彼女が選んだ生きる道
ドナルド・トランプやビル・ゲイツも行ったアイスバケツチャレンジ。
これは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気を支援する為に行われた。
ALSは、全身ほぼ全ての筋肉が動かなくなっていき、
発症から5年程で自発呼吸も出来なくなる難病。
そのALSを発症した1人の日本人女性がいる。
酒井ひとみさん。東京で生まれた彼女は中学時代はバレー部、高校時代は水泳部と
活発な女の子。そして美しかった。
2000年、中学時代の同級生だった健雄さんと結婚。
翌年に長女えりかちゃんを、2003年には長男そうたくんを出産。
2人の子どもに恵まれ幸せな生活を送っていたのだが、多くは60~70歳で発症すると
言われているALSに27歳で発症した。
"突然足に力が入らなくなる"
それは、2007年1月のことだった。
娘と縄跳びをして遊んでいた時のこと。運動には自信があったが何度やっても飛べない。
自分が思っていたより足が上がらなかった。
その数日後、歯科衛生士として働いていたその職場で左足のつま先に
何とも言えない違和感があり力が入らなくなることがあった。
しばらくすると突然、足の力が抜け、転びそうになる。
左足に力が入らず、脚を上げる事も難しくなっていった。
さすがに不安になり、町の整形外科に行ったが原因はわからずじまい。
症状に気づいて半年、ついには左足全体に力が入らなくなり、
階段は手すりなしでは登れなくなる程になった。
そして左脚だけが細くなっていた。
ついに仕事の休みに、東京の大学病院に向かったひとみさん。
検査入院することになり、髄液を抜いたりあらゆる検査を行った。
結果が出るまで東京の実家で過ごした。
そして検査の結果、ALSの疑いがあるという診断を受けた。
ALS・筋萎縮性側索硬化症とは、
手を使ったり、歩いたり、喋ったり、飲み込んだりといった
自分の思いで行う動作ができなくなっていく難病。
一方で、心臓や消化器のような、無意識で動く筋肉は侵されない。
原因は不明で明確な治療法もいまだ見つかっていない。
個人差はあるが、発症からおよそ5年で呼吸の補助が必要となってくる。
最終的に、呼吸の補助を受けると会話でのコミュニケーションはできなくなり、
動かしにくくなっていく身体とともに生きていくか・・
または呼吸の補助をしないか・・
この2つの選択肢しかなかった。
呼吸の補助をしない場合、命が終わってしまう。
時間とともに、動かない部分も増えていく。
ついに両足に力が入らなくなり、車いすが用意された。
動かなくなる体...この先、どれだけみんなに迷惑をかけるのだろうか?
生きる意味などあるのだろうか?葛藤する毎日。
この時点では、呼吸の補助を受け生きる事など考えられなかった。
"家族とともに生きる道を選ぶ"
そんな日々が続き、娘は保育園を卒園し小学生に。
ひとみさんも娘の様子を見届けることができた。
だがこの先、自分は子どもたちが成長していく姿を見ることはできない。
一度は死を覚悟したが、子ども達と家族とずっと生きたい...。そう思うようになった。
ALS患者が生命を維持していくためには、気管切開し呼吸を補助する以外に方法はない。
呼吸を補助するかしないかは、患者と家族の意思で決められる事になっている。
もう差し迫っていた。自分の未来を決める時が...
そんな時、夫はこう言った。
「迷惑かけてもいい。2人の子ども達の母親はひとみしかいないんだから。
ひとみには、2人の成長を見守る義務があるんだ」
そして、彼女が選んだ道。それは手術をして生きる道だった。
現在37歳となり、手術で声を失ったひとみさん。
今ではパソコン画面にあるひらがなを目で追うことなどで会話を行っている。
ひとみさんの2人の子どもも大きく成長。
長女は今年高校生、長男は中学3年になった。
子どもたちはお母さんとの会話は幼い時から自然と身についていた。
そして2人はお母さんのことを、「今の方が元気!」と言った。
夫の健雄さんは、
「不便の裏側に、コミュニケーションをとるためにお互いがすごく親身になる。
一言一言読んで理解して、妻は伝えようとする力もすごい。
それで初めて、いいものだと。それに気づくのに本当に時間がかかった」と語った。
人工呼吸器の手術を受けて5年。
自分が必要とされている事が生きる意味だと感じるというひとみさんは現在、
自らALSの協会の一員となり同じ病気の人達のために支援活動も行っている。
難病指定されているALSは40歳以下の場合、医療費の負担は月におよそ1000円。
各自治体によって障害者の支援法でヘルパーを付けられるところもある。
ひとみさんは今、毎日が楽しいと語る。
それは一度死にかけた事によって、たわいもない事に幸せを感じることができるから。
そんな彼女と家族はこれからも強く生きていく。