約400年前、秀吉が贅を尽くした聚楽第が取り壊され、周りの堀が住民たちのゴミ場になっていた。そこにゴミの一つとして捨てられたゴボウが越冬し、巨大に生長。そのゴボウの香りも高く、味も柔らかく美味しかったことから、付近の農家が栽培を始めたのがきっかけといわれる。
→ほとんどのゴミが生ゴミだったので、有機栽培の様な状態で、肥沃な土壌だった。
→1887年頃には、堀川および葛野郡大内村中堂寺を中心に栽培。
→その後、都市化によって、洛北方面に移り、左京区修学院、一乗寺付近が主な産地になった。