死者5人・・・殺人菌の正体
いまから5年前・・・焼肉店から「ユッケ」が消えた。
それは激安がウリの人気焼肉店で5人の命を奪った『集団食中毒事件』が起きたから。
それまで多くの人たちが食べていたユッケ。
富山県に住む久保秀智(ひでのり)さんは事件のあった焼肉店を家族で訪れ、
ユッケによる食中毒の被害に遭った。
5人の犠牲者を出した集団食中毒事件。命を奪った恐ろしい殺人菌とは...
"誕生日祝いの外食が悲劇を招く"
2011年、富山県小矢部市
建設関係の会社を営みながら、自らも現場に出る久保さんは忙しい毎日を送っていた。
4月22日のこの日は、いつもなら飲みに出かけるところだったが、
久保さんには、どうしてもはずせない予定があった。
昨日は、二男・大貴(ひろき)くんの14歳の誕生日。
金曜日のこの日にお祝いすることになっていた。
訪れたのは近所の焼き肉店。
激安で人気があった「焼肉酒家えびす」。
メニューの多くは1皿なんと100円。
一番高いメニューでも1皿380円だった。
人気のある肉だけを大量に仕入れることで、激安価格を実現していたという。
一家が訪れた富山県砺波(となみ)店も、週末の夜ともなれば1時間待ちは
当たり前の人気店だった。
多くのメニューの中でも「和牛ユッケ」は、1皿280円という価格もあって
店の人気メニュー。来店者の多くが注文していた。
久保さんも息子に思う存分食べさせてやりたいと3つも注文。息子は美味しそうに食べた。
しかしこのユッケがすべてを奪うことになろうとは...。
翌日の土曜日。
昼食を食べに出かけると、大貴くんの体に異変が起きた。
体がだるく腹痛と頭痛の後、突然の嘔吐。
腹痛や吐き気の症状を抑えるため、市販の胃腸薬を服用した。
子どもの急な体調変化はよくあること。これで治るだろう、両親はそう思っていた。
だが翌日の日曜日も、薬を飲んでも一向に調子は良くならず、
逆に腹痛がひどくなっていった。
両親は、原因不明の症状に不安を感じつつも胃腸薬を飲ませた。
月曜日、母親は大貴くんを近くの病院へ。
医師は風邪からくる症状では、と診断。
食中毒が流行していれば医師も注意したが、この時は騒ぎになる前。
本当の原因は分からずじまいだった。
"命の危険を伴う『腸管出血性大腸菌』とは"
その翌日。ユッケを食べてから4日、大貴くんに血便が。
これは大変な病気に違いないと、両親はすぐに街の総合病院へ。
しかし、血液検査でも異常は見つからず原因は不明。
だがその後、内臓が雑巾のように絞られるような激痛が大貴くんを襲う。
さらにその症状は父と長男にも起こった。
母親は大貴くんを連れ、再び街の総合病院へ。
そこでようやく食中毒について医師が疑い始めるように。
今度は、検尿・検便も行い、詳しい検査を行なった。
その結果、恐ろしい原因が判明した。
大貴くんの体内から腸管出血性大腸菌が検出されたのだ。
腸管出血性大腸菌とは、人の体内で「ベロ毒素」と呼ばれる毒を出す大腸菌のことで、
主に牛の腸の中に生息し、牛の皮膚にも付着している菌。
代表的なものはO157、O111などがあげられる。
1982年、アメリカでハンバーガーの加熱不足の肉を感染源とした集団食中毒により、
世界で初めて確認された細菌。
日本では、1996年に大阪堺市の学校給食で発生したO157による集団食中毒で
大きく注目されるようになった。
O111やO157が出す「ベロ毒素」は青酸カリの5000倍と言われる毒性を持つ。
ベロ毒素は、大腸をただれさせ、血管壁を破壊するため血便や、激しい腹痛の症状が出る。
そして、この食中毒で気をつけなければならないのが溶血性尿毒症症候群を発症すること。
体内に入ったO111やO157は消化器官を通り大腸へ。
そこで増殖を始めるのだが、その時、ヒトが持つ免疫によって、菌を撃退する。
だがその菌は、死滅する際により多くの「ベロ毒素」を排出。
「ベロ毒素」は、赤血球や血小板を破壊しながら全身を巡る。
最悪の場合、急性脳症や急性腎不全といった合併症により死に至る事もある。
大貴くんの検査結果を受け、家族全員が同じ病院で検査を受けた。
すると、家族全員からも同じ型のO111が検出された。
"食中毒の原因は『ユッケ』"
久保さん一家が診断を受けた直後、病院では同じ症状を訴える患者が相次いでおり、
パニック状態になっていた。
症状を訴える人たちが、共通して注文していたのは...ユッケだった。
だが、ひとつ疑問があった。久保さんの妻はユッケを食べていなかったのに、なぜ?
