明雄さんのにっぽん農業ノート

京都府から兵庫県にまたがる地域の事を「丹波」と読んでいる。

【京都府】
特に定義はない。
しかし、歴史的な地名として丹波国には、【桑田群(くわたぐん)、船井郡(ふないぐん)、天田郡(あまたぐん)、何鹿群(いかるがぐん)】の4つの地域が含まれている。

【兵庫県】
篠山市、丹波市を丹波地域と定めている。

京丹波町

  • 京都府のほぼ中央部・丹波高原にあるので、高原的な気候。
  • 昼夜の寒暖差が大きい。

栗農家
山内 善継さん(やまうちよしつぐ) (70歳)

栗栽培歴は55年。限りなく大きな栗を作る事を目指し、様々な品種の栗を栽培する。

  • ブナ科クリ属の落葉高木の果樹。
  • 種を食用とする果実の中では1、2を争う程の大きさ。
  • カリウム、カルシウム、マグネシウム、リン、亜鉛、鉄など、人間の健康に欠かせないミネラルが他の果物よりも多く含まれている。
    ※1日に6~7個食べるだけでミネラル・ビタミン・食物繊維などの必要量を満たせる。

丹波栗

  • 特定の品種名ではなく、丹波地域で採れる大きくて甘い栗の総称。
    ※大きいもので60g程になることもある。
  • 丹波地域の寒暖差により甘い栗になる。
    ※他の野菜や果実のように、日中の光合成で作った養分を夜間にデンプンや糖分として実に蓄えるため。
  • 平安時代の初期には栽培され始め、朝廷や幕府に献上された。
  • 丹波地域では米の代わりに栗で年貢を納められた。枡で量が決められていたため、なるべく大きな栗の実を作ろうと努力していた。
  • 粒が大きく肉質が締まっている。
  • 最高ランクのものは1キロおよそ2000円で販売される。

DASH村の栗

  • 樹の高さ13m。
  • 剪定・農薬散布など手入れは行っていない。
  • 小粒・虫喰いのものが多い。(虫喰いの原因はモモノゴマダラノメイガの幼虫などによるもの)

モモノゴマダラノメイガ(チョウ目ツトガ科)
モモのシーズンが終わると栗の木に移動し、栗のイガに産卵。イガの上で孵化した幼虫が栗の実の中に入り、食べてしまう。

低樹高栽培

効率よく光を当て、栽培がしやすいように3.5mの長さになるよう剪定し、栽培する方法。

<利点>

  • 剪定をすることで樹全体に日光が当たる。
    ※栗は果樹の中でも特に日光を必要とするし、直射日光が当たる所にしかイガが付かない。
    また、光合成を活発に行う事が出来きるので、収量が増え、大きな実を生らす事が出来る。
  • 害虫などの対策がしやすい。
  • 樹が揺れにくくなるため、台風などに強くなる。

剪定

  • 1年間に40~50cmほど生長するので3.5mに剪定する。
  • 剪定する時は、切り口を斜めにすることで水が溜まり腐らないようにする。

害虫対策
イガを穴に埋める
※20cm程度埋めれば害虫は死滅し、イガは有機肥料になる。

明雄さんメモ

  • 日が当たらないとイガが形成されないということは知らなかったな。確かに、村の栗の木は他の木に囲まれて日当りがあまり良くなかったな。
  • 村で低樹高栽培するならば、種から育てて接ぎ木する方法だな。今ある栗の木を剪定しようにも生長し過ぎている。立派な枝を接ぎ木して育ててやるのが一番だな。

苗の栽培

秋:種用の栗とオガ屑を交互にプランターに入れ、春まで保存。

翌春:保存していた種を畑に植える。3週間で根が出て、1か月半後には芽が出る。
10月頃には70cmまで生長する。

2年目の春(ソメイヨシノの咲く頃):接ぎ木を行う。
※育てた苗は台木となる為、途中で切断。接ぎ木用に切り取った枝を台木に差す。

3年目の秋:栗畑に移植。

<接ぎ木の利点>

  • 実の付きが早い。
  • 良い栗の遺伝子を引き継ぐ事が出来る。

明雄さんメモ

繋いだ枝に水分が行くようにしてあげればきっと大丈夫だ。何事もやってみない事には、何にもならないからな。

収穫

樹に生っている未熟果はまだ味が悪く、腐りやすいので落ちているものだけを拾う。

選別

  1. 選果台に栗をならべ、虫喰いや病気のものを取り除く。
  2. 選果機でサイズ別に分ける。
    3L:39mm以上/2L:35~39mm/L:32~35mm/M:29~32mm/S:29mm未満
    ※選果で分けられた小さい栗(主にSやMサイズ)が苗用の種として使用される。

