低カロリーで食物繊維が豊富なのでお通じにいい。昔から、「お腹の土砂を下ろす」(『和漢三才図会』より)と言われていたほど。
日本一の理由
<生産量の比較>
日本全体のコンニャクイモの生産量 | 67427t(平成22年) |
群馬県のコンニャクイモの生産量 | 61900t(平成22年) |
昭和村のコンニャクイモの生産量 | 13800t(平成18年) |
※群馬県全体で日本の約90%のコンニャクイモを生産している。
コンニャクづくりの流れ
コンニャクづくりは分業制で行われている。
コンニャク専業農家。18歳の頃からコンニャク栽培を行っている。連作障害防止のため、ほうれん草、小松菜、レタス、トウモロコシ(家畜飼料用)と2年ごとに畑を交換し、輪作をしている。
※コンニャクが属するサトイモ科コンニャク属には多くの野生種があり、約130種にも及ぶ。その多くは東南アジアに生息しているが、コンニャクを作ることができるものはほとんどない。
【1年目】
10~20グラムの生子を春に植え付け、約6か月間畑で生育し、5~8倍程度に肥大したイモを秋に掘り上げる。これは生子あがりと呼ばれる。
【2年目】
翌春に1年生を植えて、秋に収穫したイモ。1年目からさらに5~6倍程度に肥大する。
【3年目】
春に2年目を植えて、秋に収穫したイモ。小さくとも300グラム程度の種イモを植え付けるため、その秋にはほとんどのイモは1500グラム以上になり、すべて出荷できる。
※3年目の種芋を植えれば、4年目は16キロ程度の芋が出来る。(ただし花芽を取らないと花が咲いて芋が出来ない可能性有り)
花
コンニャクイモの収穫方法
保管方法
コンニャクイモは腐りやすいため、収穫後は温度管理下での保管が必要。
→表面をよく乾燥させてから、風通しの良いカゴなどに入れて最低気温が13℃以下にならない場所で保管する。DASH村では囲炉裏の上で保管した。
製粉の歴史
1759年、常陸国久慈郡諸沢村(現・茨城県那珂郡山方町)の農民だった中島藤右衛門(なかじまとうえもん)が、畑仕事をしていた時、コンニャクイモの断面が乾いて白く粉をふいたようになっていのを見つけたことをきっかけに精粉づくりの研究を始めた。1776年、18年がかりで粉コンニャクを開発。その功績から1806年、水戸藩から苗字、帯刀、裃着用を許された。
粉にする事の利点
大正時代から続く製粉工場。ひいおじいさんの代に創業し、宇佐美さんは4代目。宇佐見さんが小学生の頃は水車を動力にしての製粉、天日乾燥の荒粉づくりも行っていた。精粉の年間出荷量60~80t。
荒粉づくりの工程
臼搗(うすつき)製粉の工程
杵と臼で23時間搗いて製粉する方法。もともと河川の急流が利用されていたが、高度経済成長期に水車から電力へと動力が移り変わった。摩擦により熱が発生しないため、粒子のキレイな粉に仕上がる。
荒粉の40%は飛粉(とびこ)と呼ばれるもので、コンニャクを作ることはできず、用途としては魚のエサや家畜の飼料など。
→杵に板状のもの(あおり板)が取り付けられ、搗きながら臼の中を扇ぐ。これによって、飛粉が巻き上げられて取り除かれ、臼には精粉(コンニャクマンナン)だけが残る。
コンニャクマンナン(グルコマンナン)とは
DASH村でのマンナンの取り出し方
1505年に甘楽郡大日向村(現 南牧村)の茂木兵平衛が、紀州(和歌山県)から種イモを持ち帰り、栽培を始めたのが最初と言われている。
山間の傾斜地は降った雨が畑に溜まりにくいため、根腐れ病にかかる心配が少なかったが、段々畑の急な斜面では機械が入ることが難しく、手作業で一度に沢山の面積のコンニャクを作ることが難しかった。昭和50年代になると農家は荒粉の生産をやめて、生芋で販売するか、火力乾燥で加工した荒粉を販売するようになり、徐々に天日乾燥で荒粉を生産する人は減っていった。昔は125軒程があったものが、現在では5軒しか残っていない。
