整形繰り返し14年逃げた女
日本の犯罪史上、決して忘れる事の出来ない重大事件。
14年もの間逃亡を続け、時効が成立するわずか21日前に逮捕された女がいた。
その女の名は、福田和子。
行く先々で20以上の偽名を使い分け、整形手術を繰り返し、
7つの顔を持つ女と呼ばれた。いったいどのような14年間の逃亡生活だったのか?
"ウソ偽りの逃亡生活が始まる"
1982年、愛媛県松山市。
福田和子は同じ店で働いていたナンバーワンホステスの自宅を訪れ、絞殺した。
まず遺体を部屋にあったタオルケットとバスタオルでくるみ、
ナイロン紐とガムテープで厳重に梱包。
ほとんど使われることのない非常階段の踊り場に、遺体をひとまず置いた。
次に部屋中を物色。
現金13万20円と米ドル4ドル1セント、さらに預金通帳2冊と印鑑を盗んだ
そして和子は夫を現場に呼んだ。
向こうから襲ってきたと正当防衛を装い、夫に告白。助けてほしいと懇願する。
こうしてやむなく承諾した夫と、遺体を車に積み込み、松山市から20キロほど離れた
山の中に遺体を埋めた。
事件から5日後。
目撃情報から和子に足が付き、警察から和子の自宅に一本の電話が鳴った。
とっさに警察と思った和子は声色を変え、子どもの声で返答したという。
捜査の手が迫っていることを感じた和子は、その日の夜に逃亡を決意。
家族には平静を装い、いつも通り家事をこなす。
そして家族に別れも告げず逃亡を開始。福田和子、この時34歳だった。
そして、和子が家を出たおよそ2時間後。
和子の夫は重要参考人として警察に連行された。
"石川県で約6年の潜伏生活"
警察が愛媛で懸命な捜査をしていた頃、和子は
北陸随一の繁華街といわれる、石川県金沢市片町のスナックに小野寺忍という名で
ホステスとして働いていた。
一方、愛媛では、夫が犯行を自供。死体遺棄の容疑で緊急逮捕された。
殺人事件へと発展したことから、松山東警察署には、捜査本部が設置され
福田和子を殺人・死体遺棄の容疑で全国指名手配。
顔写真も公開され和子の逮捕はそう遠くないものと思われた。
しかし和子は、東京の病院で目を二重で切れ長にし、鼻にシリコンを入れていた。
整形後の和子は、見違えるように明るくなり、客あしらいが格段にうまくなっていった。
そして自分は京都の料亭の跡取り娘で親が決めた相手に結婚させられ、
DVで悩んだ挙句逃げてきたと、いい所の娘で悲劇の女というウソの身の上話で
周囲の同情を買っていたという。
和子は昔の知り合いに連絡するのに、わざわざ京都まで出かけて電話。
警察はこの和子の工作により関西の主要都市にいると読み、
金沢まで捜査は及ばなかった。
そして逃亡8か月。
和子は印刷機メーカーに勤務する男性と金沢で同棲を始めた。
この男性には、店と同じ小野寺忍と名乗っていたが、半年近く経った頃...
