人生狂ったナゾの病
人に理解されない病気で苦しむ人がいる。
堀川充さんは50年間、ある病気と闘い続けてきた。
堀川さんはこの病を悪魔の病気と表現する。
悪魔の病気とは、一体何なのか!?
"どうやってもやめられない癖?"
1961年。
報道関係の仕事をする父と専業主婦だった母の間に生まれた堀川さん。
小さいころからスポーツ万能、運動会ではリレーの選手に選ばれ
クラスの女の子にも人気があった。
勉強もできる優等生。
だが、この時すでに、ある症状に悩まされていた。
何回も強くまばたき。かと思えば、顔を強くしかめる。
さらに...鼻を鳴らしたり、突如甲高い声を出したり...
母にその癖をやめるようにと言われたが...
なぜか止めることができなかった。
このなぞの症状の正体は...チック症と呼ばれる病気だった。
一説には脳内の神経伝達物質が過剰に作用することで、引き起こされると言われている。
その症状は首を振り身体を叩いてしまう人や、突然大声を出す人など人によってさまざま。
チックは運動性と音声のふたつに分けられ、
この2つの症状がいくつも出てしまう重度の状態をトゥレット症候群と言う。
やめたくてもやめられない症状を心配した母は病院に相談に行った。
すると医師はチック症であることは分かったが癖みたいなものだからと
それほど重いものではないという診断結果を伝えた。
実は昭和46年頃、チックの事を病気と認識していない医師が多かったのだ。
その後も母からは何度も叱りつけられた。
頑張れば数分間はなんとか我慢できた。
だから、ただの癖だと周りの人間はそう思ってしまう。
しかしまた、無意識のうちにいつの間にか始まってしまい、
気付いたときにはやめられなくなっている。
母にもただの癖だと思われ叱られる。苦しい日々が続いた。
5歳の時からさまざまなチックに悩まされてきた堀川さんは、
高校に進学するとバスケットボール部に入部。
運動神経が良かった堀川さんはレギュラーとして活躍した。
一方で新たな症状が現れた。頻繁に甲高い声が出るようになったのだ。
顔をしかめるのも激しくなり、クラスメートにも笑われてしまう。
その都度、なんとか気にしてない風を装ってやり過ごしていた。
なにより耐え難いことが、電車。
狭い空間の中で症状が出ないことを祈るしかなかった。
少しの間なら症状を抑えられる。しかし、一度奇声が出ると止まらなくなる。
周りには自分はどう映っているのか?
他人の視線が痛かった。悲しかった。
"集中すると出ない症状。そして運命の出会い"
当時は病気だとわかっていなかった。変な癖の男子。
見た目はいたって健康な男の子だった。
そのストレスはたまる一方...そんな時、母は、
「静かにして!その変な癖やめてよ」と言った。
家族の無神経な一言にキレた。
なぜ自分の苦しみをわかってくれないのか?
それ以来、何か気に食わないことがあれば暴れてしまうようになった。
悩み苦しむ日々を送る中、さらなる症状が堀川さんを襲った。
なるべく人前では出さないようにしていたが、後頭部を何度も打ち付けてしまう症状や、机に肘を打ち付けるという症状も出始めた。
こういった自傷行為も症状のひとつ。
他に太ももを叩いてしまったり、小指の骨を自分で折ってしまったこともある。
そんな自傷行為に苦しんできた堀川さん。
唯一の心の支えはバスケットだった。
というのも、実はバスケットのプレー中は症状が出なかったのだ。
チックの症状は何かに集中すると出なくなることがある。
本を読んだり、歌を歌う、楽器を弾く、スポーツをしている最中は出にくくなり、
集中が途切れるとまた症状が出始める、といったことがよくある。
社会人になり、運送会社で働き出した堀川さん。1人になれる仕事を選んだ。
依然として症状は出ていたものの...集中しているからか、運転中は出なかった。
しかし、一旦信号で止まると症状が現れた。
後頭部を打ち付けたり、鼻やおでこをハンドルに何度も打ち付けた。声も大きく出た。
客前に行く時は、運転席で症状を出し切ってから。
この癖が直らないならうまく付き合っていくしかない...そう感じていた。
そんな仕事の合間を縫って母校のコーチをしていた堀川さん。
バスケットから離れたくなかった。そんな時、ある運命的な出会いが訪れる。
