今年も無事、収穫を迎えた新男米。
5月には1本だった苗が、8月にはなんと45本にまで分けつした。DASH村でも達成した事がないであろう数字に驚き、それと同時に豊作を期待した。
確かに、結果は、収量が去年の倍以上と、大・大豊作だった。


しかし、大豊作といえども、そこまでの過程は平坦ではなかった。
様々な困難を乗り越えたからこそ、この大豊作という結果にたどりつく事が出来た。炊きあがった新米を前にした時、明雄さんが呟いた言葉「なんて言ったらいいか分からない」。その言葉を聞き、僕も胸が高まった。


4月、問題は種まきの時から発生した。
塩水選し、2週間ほど水に浸けた種もみから、「準備万端」の証でもある芽が出揃っていた。しかし、桜も散ったという頃に、気温は一気に下がり、季節外れの大雪。そんな寒さの中、ちゃんと苗が育つか心配だったが、無事にこの困難を乗り越えた苗の根張りは強く、田植え後も大地にしっかりと根付いたのか、45本という、僕にとって驚異的な分けつ数に繋がった。


だけど、ここで次の問題が発生した。
新男米は、米づくりにおいて大敵であるスズメの集中攻撃を受けた。僕たちが近くにいるにもかかわらず、田んぼに侵入し、美味しい所を吸っていく。阻止すべく、明雄さんが果敢に立ち向かい、追い払ってくれたけど、図太いスズメたちは、明雄さんが背中を向けた途端また飛んでくる。明雄さんも四六時中見張る事は出来ないので、田んぼの稲を囲むように網を張って対策。これが功を奏し、新男米は守られた。
あの時、スズメに向かっていった明雄さんは、まるで敵に立ち向かうヒーローのようでなんだかとても印象的だった。


幾度となく危機を乗り越えた新男米。
実の重さで地面につくんじゃないかと思うほど、頭(こうべ)を垂らせていた。まさに、難波さんが言う通り『パンパン』で『プリプリ』だった。DASH村でお世話になった仲間たちが再集結して刈った米を今年も棒がけで乾燥。しかし、最後にして、最大の難敵が立ちはだかった。
乾燥を待つだけの新男米に、台風が直撃したのだ。台風は、雨の心配だけでなく、風の心配も必要だった。幸い、僕たちは、他の農家の方々に比べると面積は狭いので、すぐに対応できた。
けれど、面積が広い農家の方は、実際に棒がけを何本も吹き飛ばされていた。すると、水たまりに浸かってしまい、最悪、食べられなくなる。大豊作な年でも様々な困難に直面し、油断が許されない農業は大変だと実感した。


僕は、今年も全国の農家の方と会う機会を頂いたが、どこでもお米は作られている。
米づくりを学んだから、今では田んぼを見つけると少し観察するようになった。
DASH村で初めて作物を栽培し、全国で色々な農業を学んでいる今、お米づくりはもちろん、作物の栽培などに興味を持って、自ら学ぼうと思える。そして、物を作る上での心構え、さらには、困難が起こった時にその困難に立ち向かう姿勢など、DASH村での経験と出張DASH村で出会った農家の方々から学んだ経験がないと分からなかった事だらけだった。
今までのこのかけがえのない財産にまた積み重ねられるように、来年も様々な事を学びたいと思いました。

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