明雄さんのにっぽん農業ノート

低カロリーで食物繊維が豊富なのでお通じにいい。昔から、「お腹の土砂を下ろす」(『和漢三才図会』より)と言われていたほど。

日本への伝来

  • 諸説あるが、コンニャクは縄文時代にサトイモと一緒に伝来した、または、インドシナ半島から中国を経由して仏教と一緒に日本へ伝わったと考えられている。
  • 庶民の食品になったのは製粉方法が生まれた江戸時代から。

コンニャクイモの栽培

昭和村

  • コンニャクイモの生産量、日本一。
  • 昭和村は赤城山の北西麓に広がり、2,000m級の武尊、谷川連峰、榛名山などに囲まれている。村境には片品川と利根川が流れ、両川に沿って河岸段丘が形成されている
  • 土壌は、浅間山と榛名山から噴出した火山灰土(火山放出物未熟土)構成されているので、浸透性に富む。

日本一の理由

  1. 河岸段丘や火山灰土壌により、水はけが良い。
  2. 土地が平坦なため、トラクターなどを使って大規模な栽培が可能。
  3. 長年の土壌改良の結果、様々な野菜を栽培出来る環境になったため、連作障害対策として他の野菜とバランス良く輪作が行える。

<生産量の比較>

日本全体のコンニャクイモの生産量 67427t(平成22年)
群馬県のコンニャクイモの生産量 61900t(平成22年)
昭和村のコンニャクイモの生産量 13800t(平成18年)

※群馬県全体で日本の約90%のコンニャクイモを生産している。

コンニャクづくりの流れ
コンニャクづくりは分業制で行われている。

  1. 農家・・・コンニャクイモ栽培(群馬県内の栽培農家は1600~1700軒)
  2. 粉屋(製粉業者)・・・荒粉・精粉を作る。(製粉業者は約60軒)
  3. 練り屋(加工業者)・・・製品のこんにゃくを作る。(群馬県全体の60%は下仁田町で行われている)

コンニャク農家
堤 盛吉(つつみ もりよし)さん 60歳

コンニャク専業農家。18歳の頃からコンニャク栽培を行っている。連作障害防止のため、ほうれん草、小松菜、レタス、トウモロコシ(家畜飼料用)と2年ごとに畑を交換し、輪作をしている。

コンニャクイモの生長

  • 春に植えた種芋や生子から芽が出て、イモの養分を使いながら1枚の葉で過ごす。
  • 地上に見える部分は全て1枚の葉で、茎に見える部分は葉柄になる。そして、イモに当たる部分が茎にあたり、生子は球茎になる。
  • 養分を使い切った種芋は皮だけの状態になるが、秋に地上部が枯れると土の中に新たなイモ(新イモ)と生子が作られる。

※コンニャクが属するサトイモ科コンニャク属には多くの野生種があり、約130種にも及ぶ。その多くは東南アジアに生息しているが、コンニャクを作ることができるものはほとんどない。

生子(きご)

新イモから出来た小イモで、翌春に植え付けるまでをいう。2年目以降になればコンニャクづくりに必要なマンナンができる。

【1年目】
10~20グラムの生子を春に植え付け、約6か月間畑で生育し、5~8倍程度に肥大したイモを秋に掘り上げる。これは生子あがりと呼ばれる。

【2年目】
翌春に1年生を植えて、秋に収穫したイモ。1年目からさらに5~6倍程度に肥大する。

  • 500グラム以上の芋は加工原料として出荷
  • 500グラム以下の芋や着生した生子は翌春植え付け用として貯蔵。

【3年目】
春に2年目を植えて、秋に収穫したイモ。小さくとも300グラム程度の種イモを植え付けるため、その秋にはほとんどのイモは1500グラム以上になり、すべて出荷できる。
※3年目の種芋を植えれば、4年目は16キロ程度の芋が出来る。(ただし花芽を取らないと花が咲いて芋が出来ない可能性有り)