それは、この菌の恐ろしい特徴によるものだった。
腸管出血性大腸菌は感染力が非常に強い事が特徴。
久保さんの妻は、ユッケを食べた箸でつつかれたサラダを食べたことで
感染したと考えられた。
そして感染被害は、富山だけではなかった。
焼肉店がチェーン展開する4県全てで食中毒が確認され
大規模な集団食中毒事件と報じられた。
その中でも久保さんの2人の息子は食中毒の症状が重く入院することに。
特に二男の大貴くんは、症状が悪くなる一方だった。
木曜日、ユッケを食べてから6日目。
最も恐れていたことが起こってしまった。
大貴くんが、溶血性尿毒症症候群を発症している事がわかったのだ。
大貴くんの場合、痛みが出始めた段階から下痢止めを服用していた。
下痢止めを飲むと、腸の運動が抑えられ、ベロ毒素が体外に排出されにくくなってしまう。
すると、毒素が体内にたまり、症状は重症化。
溶血性尿毒症症候群を引き起こす可能性が高くなってしまうのだ。
こうして症状の重かった大貴くんは集中治療室へ。
腎臓の機能が低下した大貴くんには、血液をろ過し、老廃物を排出する治療法が施された。
合併症で起こる脳症を心配した母親は、ずっと息子に語りかけた。
だが、会話を交わした数時間後、容体が急変する。
大貴くんは意識を失い、自発呼吸もできなくなった。
"生食用ではないのに『ユッケ』を販売"
大貴くんが意識を失った翌日、焼肉店は記者会見を開いた。
この時には、福井と富山でそれぞれ6歳の男児が命を落としていた。
記者会見では同じ焼き肉チェーン店のユッケが原因と見られる集団食中毒であることが
店側から発表された。
久保さんは、やり場のない怒りに打ち震えていた。
なぜユッケを食べさせてしまったのか...悔やんでも悔やみきれなかった。
そもそもO111やO157はどのようにしてユッケに混ざったのか?
実は、牛を処理する際に、細菌が肉の表面に付着してしまう場合がごく稀にある。
菌が生息する腸と食肉が接触しないよう、細心の注意を払って処理されるが、
肉に付着した菌を完全に消毒することは出来ず、ゼロにするのは難しいという。
そこで重要となるのが、流通経路での衛生管理。
食肉処理場で枝肉と内臓に分類され、卸売業者へと運ばれる。
本来、菌が生息する内臓と枝肉を違う調理道具で処理するなど、
徹底した衛生管理の元、肉を切り分けスーパーや飲食店へと送られる仕組みになっている。
さらに、肉の表面は空気に触れるため、細菌が感染しやすく
トリミングと呼ばれる肉の表面を切り落とす処理が必要となる。
しかし、この焼肉店では、
トリミングは卸業者に任せていて、店舗内ではやっていないと発表。
一方、その卸業者は保健所に対して、そもそも加熱用の肉を卸しているので
生食用の作業はしていないと報告していた。
つまり、店も卸業者もトリミングしていなかったことが発覚。
そして、えびすのユッケはそもそも生食用の肉ではないという疑惑が持ち上がった。
だが、この疑惑から信じられない事が明らかになる。
焼肉店は記者会見で生食用の肉は使用していない事を認めた。
しかし、それはこの店に限ったことではなく、
厚生労働省の統計では国内に生食用として流通する牛肉は無いと発表。
国内の焼肉店は、生食用の肉は販売していないことが判明したのだ。
世間が戸惑う中、大貴くんは意識を失ったまま5日が経過。
そして、医師からは脳死状態である事を告げられた。
ユッケを食べてから11日目のことだった。
O111、O157がどこで感染したのかは、今も明らかになっていない。
この頃には富山県と福井県で4人の死亡が確認された。
"半年後、息子は息を引き取った"
事件から1か月が経った頃、長男は回復し退院することに。
一方で脳死判定を受けてからも、二男・大貴くんの延命処置は続けられていた。
しかし脳死判定から半年が経った10月22日。
連絡を受け家族が到着した時、目にしたのは苦しむ息子の姿だった。
半年間意識のなかった大貴くんは、最後には涙を流し息を引き取った。
2011年10月、この事件がきっかけとなり、国は生食肉を規制する法律を定めた。
新しい規制では、湯煎で表面から1センチ以上を60℃で2分以上
加熱殺菌することなどが義務づけられた。
さらに、刑事罰も設けられた。
以来、各地域の保健所の許可なしではユッケを提供できないように。
当時、同じように人気だった牛のレバ刺しは、今も提供が認められていない。
事故を起こした焼肉店経営者は自己破産を申請。犠牲者への補償は絶望的になる。
被害者への補償は焼肉経営会社の保険金8600万円から治療費に応じた均等分配が
なされただけだという。
久保さんたち被害者は、焼肉店経営会社と肉卸業者に対して民事訴訟を起こし、
現在も争っている。
刑事事件としては今年5月不起訴処分に。
その理由は事件当時、原因の大腸菌は知られておらず事件を予見できなかったためだった。
久保さんは食の問題を風化させないように検察審査会への申請を決めた。
検察審査会とは、検察官が被疑者を起訴しなかった事が適切だったかどうかを審査する制度。
3日後の10月22日は亡くなった大貴くんの命日。
久保さんは、大貴くんの命日を前に、検察審査会への申し立てをすることを決意した。
人を死に至らしめる事がある恐ろしい殺人菌が、身近に存在する可能性がある事を教えてくれたこの事件。家族が誕生日を祝うために訪れた人気の焼き肉店でその菌に感染するとは、誰もが疑わなかったに違いない。
提供する側はもちろんだが、食べる側も箸を分ける、しっかり加熱するなど知識を持つ事が大切だ。家庭内においても、肉を調理する際にまな板、包丁を熱湯などで殺菌するなど
目に見えない菌を、意識する事に心がけたい。二度とこのような事件が起こらないように...。