それは練習試合に来ていた他校の女子生徒だった。
堀川さんがケガの手当てをしたことがきっかけで会えば話す間柄になった2人は、
彼女の高校卒業を機に付き合う事に。
その時、堀川さんは心の不安を彼女に打ち明けた。自分と付き合うと大変だと。
しかし女性は堀川さんの症状を理解してくれた。
デートを重ねると、心がリラックスするせいか症状も場所を選ばず出るように。
周りからは変な目で見られる。でも彼女は明るく接してくれた。
運転中は出ない分、信号待ちになると、いつもとは違う激しい症状が出た。
だがそれでも彼女は受け入れてくれた。堀川さんはこの子を一生大事にしよう、そう誓った。
"病気を理解し、人生を前向きに"
28歳となった堀川さんは結婚を意識し始めた。
結婚のために、給料の良い仕事を探した。見つけた仕事は生命保険の営業の仕事だった。
なぜなら、飛び込み営業しても短い時間なら症状を我慢できるから。
最初は怪訝な表情をされたが、成績を上げて認めてもらおうと強く思った。
その甲斐あって成績はどんどん伸びて行った。
結婚が現実味を帯びてきた堀川さんは、
彼女のためにもこの症状を治したいと病院にも通った。
しかし、どこに行っても治療法は見つからない。病名すらもわからない。
そんな時だった。
彼女は必死に彼を理解し支えようとしたが、限界だと告白されたのだ。
彼女の未来のためにも別れる決意をした。
最愛の人を失うと、仕事に身が入らなくなった。
ミスが見立ち、成績も下がった。
やがて、集中する時間が減ると激しい症状が出た。
自信がなくなると、自分は笑われているのでは・・・そう感じてしまう。
雇われている内は、人の顔色を窺って生きていかなければならない。
それならばと自分で事業を立ち上げた。昔やっていた配送の仕事。
医療系の会社と契約し、血液などの検体を運んだ。
相手と会っている時だけ症状を我慢すればいい...
しかし...自身の症状がもとでクレームを受け、突然の契約打ち切りを宣告された。
会社をたたんだ堀川さんは母と弟と暮らすようになった。
そんなある日、ふとチックについて調べようとインターネットで検索。
すると...そこには「トゥレット症候群」の文字があった。
そこで初めて、自分の症状が「トゥレット症候群」という病気だったのだとわかった。
すぐにトゥレット症候群の治療をする病院も見つかった。
現在の医療では完全に治すことは難しいが...薬で症状を軽くすることで
随分過ごしやすくなったという。
今は再び自分の会社を立ち上げ、懸命に働いている堀川さん。
自身の人生について、この症状さえなかったら普通に仕事について結婚し、
幸せな家庭を築いていただろうと話す。
しかし普通と違う病気を持ってしまったせいで知らなかった世界を知ったというのは
案外楽しい人生でもあるとポジティブに語る。堀川さんは今も母と弟との3人暮らし。
幼い時から人に理解されず苦しんだおよそ50年。
薬の重要さとこの病気への理解が広まることを願っている。
"患者を救う驚きの手術とは?"
堀川さんも長年苦しんだトゥレット症候群。
完治が難しいと言われるこの病気だが、海外で患者を救う驚きの手術が行われていた。
オーストラリアに暮らす15歳のリアム・コーク君は重度のトゥレット症候群を抱えていた。
その症状は首を振り、自分の体を痛めつけ続けるというもの。
これまでさまざまな薬を試してきたが、症状が軽くなることはなかった。
周りにじろじろ見られないような普通の人になる事が夢だと語るリアムは、
ある手術を受けることを決意する。
それは、脳深部刺激療法。
この手術は電極を脳の深部に埋め込み、脳の奥深くに電流を流し続けることで
薬物治療でコントロール困難な症状の軽減をはかるというもの。
脳を傷つけてしまうリスクもある。
しかし、リアムはこれが最後の望みだと手術に踏み切った。
迎えた手術当日。
脳を傷つけないよう慎重に、電極を入れていく。
そして数時間後、無事終了した。
18時間後、なんとゆっくりとだが歩いているリアムの姿があった。
そして首を振ることも胸を叩くこともなくなっていた。
苦しみから解放されたリアムは、最高の気分だと語る。
これから彼は、人生を一層前向きに歩んでいく。