誰にも理解されない孤独な苦しみ
1月31日。新潟県新潟市にある県民会館で、
「障害への差別」をテーマに内閣府が主催する講演会が行われた。
その壇上にいる一人の男性、南雲明彦さん(31)。
実は、彼自身も長い間、ある発達障害と闘い続けていた。
発達障害とは脳機能の一部に異常がある事で発症する障害だが
現在、1クラス約30人に2人は発達障害をもつ子どもがいるというデータもある。
授業中にじっとしていられない、空気を読めない、など、
「行動面での著しい困難」や「学習面での著しい困難」を示す場合がある。
南雲さんの場合、今もうまく文字を書くこと、読むことができないという症状と闘っている。
誰にも理解されず苦しんだ21年間。その壮絶な闘いとは・・・
"字が読めない少年"
新潟県、湯沢町。
バブル期のスキーリゾートで有名になったこの街で明彦は育った。
3人兄弟の二男として生まれた明彦は、小さいころから口が達者で、
周りを楽しませることが好きな明るい男の子だった。
しかし小学校に上がると、明彦は自分が他の子と違うことに気付き始める。
授業中、先生が黒板に書いた文字が揺れたり傾いたりして見える。
形があいまいとなり覚えることが出来ない。
他のクラスメートは普通に読み書きが出来ている。
自分は普通じゃない。それがとても恥ずかしく思えた。
この事を誰にも知られたくない。徐々に膨らむ劣等感。
この日以来、文字を克服する為に何度も書き練習をしたり、
視力の問題ではないかとメガネをかけるようになるのだが、原因は全く別のものだった。
"原因はある発達障害だった"
脳の障害、「ディスレクシア」。
脳機能の一部に障害があるため、文字を認識できない。
常に動きっぱなしだったり大きさがバラバラに見えるなど個人差はあるが
文章を読むことが非常に困難になる障害である。
いまでこそこの障害は認知され、多くの著名人も多数カミングアウトしている。
しかし、25年前の日本でこの発達障害の存在を知る人はほとんどいなかった。
明彦もその一人。
漢字が登場すると、文字の解読はさらに困難になった。
ディスレクシアの症状を持つ人は、文字を音にして発音することが難しいという。
明彦もこの症状がよく見られていた。
明彦は、字が読めない事を学校にも家族にもカミングアウト出来ないでいた。
劇のセリフを覚える際は誰かに一度読んでもらったものを耳で記憶し練習したり
家で宿題をするときも絶対親の前ではやらないなど子どもながらに自分が出来る方法で
なんとかバレないように切り抜けていた。
"障害を隠し努力を続ける日々"
そんなある日、明彦は塾に行かせてほしいと両親に頼み込んだ。
当時、明彦は、日に日に文字が読めなくなっている事で
自分が「どんどんバカになっている」と思い込んでしまい、もっと勉強をしないといけないと考えるようになっていた。
塾に入った明彦は、学校とは違う自分のペースで教えてくれる先生とも出会え、
やがて読んで書ける文字も格段に増えたことで学校の授業にもついていけるようになった。
中学校に入ると古文や英語など、また知らない文字が増えるようになったが
明彦は分かる所だけノートに取り、他はクラスメートのノートを借りて
コンビニのコピー機で拡大印刷。それを元に家でなんども練習したという。
さらに日本史などは絵の多い歴史マンガで情報を補強。
この頃の明彦の成績は主要5教科ですべて平均以上を保てるようにまでなった。
そして、地元では有数の公立高校へ。
しかし、これが悲劇の始まりだった。
"自分の中の何かが爆発する"
高校時の明彦は将来体育大学に入り、スポーツ教育学の勉強をしたいという目標があった。
しかし、1年生からハイレベルな授業が続く。
中学時代に築いた自信は入学2か月で失ってしまっていた。
これまでと同じように高校のクラスメートにノートを借りようとする明彦だったが
クラスメートから「サボらず自分でノートを取って勉強したほうがいいよ」と言われた。
もちろんクラスメートは悪気があって言ったわけではない。
しかし字が読めない事をひた隠しにし、何とかやりくりしてやって来た明彦は
大きなショックを受けてしまう。
それから明彦は学校に行かなくなった。
部屋からも出ない明彦に声をかける母親。明彦はそんな母にも怒鳴るようになった。
このころから家族に笑顔が消えた。
母はそんな明彦に対し、そばを離れる事はなかった。
たとえ無視され続けても食事を部屋に運び、言葉をかけた。
そして学校に行かなくなって9日目。
明彦は自分の部屋から出て母親にこう頼んだ。
「病院に連れて行ってほしい」と。
"苦しみはまだ続く"
こうして明彦と母は自宅から車で40分の場所にある病院の精神科を訪ねた。
医師の前で自分の今の気持ちを語る明彦。
そして、ついにこれまで自分を苦しめていた症状をカミングアウトした。
「文字を読むことが難しくて、人より時間がかかってしまう」
母は息子の言葉に衝撃を受けた。明彦にとって一世一代の告白だった。
しかし、医師はそんな明彦の言葉にこう返した。
「受験が怖いからそう感じるだけ、強い気持ちを持って学校に戻りなさい」
この一言が明彦を絶望の淵に叩き落とした。
それから明彦はさらに荒れた。
部屋で大声を発したり、自宅2階から飛び降り自殺を図ることもあった。
そんな明彦に母は初めて手を上げた。
初めて母にぶたれた明彦。しかし頬を殴られた明彦より、母の方がずっと辛そうだった。
ようやく正気に戻った明彦は学校を退学し、病院での治療に専念することに決めた。
車で1時間ほど先にある精神病院に入院した明彦。
診断の結果は重度のうつ病だった。
"普通じゃなくていい"
そして入退院を繰り返し1年が過ぎたころ、母が東京から呼んだカウンセラーが
明彦の元を訪ねてきた。
明彦はカウンセラーに普通じゃない今の自分が嫌だと語った。
それを聞いたカウンセラーは人はみんな違う、普通なんてこと考えなくていいと答えた。
明彦はその言葉で少し気持ちが楽になった。
退院した明彦は、ホテルの清掃業のアルバイトを始めた。
仕事の評判は良かったが、指示をメモに取ることが出来ずここでも一苦労。
自分を苦しめ続けるこれは一体何なのか?
そして、ついにこの症状の謎を知ることになる。
21歳になった明彦はとあるボランティア団体の事務所を訪れていた。
これまでまわりに迷惑をかけ続けていたと感じていた明彦は
何か自分も恩返しできないかと思いボランティアへの参加を思いついたのだ。
そこで説明を受けていた明彦は衝撃を受けた。
このボランティア団体は脳の機能の障害で、読み書きが出来ない人を
サポートしているという。
字の読み書きが出来ない?脳の機能の障害?
「ディスレクシア」という障害の名称。
それはまさしく自分をこれまで苦しめていた原因ではないか。
明彦はここで自分がボランティアをする方ではなくされる方だったことを知った。
真っ先にこの事を母に伝えた。
自分はバカじゃなかった。そして、ディスレクシアという新しい肩書ができた、と。
母は喜ぶ半面、これまで気づけなかった事に涙した。
しかしこれまで自分たちを苦しめていた原因を知る事で親子は心が楽になったという。
そして現在。
明彦は自分が経験したような苦しみを増やさないよう、
講演を行いながら、同じような症状で苦しむ
子ども達のSOSに気付ける環境づくりを目指している。