  • サトイモ科の植物のため、同じサトイモ科のサトイモ、ミズバショウなどと似ている。
  • 定植してから4~5年で花が咲くようになるが、花が咲くとイモが収穫出来なくなる。
  • ハエなどを呼びよせ受粉するため、花が咲くと動物が死んで腐ったような匂いを放つ。
  • ショクダイオオコンニャク(スマトラオオコンニャク)は、生長すると花が3mにもなる。
    この花は、世界最長の花としてギネスブックに載っているが、世界一臭い花としても載っている。

コンニャクイモの収穫方法

  1. 機械に絡み付いてしまうため、枯れて倒伏した葉を退かす。
  2. コンニャク専用の掘り取り機で地中のイモを掘り出す。
  3. ベルトコンベヤーでイモをトラクターの後ろに落とす。
  4. 手作業で生子を集める。
  5. 2台のトラクターで芋を回収する。前のトラクターがイモを拾い、後ろのトラクターのバケットに入れる。
  6. コンテナに入れて出荷。

保管方法
コンニャクイモは腐りやすいため、収穫後は温度管理下での保管が必要。
→表面をよく乾燥させてから、風通しの良いカゴなどに入れて最低気温が13℃以下にならない場所で保管する。DASH村では囲炉裏の上で保管した。

明雄さんメモ

  • 数年かけて大きく作る作物は珍しいな。16キロのコンニャク芋は本当に驚いた!
  • コンニャク芋はサトイモに似ている所が結構あるぞ。サトイモも生子のように、子イモが出来て、それを親イモに使ったりするからな。
  • 2台のトラクターを連結させて使用する場面は初めて見たな。こういうのは、本場でないとなかなか見れるもんじゃないから、貴重な経験だな。

こんにゃくの製粉

製粉の歴史
1759年、常陸国久慈郡諸沢村(現・茨城県那珂郡山方町)の農民だった中島藤右衛門(なかじまとうえもん)が、畑仕事をしていた時、コンニャクイモの断面が乾いて白く粉をふいたようになっていのを見つけたことをきっかけに精粉づくりの研究を始めた。1776年、18年がかりで粉コンニャクを開発。その功績から1806年、水戸藩から苗字、帯刀、裃着用を許された。

粉にする事の利点

  1. 傷みやすく日持ちのしないコンニャクイモを保存出来るようになった
  2. 収穫期である秋から冬にかけてしか食べられない高級食材だったコンニャクが1年中食べられるようになり、江戸時代にはコンニャクの需要は桁違いに増えた。
  3. 粉にすることで大幅に軽量化され、遠隔地への輸送が容易になり、販路が急激に広がった。精粉は生芋の10分の1の重量になる。

宇佐美商店(コンニャクイモ製粉業者)
宇佐美 勝明(うさみ かつあき)さん 53歳

大正時代から続く製粉工場。ひいおじいさんの代に創業し、宇佐美さんは4代目。宇佐見さんが小学生の頃は水車を動力にしての製粉、天日乾燥の荒粉づくりも行っていた。精粉の年間出荷量60~80t。

荒粉づくりの工程

  1. 水洗い
  2. カンナ(セン)でイモを2.8~3.0mmの厚さにスライス
  3. 95℃の乾燥機の中で火力乾燥
  4. ローラー(20キロ)で細かくしたら、荒粉の完成。臼搗(うすつき)製粉へ。

臼搗(うすつき)製粉の工程
杵と臼で23時間搗いて製粉する方法。もともと河川の急流が利用されていたが、高度経済成長期に水車から電力へと動力が移り変わった。摩擦により熱が発生しないため、粒子のキレイな粉に仕上がる。
荒粉の40%は飛粉(とびこ)と呼ばれるもので、コンニャクを作ることはできず、用途としては魚のエサや家畜の飼料など。
→杵に板状のもの(あおり板)が取り付けられ、搗きながら臼の中を扇ぐ。これによって、飛粉が巻き上げられて取り除かれ、臼には精粉(コンニャクマンナン)だけが残る。

コンニャクマンナン(グルコマンナン)とは

  • コンニャクマンナンはコンニャクイモに含まれている食物繊維。
  • 水を吸うと100~200倍に膨らむ。
  • 自然界で最も分子量が大きく、無味無臭であるため、食品・健康食品・化粧品などに利用される。
  • 食物繊維は胃腸で消化出来ないため、人間の栄養にはならない。

