放送内容

2016年6月 1日 ON AIR

人格が変わった夫のナゼ

認知症。それは脳の病気。
認知症を発症する人の数は世界で毎年、770万人ずつ増加し続けていると言われ、
2030年には、その数が現在の2倍になると予想されている。


そんな認知症に30年もの間、闘い続けた夫婦
新井広美さんと雅江さん。


発症したのは夫の広美さん。40代前半という若さで「認知症」の兆候が出た。
しかし、その若さゆえ「認知症」であるとは思いもよらず、
働き盛りだった夫はすべてを失った。


"突然、将棋が勝てなくなった"


埼玉県川口市。
異変が起こり始めたのは1980年頃だった。


広美と雅江は職場結婚。1男1女に恵まれた。
夫の広美は、東京にある業界紙の営業マン。
部下からの信頼も厚く、仕事も順調。広美の人生は順風満帆だった。


また、広美は趣味もあった。それは将棋。
道場では負け知らず。


しかし、ある休日のことだった。
負け知らずだった広美が突然勝てなくなったのだ。
これまで勝てていた相手に何度やっても...1度も勝てなかった。


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いつもと変わらず、指しているつもりなのに。
この時、雅江は負けず嫌いの夫がたまたま落ち込んでいるだけと思っていたが、
実は夫はある病気にむしばまれ始めていた!


そして広美にはさらなる異変が。
これまで穏やかだった広美が子どもたちの前で声を荒らげるようになったのだ。


家の中で「イライラ」することも多くなっており・・・ついに事件が起こる。
ある日、自宅の電話が鳴った。近所の派出所からだった。
広美が別の将棋道場で対戦相手に襲いかかり、その興奮が収まらず店主が通報したという。
今回は相手にもケガが無く訴えるつもりもないという事で厳重注意となった。


誰かに襲いかかるなんて。さすがにこれはおかしい...。
しかし、やがて穏やかな時とイライラしている時を繰り返す夫に慣れ、
それが、まさか脳の異常によるものだと思うこともなく時は過ぎていった。


"次々に起こる異変"


それから2年がたち、広美が50歳になった頃。
広美が耳鳴りを訴えるようになった。
嫌がる広美を、無理やり病院へ。脳のMRI検査も行われた。


医師の診断は「老化の初期症状」。
老化のせいと診断され、安心した夫婦だったが、
このあと広美は、様々な症状を短期間に発症していく。


まずは「耳」にさらなる異常が発生した。
言葉を、時々聞き取れなくなることが増えたのだ。


さらに、大好きだったお風呂がめんどくさく感じるようになったり、
文字は読めているのにその意味が分からない、などという
症状が目立つようになった。


これはただの「老化」ではないのではないか?
不安になった広美は妻に内緒で、自ら病院で再検査を受けていたのだという。
しかし、医師からは脳に異常はないという診断ばかり。


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当時のMRIの精度は、現在とは比べ物にならない程低く
広美の脳の異常を見つけることができなかったのである。


そんな症状を抱えながらも広美は仕事を休もうとはしなかった。
しかしその症状を抱えながらまともな仕事が出来るはずもなくミスが増えていく。
日に日に約束も、締切も忘れてしまうことが多くなり、
客からも上司からも信頼を失っていった。


"エスカレートする夫の異常行動"


耳鳴りから5年がたち、広美は55歳になった。
長女は就職し、長男は大学生に。
しかし広美の症状はどんどん進行していた。


先の予定などはすぐ書かなければ忘れる。
なりふり構わず、ティッシュやレシートなど、そこらじゅうの紙に書きとめた。


子どもたちの前では、絶対に見せなかったが、
字が書けなくなったのか、通信制のペン習字講座の手本をひたすらなぞっていた。
そして定年退職を目の前にして33年間勤めた会社を辞めた。
会社から、「早期退職」勧められたのだ。


このころ子どもたちは、それぞれに独立し、妻・雅江は夫との2人暮らしに。
当座の蓄えはあるがこの先どうなっていくのか。


雅江は今後、夫を支えていけるように市役所で働きはじめた。
そんなある日、夫はとんでもない行動に出る!


その日、広美は上機嫌だった。久々に見る満面の笑み。
何かいい事があったのかと雅江が聞くと乾電池とボールペンを盗んできたという。
雅江は何を言っているのかわからなかった。


広美は悪びれた様子はまったくなかった。愕然とする雅江。
その後も広美は盗みを何度も繰り返し、ついに、現行犯で捕まった。
店の厚意により、訴えられずに済んだが謝りもしなければ二度としないとも言わない夫。


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雅江はそんな広美が情けなくて仕方がなかった。
夫に選んだ男性は、こんな人だったのだろうか?


