やぎのつばさが病気でなくなりました。
この日はとても寒い日でした。数分前まで何事もなく兄のつかさと元気に飛び回っていたのに、突然、硬く、冷たく、動かなくなってしまいました。急いで来て頂いた獣医さんに診てもらったところ、この病気は急性鼓脹症とのことでした。胃の中にガスがたまって、自家中毒を起こし、発病から数十分で死んでしまう、突発的な病気らしいのです。食べ過ぎか、たまたま胃の中で発酵するものを口にしてしまったようでした。その、わずかな時間の症状の変化にも気付くことのできなかった自分が悔やまれてなりません。目を閉じたまま横になっているつばさの傍で、何とかして動いてくれないかと望むもどうにもなりません。マサヨの鳴き続ける今まで聞いたことのなかったような大きな声に、胸が痛みました。そして、うつむいて押し黙る八木橋と兄のつかさ、北登。悲しいことがあったと感じとったのでしょうか。もう、元気に飛び回るつばさはいません。

こうしたことはDASH村に当時3ケ月の仔やぎだった八木橋がやってきたときから常に、もしかしたら、と考えていたことではありました。八木橋が来て、北登が来て、マサヨが来てつかさとつばさが生まれました。自然の流れの中で生きている以上、命には限りがあります。おそらく、人間より短く、弱いものです。それが、あまりにも突然、現実のこととなってしまいました。

兄のつかさと弟のつばさ。つばさはとても好奇心旺盛で、自立心の強いやぎでした。
最初は活発なつかさにいつもくっついているという感じでしたが、小屋の外へ出ていくにつれ、ひとりでもどこへでも行くようになりました。そして、つかさは常にマサヨかつばさを探して一緒に歩き回るのに対し、つばさはひとりでも平気で、草を探したり、川をのぞき込んだり、DASH村を気ままに探検するようになっていきました。

DASH村へやってきて、何度も自然の脅威に触れ、そして、何度も命の誕生に触れることができました。動物も作物も花も、土だって、家だって命です。私、清の役目は、その沢山の命を見守り、時に手を貸す、少々世話好きの番人だったように思います。
すべて一から、いやゼロからのスタートでこの役目を楽しめるまでになりました。
TOKIOの皆さんにアドバイスまでしたり、共に成長させていただきました。学んで、見守って、泥が顔に付いても口に入っても平気になって、そうしたことを通して、この悲しい出来事も、重く、しっかりと受け止められるようになったのだと思います。
明雄さん、金光さん、孝子さん、遠藤さん、島崎さん、飛田さん、窪田さん、鉄雄さん、・・・と挙げきれないほどの多くの方々、そして、池田さん。この小さな歴史の浅い村は、皆さん無しにはどんな命も生まれませんでした。皆さんの知恵と優しさを尊敬致します。いつも笑顔で若々しい明雄さんは、実は、一昨年の7月、45年連れ添った奥様を亡くされました。でも私達の前では辛い顔を見せないように懸命だった姿に、男として、人間としての強さと愛情を感じました。本当に頭が下がります。そんな人間に私もなっていきたいと考え、旅立ちます。

つかさは今やすっかり大人の風格が出てきて、父である八木橋にもおそれずに角相撲を挑むほどになりました。それを見るたびに、もう二度と、あの兄弟ニ頭の闘いを見ることができないと思うと・・・。苦しいものがあります。