DASH村でのマンナンの取り出し方

  1. シュウ酸(シュウ酸カルシウム)が手に付かないように、ゴム手袋をして、コンニャクイモの表面を洗う。
  2. 水を張った桶の中で、おろし金を使い、すりおろして沈殿させていく。
  3. 翌朝、上澄みを捨て、沈殿させたマンナンのみを取り出す。
    ※精粉と違い、皮やデンプンなどの不純物が含まれる。

中野 民二(なかのたみじ)さん 73歳
中野 ツナ子(なかのつなこ)さん 73歳

2代目荒粉づくり農家。50年以上コンニャクイモの栽培、荒粉づくりをしている。

甘楽町のコンニャクの歴史

1505年に甘楽郡大日向村(現 南牧村)の茂木兵平衛が、紀州(和歌山県)から種イモを持ち帰り、栽培を始めたのが最初と言われている。
山間の傾斜地は降った雨が畑に溜まりにくいため、根腐れ病にかかる心配が少なかったが、段々畑の急な斜面では機械が入ることが難しく、手作業で一度に沢山の面積のコンニャクを作ることが難しかった。昭和50年代になると農家は荒粉の生産をやめて、生芋で販売するか、火力乾燥で加工した荒粉を販売するようになり、徐々に天日乾燥で荒粉を生産する人は減っていった。昔は125軒程があったものが、現在では5軒しか残っていない。

天日乾燥による荒粉製造

天日乾燥粉で作ったコンニャクの特徴

  • 精粉したときのマンナンの量が少ないため、火力乾燥で作った粉よりも粉を多く使用する。そのため、弾力性のあるコンニャクになる。
  • 味染みがいい。コンニャクイモの風味が残っていて、生芋から作ったコンニャクに近い味になる。

天日乾燥の荒粉づくりの工程と道具

【土落とし機】
電動でブラシが動いているため、中に芋を入れると土が取れる。

【生玉洗い】
粗方の土を取り除いた後、ドラム缶に水を溜めたものに芋を入れ、洗い棒で洗って芋をキレイにする。

【蒟蒻裁断機(佐藤式)】
箱の部分にイモを入れ、イモの下を刃が行き来することでスライスされる。昭和30年頃までよく使われていた。

【すず竹と連棒】
こんにゃく芋同士を指1本分、離してすず竹に刺し、連棒に吊るして3~4日ほど天日乾燥させる。乾燥した後は、重さが五分の一程になる。

【荒粉こき器】
V字型の切り目が入っている板で、乾燥したこんにゃく芋を外す。

連場(れんば)
連を天日乾燥させる場所を連場と呼ぶ。南向きに積まれた石垣の保温効果と空っ風によって早く乾燥できる。

空っ風の原理
冬に山から吹き下ろす冷たくて強い風。シベリアから吹いてくる風が日本海の上を通るときに沢山の水蒸気を含み山にあたって雪を降らせる。水蒸気を減らして軽くなった風は山を越えて群馬に吹き下ろす。更に山の冷たい空気と一緒に吹き下ろすため、非常に冷たく、乾いた風になる。

明雄さんメモ

  • コンニャク芋を製粉する方法は、西洋わさびを製粉した時と似ていたな。

天下一蒟蒻黒澤商店(加工業者)
黒澤 富男(くろさわとみお)さん 58歳

明治38年創業の天下一蒟蒻黒澤商店の店主。下仁田町で最も古いコンニャク屋を経営。
バタ練り機を使う前はDASH村と同様、生芋からコンニャクを作っていた。

コンニャクの加工

計量~のりがき
①ポリバケツに55℃のお湯を70リットル入れ、かき混ぜ棒で渦を作り、コンニャクのり用の粉(2キロ)を加え、2~3分よく混ぜる。この作業をのりがきという。
※かき混ぜるスピードと粉を入れる早さが重要。渦を作らずに粉を入れるとダマになってしまい、粉が溶け
きらない。
15分放置すると、粉が水を吸ってゲル状になる。