その後も夫は、雅江が働いている間に万引きを繰り返した。
突然、バスの目の前に立ちはだかったり、公園の自転車を盗み、隠したりもした。


雅江は思った。こんな生活をいつまで続ければ楽になれるのか。
絶望で、先が見えない。夫と一緒に死ぬことも考えた。


"初めて判明した夫の病"


そんな中、思わぬ形で一筋の光がさす。
それは、広美の取り調べに同席した若い警官の言葉だった。


若い警官は、万引きしても罪の意識がまったくなく、会話をしてもかみ合わない広美の行動は、奇妙で正常な状態ではないのではと指摘。雅江に知り合いの
精神科の専門医を紹介した。


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雅江はすぐに夫をつれ、その専門医の元へ。
すると、広美には脳の委縮が見られ、専門医から痴呆症の疑いがあると診断された。


このとき、1995年。雅江は初めて「痴呆」という言葉を聞いた。
「痴呆症」は、認知症の旧名称で、平成16年に厚生労働省が「認知症」に改称。


雅江は、夫のこれまでの行動を説明。
専門医はひととおり話を聞くと、「ピック病」という病名を口にした。


ピック病、今では前頭側頭型認知症と言われることが多く、
40代、50代の初老期にみられる症状。
側頭葉の萎縮により、物事を組みたて、整理して考えることができにくくなり、
言語障害などが起こる。


現在ならMRIで、前頭葉、側頭葉の萎縮という形で発見でき、
早期発見できれば、自分に合う薬や緩和するための治療も選べる可能性もある。
この為、広美は将棋で勝てなくなったと思われた。


ちなみに、物事を効率よくこなすこともできなくなるため、
主婦が発症した場合、家事を段取りよくこなすことが
難しくなったりするといわれている。


さらに、理性や行動をつかさどる前頭葉の異常により、人格の変化、行動異常などが起こる。
つまり、広美が暴力的になったのも、万引きをして平気な顔をしていたのも、
すべては、脳の萎縮による行動だったのだ。


医師によると、今後も改善することはなく問題行動は増えるという。
しかし、正しい薬の処方と介護、カウンセリングで緩和していく事は可能との事だった。
こうして、雅江は医師の勧める介護施設に申し込みを決めた。


治らないと言われても、原因が特定されたことで雅江の覚悟は決まった。
今後は、自分だけではなくプロの手を借りて、夫を支えることができる。
そう思うと、不思議と楽になった。


"30年以上の闘病生活。そして..."


しかし、施設の手続きを待っている間にまたも、事件は起きてしまう。
何気ない夫婦間の会話で広美が激怒し、雅江は首を絞められた。
この事件がきっかけで、広美は「医療保護入院」という名の強制入院となった。


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入院後2週間は面会を許されなかった。
夫とこんなに離れて暮らしたことは結婚して初めて。
むりやり入院させたことを広美は怒っているだろうか?
雅江はどんなになじられてもいい。覚悟していたが、窓からのぞく広美は満面の笑顔だった。


ここ10年は怒鳴られてばっかりだったのに。夫のこんな笑顔はどれぐらいぶりか?
それから毎週末、夫の好物のあんパンやバナナを持って面会に通った。


やがて主治医からアドバイスを受け、広美は特別養護老人ホームに入居した。
そこで、またも新たな症状を発症する。


ある日、昨日まで生えていた広美の前髪がごっそりなくなっている。
実は、ピック病の症状に、「異食」というものがある。
手に触れたものを何でも口にしたくなるのだが、これは赤ちゃんが手に触れたものを
口にする現象に近いとも言われている。


ベッド回り、ゴミ箱にも髪の毛は落ちていなかったことから、
広美は、自分の髪の毛をすべて飲み込んでしまったようだった。


そしてこのころ、失語症という言葉を失う症状が発生。
広美はしゃべれない自分にいらだったのか奇声をあげるようになった。
それは、老人ホームでは処置できることではなく病院へ再入院。


薬の服用によって次第に異食は落ち着いてくると入院費の安い老人ホームに戻った。
しかし、異食との闘いは一進一退の繰り返しで、自分の手まで噛むようになった。


しかし現在はスタッフに相談して介護することができる。
病院のスタッフも、広美の病状が進行するたびにさまざまな対処法を考えてくれた。


そして老人ホームに入居して、およそ9年。
広美は妻、雅江の献身的な介護に見守られ最後の時を迎えた。
享年73。40代前半で人知れずピック病を発症し苦しみ続けた30年以上にもわたる
闘病生活。


そして5年がたった現在。
妻の雅江さんは自分の経験をもとに、認知症患者の家族の会でサポートを続けている。
早期発見をすることで的確な治療とサポートを選ぶことができる。
雅江さんは講演活動を行い、そのことを訴え続けている。

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