放送内容

2016年2月24日 ON AIR

女性の12人に1人が闘うガン

2011年2月、当時42歳の生稲晃子の元にある書類が届いた。
2年ぶりに受けた人間ドックの結果。
そこに書いてあったのは乳腺科の再検査の通知だった。


"乳房に見つかった腫瘍"


すぐに乳房のレントゲンやエコーの検査を行った。
なぜ再検査?生稲は健康には自信があった。


しかし検査の結果、右胸に小さな腫瘍が見つかる。
良性か悪性かを確認する為、乳房に直接針を刺して腫瘍の細胞を採取し調べた。
その結果は悪性。乳ガンと宣告された生稲は衝撃を受けた。


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現在日本では女性の12人に1人がかかると言われている乳ガン。
その12人の中の1人になってしまうなんて。
生稲にとってこれまでの人生の中で一番混乱した日となった。


生稲は2003年に結婚し、5歳になる長女がいた。
夫は落ち込む妻を必死で励まし、娘は母の命が失われる恐怖に泣いた。
こうして家族全員で乳ガンと闘う決意を固めた。


そんな矢先の2011年の4月、女優の田中好子さんが同じ乳ガンで亡くなった。
乳ガンは転移する危険性がある。自分は大丈夫なのか?
医師によると通常のガンは手術後5年間転移が無ければほぼ大丈夫という見方があるが
乳ガンの場合は10年間付き合っていかないといけないという。


生稲は乳房を温存し、ガンを切除する手術を選択。
そして43歳の誕生日を迎えたそのおよそ1週間後の2011年5月6日。
乳房のガン細胞部分を切除する手術が行われた。


"手術後の治療にも耐える"


手術は成功。現状で他の部分の転移も見られないということで
生稲は手術2日後に退院することが出来た。


その後の検査で10年の生存率が90%という比較的初期段階の状態という事が
分かったため、抗ガン剤ではなく女性ホルモンを抑える薬で治療をしていく事になった。


生稲は仕事の合間を縫って1か月間、週5日の放射線治療を行った。
放射線を当てた部分は日焼けをしたような色になり火傷の様な痛み。
時に激しい眠気やだるさ、かゆみに襲われた。


放射線治療が終わるとホルモン剤の服用。
これにより、のぼせやほてり、めまいなど更年期の様な症状に見舞われた。
この頃からインターネットで同じような病気に闘う人達のブログなどを読み始めた。


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そして、この頃から不安になったのは乳ガン患者の2%~5%がもう片方の胸にも
ガンが発症するというデータだった。


生稲は両方の乳房を定期的に検査した。
食生活には少々気を使ったものの、何でもかんでも禁止するとストレスが溜まってしまう。
出来る限り今まで通りの生活を続けた。


"恐れていたガンの再発"


ところが1年後の2012年8月。
右胸にニキビの様な小さなできものが出来た。


医師に見せた所、ガンの再発が宣告された。
あれほど恐れていた再発。最初の宣告よりも恐ろしかった。


今回のガンは以前の場所と少し離れた皮膚表面の部分。
最初のガン検査の際に針を刺し細胞を取り出した際に皮膚表面に残っていたものだという。
その再発も防ぐために放射線治療を行ってきていたのに・・
医師によると、こういったケースでの再発は1000分の1以下だという。


生稲は恐ろしくて、悔しくて涙が止まらなかった。
そんな時、小学生になった娘が手紙をくれた。


覚えたばかりの文字で自分を励ます文章が書かれている。
母を元気づけようと必死になって書いた手紙。
ガンになど負けてはいられない。生稲はこの手紙に勇気をもらった。


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そして再発した表皮部分を切除する手術が行われた。
わずか1時間ほどの短い手術。入院もなくその日のうちに帰宅した。
優しい家族の協力を得ながら、生稲は仕事と家庭を両立させる忙しい日常に戻った。
こんな毎日がずっと続けばいいのに。しかし、思いはまたも打ち砕かれる。


"2度目の再発。全摘出へ"


さらに1年後、定期健診で右胸にしこりがみつかった。
部分切除し、病理検査を行った結果、またしても悪性の腫瘍。再発だった。


今回は最初に切除した部分の近く。
医師は次の再発が命の危険に繋がる事もあると右乳房の全摘出を薦めた。


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1センチもなかった小さなガンが胸も、命までも奪うほどの脅威になるなんて。
不安が家庭内でも声に出てしまう。それを聞いた娘も不安な顔を隠せない。


実は生稲は31歳の時に母を亡くしていた。
母がいてくれたら...そう思ったことが今まで何度もある。
娘に自分と同じ思いをさせてはいけない。
母として自分は、ずっとこの子を守り、育てる義務がある!


こうして右乳房の全摘出を決断した生稲。
女性として胸を失うのは耐えがたいほど悲しい、でも生きていくためにはこれしかない。
娘と2人で右胸にお別れをした。


"家族のために生きる"


2013年12月27日。右乳房全摘出手術が行われた。
大胸筋はのこし、乳頭・乳輪を含む乳房全体を切除した
これにより、局所に再発するリスクは、ほぼゼロにできるという。


2014年の正月は病院で迎えることとなった生稲。
失った胸はもう戻って来ない、でも家族のためにこの命は守り抜く。そう心に誓っていた。


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それから2年後の2015年10月27日。
生稲は乳房を再建する手術を受けた乳房にシリコンを入れ、胸のふくらみを取り戻した。
そして、乳ガンであったこと、右乳房を全摘出したことを公表した。


新しい一歩踏み出すために。
そして、同じ病に苦しむ人の励みになりたいという気持ちの表れだった。

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