②バタ練り機にお湯を入れる。色づけ用の海藻粉末を入れ、混ぜる。

③ゲル状になったコンニャクのりを加え、バタ練り機で15分練る。

④石灰230gをお湯に溶いた凝固剤を加え、1分間撹拌し、枠に流し込む。石灰を加えた後は5秒長くても短く
ても美味しいコンニャクにはならない。最初の20秒間は速く撹拌、後半の40秒はゆっくり撹拌するのがコツ。

コンニャクの色
製粉技術が開発されるまでは芋の皮が混ざったり、凝固剤として木灰の灰汁を入れていたため、コンニャクは黒い色をしていた。粉からコンニャクを作れば白いコンニャクが出来るが、馴染みが薄く、評判がよくなかったため、アラメやヒジキなどの海藻粉末を混ぜて黒く着色している。

バタ練り機
バタバタと音をたてて動くためバタ練り機と呼ぶ。羽を動かして、空気を取り込みながら練るため、出来上がったコンニャクに気泡が入る。

〈利点〉

  • 水分の浸透率がいい
  • 灰汁抜きがしやすい
  • 味染みがいい
    ※通常の工場で使用している練り機は練りの工程で空気が入らない。

コンニャクのり
生芋でも精粉でも、マンナン粒子は水の中で水分を吸って膨潤する。それを撹拌すると、コンニャクマンナンは水の中で長く伸び出してお互い絡み合い、ゲル状になる。こんにゃくゲルは、加熱しても、もとの糊状に戻らないことが大きな特徴。そのため、コンニャクは寒天やゼラチンと違って、熱々の煮物やおでんでも、美味しく食べることが出来る。

石灰(水酸化カルシウム)

  • 市販のコンニャクに使われる凝固剤の中で最も一般的で古くから使われている。
  • 少量でも早く固まる。→枠に流し込んでから24時間で固まる。
  • コンニャクの独特のにおいの原因は石灰によるもの。
    ※DASH村では、大豆の殻を燃やした草木灰の灰汁を凝固剤として使用した。

明雄さんメモ

幼い頃、近所の人がコンニャクを作っていたけど、ちゃんと見た事はなかったな。昔のコンニャクは凄い柔らかくて、豆腐のようだったぞ。

下仁田ネギとは

白く太い白根(15~20センチ)と、煮たときに出る独特の甘味が特徴。特に鍋物に最適なネギとして人気が高い。下仁田ネギは風味がいいことから徳川幕府や大名に献上され、『殿様ネギ』とも呼ばれるようになった。1934(昭和九)年と1941(昭和十六)年には天皇に下仁田ネギが献上されている。下仁田ネギの辛味は一般的な根深ネギと比較して約2倍辛い。熱することによって酵素が働かなくなった場合、甘さを感じる事が出来る。

下仁田ネギ農家
土屋 長一郎(つちや ちょういちろう)さん 61歳

下仁田葱の会に所属し、伝統的な栽培方法を守って栽培している。

栽培スケジュール

  • 10月・・・種蒔き
  • 4月・・・1回目の植え替え
  • 8月・・・2回目の植え替え
  • 12月・・・収穫
  • 翌年6月・・・種取り
    ※春と夏の2回植え替え作業を行い、生育のいい苗と悪い苗の選別を行う。夏期におこなわれる植え替え作業によって、硬い土壌中から掘り上げられた根は切断されることが多く、ストレスにより養分を溜め込み甘くなる。

粘土質の土壌
高品質の下仁田ネギの産地においては、高い土壌養分と重粘な土性が特に重要。重く固い粘土質の土は、締まりが良く、丈夫でしっかりしたネギを育てる。

ネギロケット
ネギ専用の植え替えの道具。ネギが曲がらず、真っ直ぐに生長するため、商品価値が上がる。穴の深さが一定でネギの生育が揃えられる。一度に9個の穴を開ける。

明雄さんメモ

  • 下仁田ネギは畝が高かったな。高い分、水はけも良くなるから、下仁田ネギには高い畝がいいんだな。
  • 白い部分が短いのに手では抜けないのは、根張りがいい証拠だな。根張りが良くなければ、あそこまで太くはなれないな。
  • 春になったら、植えてみるぞ。下仁田のようには育たないけど、何でもやってみないと分からないからな。