誰かが自分を監視している
山梨県、甲府市。
佐久本庸介さん(31)は統合失調症という病と10年以上闘い続けている。
統合失調症とは約100人に1人の割合で発症する原因不明の精神疾患のひとつ。
10代のころに発症し様々な症状に悩まされながらもがき続けた彼の壮絶な半生とは?
"きっかけは中学生時代のイジメだった"
庸介さんは3つ上の兄と両親との4人家族。
小さいころは友達を笑わせることが好きな明るい少年だった。
ところが中学生になり、その性格が一変する。
庸介さんは元々肌が弱く、肩や髪の毛にフケが目立っていた。
これが原因で多感な時期にクラスメートからのいじめの対象になってしまう。
この頃から庸介さんは友人とも距離を置くようになり一人でいることが多くなった。
高校でも友人は出来ず、いつも一人。
そんな生活を脱するべく、東京の大学に進学し一人暮らしを始めた。
しかし、これまでの性格を急に変えられるわけもなく
同じ大学の同級生にもどうやって声をかけていいのかわからない。
気になるのは周りの会話。
人の悪口が聞こえると自分が言われているのではないか?と考えるようになってしまう。
結局、大学でも友達を作ることが出来ずうちで一人好きな絵を書くことが多くなった。
そして19歳の夏、思いもよらぬ事が起こった。
"どこからか自分を笑う声が聞こえる"
ある夜の事、肌をケアする薬を塗っている時の事、
誰かの声:「今日も塗ってるね」
誰かの声が聞こえた。
辺りを見渡しても誰もいない。気のせいか?
すると「塗るのやめたんだ?」と自分の状況がわかっている様子で再び声が聞こえた。
この声には聞き覚えがあった。
それは自分の部屋の隣に住むカップルの男性。
その日は勘違いだと思ったがまた別の日、急いで出かけようとした際に
「忙しいヤツ」、「いつも慌ててるよね」などカップルの会話が聞こえてきた。
前回よりもはっきりした声で聞こえる会話。
どこかで自分を見ている。
ドアの隙間など至る所を粘着テープでふさいだがまだ2人の声が聞こえる。
監視しているかのように自分を笑う声に庸介さんは苦しんだ。
様々な手段を考えたが状況は変わらなかったため庸介さんは父に相談。
父は庸介さんの部屋で監視カメラを探したが全く見つからない。
それよりも息子が異常な剣幕で訴える様子が心配となり引越しをさせることにした。
庸介さんはこれであの隣人の嫌がらせからも逃れられると思っていた。
しかし安心したのもつかの間、次は大学の講義中に自分をからかう声が聞こえてきた。
周りを見渡しても声の主は見つからない。
日に日に増えていく自分をあざ笑う声。
しかし、この時実際にはタチの悪いいじめも悪口も盗撮も受けてはいなかった。
庸介さんはこの時、病気によって精神に異常をきたしていたのだ。
"原因は統合失調症だった"
この時、庸介さんは「統合失調症」という病に侵されていた。
「統合失調症」とは脳内で神経伝達物質のバランスが崩れることで、
幻覚や幻聴、妄想などの症状が現れる精神疾患のひとつ。
そしてこの症状の一番恐ろしい所は、当の本人が現実の声と幻聴との区別がつかない事。
庸介さんにとってその声は現実にあるもので、その内容から常に自分は誰かに
監視されていると感じるようになってしまったのだ。
次第にその症状はエスカレートしていく。
常に感じる視線。見られているというプレッシャーの中での生活。
風呂やトイレも相当なストレスとなり庸介さんを苦しめた。
電気をつけるのも怖くなり、時間を選ばない幻聴は夜も眠れない状態に追い込んでいった。
いつしか庸介さんはそんな自分だけに聞こえる声に反応するようになった。
周りの人から見ればそれはただの独り言。
その行動は次第に大学でも知れ渡り、あまりに異常な状態に大学の同級生が両親に連絡。
庸介さんは都内の精神病院に入院することになった。
"統合失調症の治療がスタート"
統合失調症の基本的な治療は心理的治療と投薬。
投薬によって幻聴や幻覚を抑えるとともに、カウンセリングで状態の改善を目指す。
治療によってある程度の改善が見られたため庸介さんは退院。
しかし、また幻聴が聞こえ庸介さんを苦しめる。
薬の副作用によって無気力感に襲われ、手の震えで食事もままならない。
最初の退院後、2か月ほどで再び入院することになってしまった。
再び症状に苦しむ庸介さんを心配した兄はあるものを庸介さんにプレゼントした。
それは一冊の小説だった。
いままで小説など読んだこともなかったが、読み始めるとすぐに夢中になった。
本に集中している間は症状が治まり、自分の世界に入ることが出来た。
そしてこの頃から医師の勧めでデイケアにも通い始めた庸介さん。
そこで出会った10歳年上の男性スタッフからある言葉をかけられた。
男性スタッフ:「病気は庸介君の全てじゃない。一部に過ぎないんだから」
統合失調症に苦しむ姿が自分の全てだと感じていた庸介さんにとって
この言葉は投薬以上に気持ちを軽くさせてくれた。
こうして緩やかではあるが、庸介さんは着実に回復していった。
そして21歳のころ、「アルジャーノンに花束を」という小説に出会う。
知的障害を持つ青年が脳手術を受け超天才になるという物語に夢中になる庸介さん。
そしていつしか自分も小説を書いてみたいと思うようになった。
"小説の執筆が元気の源に。そして..."
庸介さんが最初に書いたのは家族のドタバタ劇を描いた、たった数ページの物語。
それをインターネットの読書サークルに投稿したところ、少しだけだったが
面白いと評価する書き込みがあった。
これまで人から評価されずに過ごしてきた庸介さんにとって、この書き込みは嬉しかった。
自分を認めてくれる人がいる。それが何よりの喜びだった。
それから小説を書き続け、投稿し、評価を聞く。これが庸介さんの元気の源となった。
そして現在、31歳になった庸介さんはある出版社が行ったコンテストで
なんと新人賞を受賞。見事作家デビューを果たした。
作品は自身の体験をもとに自分をロボットだと思い込んだ少年の回復と成長をつづった
青春ストーリー。まだ現在も完全に病気が完治したわけではないという庸介さん。
これまで出会った人々への感謝の気持ちを胸に次回作の執筆活動を続けている。