今西 好文さん (71歳)

里山再生がマツタケ復活への一番の近道ということで、マツタケを復活させるべく里山の整備に力を注いでいる。

吉村 文彦さん (70歳)

京都大学農学博士。マツタケの生態研究などに携わる事、40年。
まつたけ復活させ隊を立ち上げなど、精力的にマツタケの研究や保全に務める。

マツタケ

キシメジ科。主に赤松の根に生える(共生する)。菌根菌のため人工栽培が難しく、いまだに完全な人工栽培には成功していない。
松の枯葉が厚く積もり腐葉土になると、富栄養化し雑菌が繁殖。雑菌に弱いマツタケの菌糸は負けてしまう。無駄な枝をはらったり落ち葉を掃いたりと、適度に人手の入った場所をよく好む。

丹波まつたけ

江戸時代、既に京都のマツタケは全国的に有名で、生産量が最大となった昭和初期には、丹波地域にある京都と兵庫の生産量が1、2を競い、品質的にも高い評価を受けていた。今でも京都はマツタケの主産地の1つではあるが、最盛期には収量も1千tを越え、蹴飛ばす程生えていたと表現される程だったが、近年では10tを越すことが稀になってきた。

アカマツとマツタケの関係

マツタケとアカマツは共生関係にある
アカマツ→マツタケ:光合成産物の糖類を送る
マツタケ→アカマツ:菌根を介して土壌中のミネラル分(窒素やリンなど)を送る他、土壌微生物の攻撃や乾燥から根を守る抗生物質のようなものを出す。

マツタケが発生するまで

  1. 1本のマツタケから、一週間以上かけて合わせて400億個の胞子が放出される。
    しかし、発芽するのは1%を下回る。
  2. 雨などの効果で地中に入り、発芽した2次菌糸がアカマツの細根に到達し、感染すると細胞間隔に侵入し、菌根となる。 ※一日以内にアカマツの細根に出会えない場合は死滅する。
  3. 菌根の周りに細い根があればどんどん感染し、周囲の細根に広がる。
  4. シロを土壌内部につくる。
  5. 地中の温度が19℃以下になると子実体の原基が形成され、やがて地上に頭を出す。
    ※マツタケが発生するのは、アカマツの樹齢が平均30年くらいから樹齢70年までの40年の間が多い。

明雄さんメモ

キノコが生える所は、西日が入る所が多い。だから、昔から、キノコを採る時は必ず西日が入る斜面を探してた。キノコを採る時は日差しを見て、山を見なきゃダメなんだ。

食害

エサ不足の影響でシカがマツタケを食べる被害が増加している。アカマツの樹皮までも食べてしまうため、地中から水分を吸い上げることが出来なくなり、枯れる原因にもなる。

アカマツが枯れる原因

  1. マツノマダラカミキリ(カミキリムシ科の体長3cm程の昆虫)は、気門から出るフェロモンに集まったマツノザイセンチュウ(ヨウセンチュウ目アフェレンクス科の線虫)を付けた状態でアカマツ間を移動する。
  2. マツノマダラカミキリがアカマツの若い枝を食べるときについた傷からマツノザイセンチュウが樹の中に侵入し、水の流れを塞ぐ。
  3. 水が通らなくなるため、アカマツが枯れる。

<対策>
マツノマダラカミキリの幼虫が羽化する前にアカマツごと焼却する。

木炭とマツタケの関係

マツタケの生産量の減少は人々の生活の変化に伴う。

高度成長期前
間伐しての炭づくりや腐葉土を畑に活用する事で自然と里山が整備された状態になっていた。

高度経済成長期後
電気・石油・プロパンガスなどを利用する生活へ変化し、枝葉が燃料として利用されなくなった。放置されたマツ林には雑木・雑草が生い茂りマツタケが発生しにくくなってしまった。

<全国のマツタケ生産量>
1941年:12,222t
2003年:80t(およそ153分の1)

<全国の木炭生産量>
1940年:2,699,355t
2003年:21,300t(およそ127分の1)
※農林水産省

明雄さんメモ

昔は、村の周りでもよく採れたけど、最近は採れなくなったな。やっぱり、昔は色々な人が山に入っていたから、自然と整備されていたけれど、今では山に入る事も減ったからな。

マツタケのための環境づくり

間伐
陽当たりと風通しを良くする。
間伐の目安は地面に対して3~4割が日向になるようにする。

地かき
地表の落ち葉や腐植などを根が見えるまでかき取る。
これが最も肝心要の作業で、マツタケ菌がアカマツの細根に出会うチャンスを増やす。