也「三和土が乾いたら(水流して)テストしよう」
江戸時代に行っていた方法で測量し、
波風の影響を受けないよう、なるべく低くした。
さらには目印のブイに合わせ、水路の高さを調整した。
これならいけるはず。
三和土でつないだ樋の接合部。1週間ほどしっかり乾かし、
城島「完璧に乾いてるね、カチカチ」
松岡「計測通り作ってるから、水流れると思うんだけど」
だが、三和土の水路は全長150mもある。
そこで水が流れやすいように、ある工夫をしていた。
スタートから50mは、勢いをつけるため、
少しだけ傾斜を大きく、1mで4cmの高低差をつける。
一方、最も波風を受ける洲の中央は、できるだけ低く、
ギリギリの傾斜、1mでわずか5mmの高低差に。
しかも、傾斜を2段階にすることで、
水の勢いをつけるだけでなく、土台の石も節約した。
松岡「水流してみよう!サラサラと流れてほしいよね」
水が流れて初めて水路と言える、では!
古井戸の水で、ひとまず、バケツ10杯分。
松岡「ちゃんと下ってるよ!」
城島「全く漏れてへん!すごいね」
だが、70m地点で徐々に勢いは弱まり、スローペースに。
松岡「ここはフラットに近いからね」
城島「スピードは遅いけど流れてる。測量あってるということやね」
完成すれば、バケツ100杯以上を一気に。
そこで、スタッフがさらにバケツ10杯分を流す。
そして、ついにスタートから6分後、150mを流れきった水が、
城島「キター!」
松岡「すごいキレイだよ、水!」
ひとまずこれで、水路最大の難所が開通した。
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