天日乾燥粉で作ったコンニャクの特徴
【蒟蒻裁断機(佐藤式)】
箱の部分にイモを入れ、イモの下を刃が行き来することでスライスされる。昭和30年頃までよく使われていた。
【すず竹と連棒】
こんにゃく芋同士を指1本分、離してすず竹に刺し、連棒に吊るして3~4日ほど天日乾燥させる。乾燥した後は、重さが五分の一程になる。
【荒粉こき器】
V字型の切り目が入っている板で、乾燥したこんにゃく芋を外す。
空っ風の原理
冬に山から吹き下ろす冷たくて強い風。シベリアから吹いてくる風が日本海の上を通るときに沢山の水蒸気を含み山にあたって雪を降らせる。水蒸気を減らして軽くなった風は山を越えて群馬に吹き下ろす。更に山の冷たい空気と一緒に吹き下ろすため、非常に冷たく、乾いた風になる。
明治38年創業の天下一蒟蒻黒澤商店の店主。下仁田町で最も古いコンニャク屋を経営。
バタ練り機を使う前はDASH村と同様、生芋からコンニャクを作っていた。
計量~のりがき
①ポリバケツに55℃のお湯を70リットル入れ、かき混ぜ棒で渦を作り、コンニャクのり用の粉(2キロ)を加え、2~3分よく混ぜる。この作業をのりがきという。
※かき混ぜるスピードと粉を入れる早さが重要。渦を作らずに粉を入れるとダマになってしまい、粉が溶け
きらない。
15分放置すると、粉が水を吸ってゲル状になる。
②バタ練り機にお湯を入れる。色づけ用の海藻粉末を入れ、混ぜる。
③ゲル状になったコンニャクのりを加え、バタ練り機で15分練る。
④石灰230gをお湯に溶いた凝固剤を加え、1分間撹拌し、枠に流し込む。石灰を加えた後は5秒長くても短く
ても美味しいコンニャクにはならない。最初の20秒間は速く撹拌、後半の40秒はゆっくり撹拌するのがコツ。
コンニャクの色
製粉技術が開発されるまでは芋の皮が混ざったり、凝固剤として木灰の灰汁を入れていたため、コンニャクは黒い色をしていた。粉からコンニャクを作れば白いコンニャクが出来るが、馴染みが薄く、評判がよくなかったため、アラメやヒジキなどの海藻粉末を混ぜて黒く着色している。
バタ練り機
バタバタと音をたてて動くためバタ練り機と呼ぶ。羽を動かして、空気を取り込みながら練るため、出来上がったコンニャクに気泡が入る。
〈利点〉
コンニャクのり
生芋でも精粉でも、マンナン粒子は水の中で水分を吸って膨潤する。それを撹拌すると、コンニャクマンナンは水の中で長く伸び出してお互い絡み合い、ゲル状になる。こんにゃくゲルは、加熱しても、もとの糊状に戻らないことが大きな特徴。そのため、コンニャクは寒天やゼラチンと違って、熱々の煮物やおでんでも、美味しく食べることが出来る。
石灰(水酸化カルシウム)
幼い頃、近所の人がコンニャクを作っていたけど、ちゃんと見た事はなかったな。昔のコンニャクは凄い柔らかくて、豆腐のようだったぞ。
白く太い白根(15~20センチ)と、煮たときに出る独特の甘味が特徴。特に鍋物に最適なネギとして人気が高い。下仁田ネギは風味がいいことから徳川幕府や大名に献上され、『殿様ネギ』とも呼ばれるようになった。1934(昭和九)年と1941(昭和十六)年には天皇に下仁田ネギが献上されている。下仁田ネギの辛味は一般的な根深ネギと比較して約2倍辛い。熱することによって酵素が働かなくなった場合、甘さを感じる事が出来る。
栽培スケジュール
ネギロケット
ネギ専用の植え替えの道具。ネギが曲がらず、真っ直ぐに生長するため、商品価値が上がる。穴の深さが一定でネギの生育が揃えられる。一度に9個の穴を開ける。