和子に新たな出会いが訪れる。
和菓子店の若旦那...和子には魅力的だった。
和子は、若旦那に近づき、驚きの行動に出る。
なんと同棲していた男性の家から、家財道具ごと突然姿を消したのだ。
それは、若旦那と同棲を始めるため。
この若旦那には、小野寺華世(かよ)と名乗り、京都の老舗料理店の娘と偽った。
そして同棲して9か月がたった1985年6月。
和菓子屋の若旦那は和子のために離婚。和子は内縁の妻として暮らし始めた。
明るい奥さんが来たと家族にも評判だった。
"実の息子を甥と偽り一緒に暮らす"
ただ一つなじめなかったのが、先妻との子どもだった。
その姿を見るたび、思い出すわが子。いてもたってもいられなくなり、
和子は逃亡犯とは思えない大胆な行動に出る。
なんと危険をおかして、実の息子に会いに愛媛まで来たのだ。
母は全国指名手配の殺人犯。息子は複雑な思いだった。
サングラスをかけ、整形もしていたが、息子にとっては、
たった一人の母だった。そして和子は、再びとんでもない行動をとる。
和子は、自分の息子を甥と偽り、和菓子店での住み込みを若旦那に願い出た。
こうして息子は、和菓子店で見習いとして働き、4年ぶりに一緒に暮らした。
しかし、いつまでもいいことは続かなかった。和菓子屋に来て2年半。
若旦那にきちんと籍を入れようと迫られる。
その場しのぎで何度も断り続けるが、その事で身内たちが疑いを持ち始めていく。
逃亡5年目の冬、事態は大きく動いた。
組合の温泉旅行で、若旦那が偶然、福田和子の指名手配のポスターを見てしまった。
和子は笑ってごまかしたが、次第にごまかしもきかなくなっていく。
親戚がついに動き、甥っ子ということで働いていた少年の荷物を調べると、運転免許を発見。これで、住所のウソがばれてしまった。
1988年2月12日。逃亡5年6か月。ついに警察は、福田和子逮捕へと向かった。
しかし、警察が部屋に入ると、和子の姿はどこにもなかった。
自転車を盗み、間一髪のところで和子は逃げたのだった。
着のみ着のままでひたすら自転車を走らせ逃亡。
息子を置いたまま、5年半も長期潜伏した石川県を離れ、ひたすら自転車をこぎ続けた。
忘れかけていた福田和子の名は再び全国へと流れ、
整形をしていたことが判明したことで「7つの顔を持つ女」と呼ばれるようになった。
これを機に指名手配写真も、整形後の写真へと変わった。
"様々な場所を転々とする"
金沢から逃亡した和子は、今度は倉本かおるという名で、
名古屋のラブホテルの清掃員として働いていた。
人目につきにくいこの仕事は好都合のはずだったが、
石川県での一件以来、和子のニュースは頻繁に流れた。
間一髪逃げてから、1つの場所に長くとどまることをやめた和子。
従業員から不審に思われるのと同時に姿を消した。
そして1988年8月、逃亡6年。
死体遺棄罪の時効はすでに成立しており、立件できる容疑は殺人のみとなった。
この事件の時効は当時15年。警察に残された時間は、短くなる。
有力な情報はなく、福田和子の足取りを追うことは困難を極めた。
その後の和子は、名前を変え、職を変え、3か月以上同じ場所にとどまらず、
逃亡は全国にまたがった。
1988年~1996年までの8年間で、北は北海道から西の山口まで、
15か所以上を転々としていたという。
1990年には、2度目の整形手術。今度は鼻のシリコンを取り除いた。
警察も情報が入れば全国を飛び回ったが、福田和子発見までには至らなかった。
"14年と344日の逃亡劇の終焉"
そして事件から14年。時効まであと1年となったころ。
48歳になっていた和子は突如、福井に姿を現した。
化粧品のセールスレディを装い、名前を中村ゆき子と名乗った。
その頃、愛媛県警は、時効までちょうど1年となった事で、100万円の懸賞金をかけた。
半年後、和子はある一軒の店に頻繁に通うようになる。
この店ではれい子と名乗っていた。
しかし、ある日、この店の女将が和子の事が報道されている番組を見て、
店によく来るれい子と、あまりに喋り方が似ている事に気づいた。
女将はすぐに警察に通報。
時効成立まで1か月を切り、和子は店に姿を見せなくなった。
しかしある日、和子が店にやってきた。
女将と常連客は指紋採取のため、和子にビール瓶とコップに触らせ、
怪しまれないように、それらを保管。警察へと届けた。
認証の結果、福田和子本人のものと一致した。
そんなことがあったとは知らず、翌日も店に和子が現れた。
長い逃亡劇の終わりが近づいていた。
警察が店を包囲。もう和子の逃げ場はなかった。
時効成立の21日前、14年と344日の逃亡劇はこうして幕を下ろした。
福田和子は自供。殺人の容疑で逮捕され、翌日、松山へと移送された。
2003年11月、無期懲役刑が確定。
その後、2005年3月。収監された刑務所内でクモ膜下出血により倒れ、息を引き取った。
57歳だった。