平塚市は、県の中央南部に位置する人口約26万人の都市。丹沢・大山や富士・箱根連山を遠望
できる四季温和な気候である。毎年夏には「湘南ひらつか七夕まつり」や「湘南ひらつか花火大会」が開催され、多くの人で賑わう。また、米の生産高は県下トップクラスであり、昨年平塚から誕生したブランド米「はるみ」は、2016年度米の食味ランキングで最高評価の特Aを受賞した。
1971年創業「(株)湘南きゅうり園」の3代目。大学時代にバトミントンサークルの後輩だった
奥さんと出会い、結婚。大学卒業後はすぐに家を継がず、種苗メーカーに勤めていたが、2010年に農業アカデミーの研修に参加し、平塚のきゅうりを広めたいという思いから継ぐことを決意。今では様々な特徴のある7種類のきゅうりを栽培し、畑の規模は、2400坪。
平塚市のきゅうり栽培の歴史は古く、100年以上前から続いている。平塚市はもともと神奈川県内でもトップクラスの米どころであり、その理由は、豊富な山水、日当たり、平らな土地、と米の栽培に最適な条件が揃っている。きゅうりはその条件にピッタリだったため、質のいいものがとれて産地として、栄えた。
きゅうりは、生育する過程で葉っぱや茎に当たってしまうと、すぐ曲がってしまう。
しかし、吉川さんのきゅうりはこまめに、余分な葉を取り除いたり管理が行き届いているため、曲がっているものが少なく、まっすぐなものが多い。
丹沢山地の一部、大山から湧き出すミネラル豊富な地下水を使って育てるため、光合成が活発になり、みずみずしくて甘いきゅうりが育つ。
平塚市では明治32年頃からきゅうりの栽培が始まり。
その頃、平塚市一帯で主に栽培されていたのが相模半白節成。
実の半分が白く、黒くて大きなイボがあるのが特徴。当時、きゅうりは漬物にして食べるのが一般的であり、相模半白は肉厚で水分が少ないため漬物に向いていた。だが、昭和39年の東京オリンピックを境にきゅうりを生で食べるサラダ文化が海外から日本に入り、一般的な青きゅうりに比べ、彩りが悪いことからサラダに向かないと栽培されなくなってしまった。
しかし、吉川さんが相模半白の魅力を伝えたいと、神奈川県の農業技術センターに研究用で保管されていた種をわけてもらい、2010年に復活させた。
それ以来、自分自身で自家採種しながら、毎年栽培している。
トゲが全くない、イボなしのきゅうり。トゲが無いため水分が逃げにくく、互いに傷つけ合うことも無いため、鮮度がよく、日持ちする。サラダに向いている。
またフリーダムを使って、星型やハート型のきゅうりも作っており、結婚式場などに出荷している。
収穫は刃が付いた『きゅうり爪』を親指につけて行う。刃の裏側にはクッションが付いていて、きゅうりに触れても傷が付かないようになっている。きゅうりのヘタに近い部分には、トゲが少ないため、その部分を持って5mmほどツルを残して切る。
そうすることで、トゲのある部分には触れずに収穫することができ、鮮度が良いまま出荷できる。
収穫し終わったきゅうりを作業所に運び終わったら、まず1本ずつ重さを測って、105g以上をS~Lのサイズに分け、その後、吉川さんお手製の定規で曲がり具合を測り、A~Cのランク別に分けられ箱詰め。全て詰め終わったら水分が飛ばないようビニールで覆う。
東京に近い立地のため、輸送時間がかからず、朝収穫されたきゅうりは、その日の夕方に市場に出され、翌朝には店頭に並ぶ。