誰にも理解されない病気の苦しみ
東京都、西葛西に住む岡田真綾さん(22歳)。
彼女は今、ある病と闘っている。
この病は死に至るものではないというが、亡くなる人も少なくない。
その多くは自殺だという。自ら命を絶ってしまうほどの苦しみ...果たしてその病とは?
"始まりは筋肉痛のような痛みだった"
1993年、群馬県高崎市。
彼女は2つ下の弟と両親の4人家族だった。
将来の夢は音楽の先生。
そのため音楽コースのある高校に進学した。
そんな彼女の身に異変が現れたのは、高校1年の冬だった。
左手首にちょっとした違和感があった。その時は筋肉痛だと思い気にしなかったが
次の日になってもその痺れは消えることはなかった。
このままではピアノテストに支障が出るかもしれない...。
そう思って近所の接骨院で診てもらうと、腱鞘炎という診断結果だった。
しばらく安静にしていれば治る、ということだったが、
3か月たっても痛みは治まることはなく、やがて左手だけではなく右手にも痛みが。
さらに肩や首にまでその痛みは広がっていた。
力を入れると痛みを感じ、食事をするのも嫌になるほどだった。
あまりの痛みでシャンプーすらできない。
様々な病院を回り細かい検査も受けたが、原因はわからなかった。
だが、確かに痛みはある。
別の医師は首と腰のヘルニアを疑い、
学校へは車で送ってもらい、運動は禁止、ピアノも禁止となった。
だが、病状は悪化する一方。ちょっとした刺激が激痛のように感じる。
それはシャワーの水でも、そよ風が体に触れても、
さらには日差しの刺激までも。あらゆるものが痛みとして襲ってくる。
"体中に痛みを伴う線維筋痛症"
真綾を襲っていた痛みの原因、それは線維筋痛症と呼ばれるものだった。
全身に原因不明の痛みを感じ疲労感や倦怠感といった症状を伴う疾患で、
現在日本の推定患者数は症状の軽いものも合わせると200万人にもおよび、その発症年齢の多くは30代~50代。
特に女性に多く男性の5倍にも上るといわれている。
原因はまだ明らかになっていないが、現状は外部からの刺激に対し、
脳が誤作動を起こしていると考えられている。
通常、我々の体は"痛い"という刺激を受けると患部から脳へ信号が送られ、
その信号を脳がキャッチすることで痛みを感じる。
だが、線維筋痛症の場合、痛みをキャッチする脳の機能が誤作動を起こし、
わずかな刺激でも過剰に痛みとして認識する。
さらに、通常痛みを感じたとき、脳はそれを押さえるために痛みを抑制する
脳内物質を放出することで痛みを軽減しているのだが、
この病気になると脳内物質も少なく痛みが抑えられないという。
彼女がその病名を知ったのは発症してから1年後の事だった。
すぐに薬による治療を開始したが、薬の効果には個人差があり彼女には合わない。
さらに副作用による吐き気やめまいがあり、病気はよくなることはなかった。
痛みは足にも広がり普通に歩くことさえできなくなってしまう。
例えるなら血管にガラスの破片が流れているような痛み。
外見上全く異常がなく、病名も知られていないため他人が痛みを理解することはできない。
やがて真綾は人前では痛みを我慢し隠すようになった。
"絶望を乗り越え病気と向き合う"
思い描いていた高校生活、好きな人ができて恋をする。
気の許せる友人とはしゃぎ合う。そんな普通の生活は無理になった。
音楽の教師になるという夢やいつかは幸せな家庭を築くといった理想も
全てをあきらめなければならない。
そして、だれにも理解されない痛みを抱え一人で生きていく。
そんな生活に未来はあるのか?何のために生きているのか?
そんなことを考えるうちに真綾は自らの命を絶つという所まで追い込まれてしまう。
しかし、それを踏みとどまれたのは母親の存在だった。
自分の苦しみを理解してくれる母親がいてくれたことで真綾は孤独から救われた。
その後、ようやく自分に合う薬が見つかり真綾は少しずつ回復。
高校卒業時にはなんとオルガンを弾けるまでになった。
諦めていた夢も復活し、音楽の道へ進みたい!と専門学校へ進学。
さらに、この病気の認知を少しでも上げるために、線維筋痛症の講演会にも出席した。
自分なりの活動として、病気の気持ちをつづった曲も作った。
月に1回は通院。病院への移動も彼女にとっては大変なこと。
通常の人の5倍とも言える苦しい痛みと現在も戦っている彼女は、
少しでもこの病気を理解する人が増えることを祈っている。