那覇空港から南に約20kmのところに位置する町。
八重瀬町は、ピーマンの生産量が沖縄一。特に具志頭で多く作られている。
その他、「ぐしちゃんいも」と名付けられているジャガイモや、マンゴー、オクラなど農業が盛んに行われている。
地元一番の若手ホープ。約800坪の畑でピーマン栽培を行っている。
小さい頃から農業に興味があり、18歳のときに後を継ごうとしたが、「一度世の中をみてこい」という父親の言葉により、東京で働くことに。
しかし、1年後の夏に、父親が亡くなったため、急遽沖縄へ戻り、跡を継ぐことに。
ピーマンの他に、オクラやトマトも栽培している。
江戸時代にポルトガル人の手によって日本に入ってきた。
フランス語のpimentが語源になっており、原産地は南米の熱帯地方である。
日本に入ってきた当初は辛さを持っていたが、交配を繰り返していくうちに辛さが消え苦味が増えていった。
第二次世界大戦以降になってから日本の食卓に並ぶようになり、現在では茨城県や宮崎県、高知県産のピーマンが主流となっている。
また、ピーマンは細胞の働きを活性化してくれるビタミンAやCを多く含んでいるため、疲労回復や風邪予防に効果的。
サイズは、一般的なピーマンの3倍程。手のひらサイズで、持った時にずっしりくる感覚がある。
大きく育ったピーマンは収穫前に木になっている状態から、自らの重みで落ちてしまうことがあるため、収穫する絶妙なタイミングが大事。
一般的なピーマンとは対照的に、皮の厚さが3ミリほどもある。
その為、肉厚な実には水分が多く含まれており、かじった時にしぶきが飛ぶほど。
水分だけでなく、旨味成分や栄養分も多く含まれる。
沖縄の土壌は、沖縄本島北部を中心とした「国頭マージ」、沖縄本島中南部、宮古島を中心とした「島尻マージ」、そして、沖縄南部を中心とした「ジャーガル」の3つに大きく分けられる。
ジャーガルは一旦水分を含むと水持ちが良いため、しばらくの間粘土質の状態を保っているが、逆に水が抜けると石のように硬くなってしまうため、作物を育てるのは難しい土壌とされている。
しかし、ジャーガルは、海底に堆積した砂や泥が隆起して出来た土であるため、ミネラルや、貝、サンゴの死骸など多く含んでいる、沖縄の中で最も肥沃な土壌と言われている。
そのため、ジャーガルで栽培される作物は、木が元気に育ち、光合成も活発に行うことができる。
ピーマンの苦味は、光合成をすることで甘味のもとアミノ酸に変わり、苦味成分がほとんど無い状態になる。
「ジャーガル」という名前は沖縄県中部に位置する謝苅(じゃーがる)地区の地層から発見され、硬くゴツゴツしていたことから名付けられたと言われている。
また、諸見謝さんは、土壌作りの際、硬いジャーガルに、サトウキビの枯葉などからなるトラッシュをすき込んでいる。
これによって、土の中にいる微生物の活動を活発化させ、団粒構造を作る。
その結果、硬いジャーガルに隙間が生まれ、根が張りやすくなり、ジャーガルの栄養分をより多く吸収することに繋がっている。
収穫する際には親指を軸に当てて折る。残った部分はハサミでカットする二度切りの方法。
ピーマンは、大きさや色だけでなく、固さが重要である。
より固いものが完熟に近く、また軸が太いものが甘いと言われている。
収穫に適した時期を過ぎると緑から赤に色が変わっていく。
ピーマンの花が咲いてから、約20日が収穫どきなのに対して、赤い実は約50日ほど経ってしまった完熟。しかし、ビタミンCは、緑ピーマンの約2倍になるなど、甘みも栄養素も増える。
しかし、日持ちしないため、出荷されることはほとんど無い。
運ばれてきたピーマンは、一番初めに手作業で出荷できるものと、出来ないものに分ける。
赤く変色したものや傷ものを取り除く。
その後、2011年に導入された最新機器によって、10秒間に30個のピーマンの表面積を測る。
表面積の大きさにより9段階に分けられ、出荷用ダンボール箱に。