放送内容

2015年7月22日 ON AIR

世界一?暑くて辛い村

 アフリカ東部の国エチオピア。赤道に近いこの国に、気温は50℃超え、ほとんど雨も降らず植物も育たない村がある。一体そこで人々はどうやって生活しているのか?仰天探検隊が現地へ飛んだ。日本から飛行機で17時間。まずはエチオピアの首都、アジスアベバに。そこからさらに7時間半、ようやく小さな集落が...。到着したのはアファール州ハマデラ村。ここが世界で最も過酷と言われる灼熱の大地。


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 午後3時半。村の気温は43.5℃、そこはまるで熱い風呂。村の一角を借りて宿泊。ここにはエアコンも、トイレもない!
翌朝5時40分、気温は30℃と、朝はやや涼しい。村人ムサさんの家にお邪魔してみると、建物は木材をしっかり組んで適度に風を通す造り。草木を編んで作った天井や壁だが、雨は5年も降っていないのでこの造りでも問題ないのだという。すると、ムサさんは家畜のヤギをつれどこかに出発。向かった先には井戸があった。ここの水は塩分を含んでおり、人間は飲まないが、ヤギにとっては貴重な塩分と水分の補給となるという。
ちなみにムサさんは、ビニール袋に入れられた冷えた水を飲んでいた。実は村には冷蔵庫があった。一つだけある発電機により電気が供給されている。ただし、電気を使用しているのは何かを冷やす必要のある飲食店などだけ。この電気を利用し、村にはテレビも携帯電話も普及していた。


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 昼をすぎると気温はぐんぐん上がり45.5℃、湿度は14%に。試しに洗ったTシャツを軽くしぼって干してみると、わずか15分で完全に乾いた。この気候の中取材を続けていると...、十分注意していたにもかかわらず、あまりの暑さにスタッフも熱中症になってしまった。
 この過酷すぎる村で、人々はどうやって収入源を得ているのだろうか?仰天スタッフは村人達の仕事に同行させてもらうことに。翌朝6時半、一台のトラックが到着すると、若者からおじさんまで50人以上が荷台にすし詰めとなり、仕事場に向かい出発した。45分かけ到着した場所には、カラカラに乾いた大地が広がっていた。すると、男性達は次々と地面を切り出し始めた。実は見渡す限りの大地は全て塩だったのだ。


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 しばらくすると遥か向こうの地平線に...ラクダの行列が。実は塩の運搬はまた別の民族が行なっていた。アファール族は塩を掘り出して売り渡すまでが仕事。ラクダとともにやってきたのは、ティグレ族。彼らは少し離れた高地に暮らしており、約190キロ離れたこの地に4日かけて歩いてきたのだという。塩の「採掘」と「運搬」とを民族で分業している理由は、この地の財産である塩を巡る争いを避けるためだという。
 午後3時、ようやく塩の採掘が終わると、塩の運搬準備が始まった。ラクダ一頭の背中に積む塩のブロックは約20個。その重さはなんと100kgにもなる。この塩は1ブロック4ブル(約20円)で取引される。彼らはこれから、60km先にある塩の取引所までこのラクダとともに歩いて運搬する。仰天スタッフもこの運搬に同行させてもらうことになった。
 午後3時半。気温48℃、吹きさらしの熱風の中、出発。見渡す限りの塩の大地に、日陰などない。歩き始めてわずか10分で仰天スタッフはギブアップ。一方。キャラバン隊を率いるデスタさんは、歌を歌いながらテンションあげあげで絶好調。夜には水場で休憩し、ゆっくりと進む中、採掘場を出てから約26時間。60km先の塩の取引所に到着、無事に塩を売り渡すことができた。

 それにしても、なぜこんな過酷な大地で生きるのか?アファール族は語る。「ここでは好きなときに寝て好きなときに起きられる。なによりここには塩があります。それだけで充分です」過酷な大地に平和に暮らす人々。最後に、村長さんにあいさつに行った。実は暑い時期は彼らも避暑地へ行くのだという。アファール族にもここは暑くて辛すぎる。日本でこれが放送される頃、彼らはこの村にはいない...。

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