そば屋がそばアレルギーに
もしあなたが人生を変えるアレルギーを発症したら...
そんな人が東京・神田にいた。
竹本伸之さん。アレルギーで大きく人生が変わった。
それは彼の生活環境において、まさかのアレルギーだった。
"そば屋の一人息子が持っていたアレルギーとは"
今から20年ほど前、突然くしゃみが止まらず、病院を訪れた伸之さん。
検査の結果、そばアレルギーと診断された。
医師からは当たり前だが、そばを食べないようにという指示が。
それは伸之さんにとってとんでもない宣告。
なぜなら...実家がそば屋だったのだ!
しかも彼は一人息子。将来的に店を継がなければならない立場だった。
店は東京・神田で100年近くの歴史がある老舗のそば屋。
小さい頃からそばを食べて育ってきたが、こんな症状など出たことがなかった。
調理師専門学校を卒業後、和食の店で修行を積み、26歳で店を継ぐことを決意。
この店をもっと大きくしてみせる。そんな思いを胸に働き始めた・・・
まさに、その日に思わぬ大事件が!
父親からそばの作り方を教わっていると...様子がおかしい。
鼻がムズムズする。すると...くしゃみが止まらなくなった。
突然のことに驚き、病院に駆け込んでいたのだ。
そばアレルギーとは、そば粉に含まれるたんぱく質が原因となり、
免疫機能が過剰反応してしまう状態。
特にそばの抗原は細胞と反応しやすい性質を持つため、
少量でもアナフィラキシーショックを誘発する危険がある。
食事、呼吸、皮膚への接触、すべてのケースで反応が出る可能性が。
つまりそば屋の後継ぎにとって致命的。
一体どうしたらいいのか?
だが、子どもの頃から働く父を見て育ってきた伸之さんにとって、
そば屋以外の選択肢は考えられない。
伸之さんは、そばアレルギーとの闘いを決意した。
"そばアレルギーとの闘いの日々"
この日から命がけの闘いが始まる。
毎日身体中が粉まみれ。鼻のムズムズを必死に耐えていると、
そば粉に対するアレルギー反応でまぶたが赤く腫れるようになった。
母親は無理をしている息子を心配するものの、
伸之さんは100年続いたのれんを自分の代で絶やすわけにはいかないと、
辛い症状にも耐え、マスクに加え、ゴーグルを付けてのそば作り。
しかし、そば粉に触れる腕にもアレルギーの症状が現れ始める。
マスクにゴーグル、さらに手袋をはめての作業。
その頃、あの風習が伸之さんを苦しめた。
それは...大晦日、年越しそばの大量の注文だった。
体調を崩しながらも、この辛い時期を乗り越えた。
一方、休日になると、そば粉から解放され分かりやすいほどに体調は良くなる。
こうして長年そば粉と闘い続けた伸之さんは晴れて4代目の店主に。
息子も生まれ、一家の主としてますますやる気に。
そんな矢先、健康診断を受けた病院から一本の電話が。
この電話が伸之さんの運命を大きく変えることになる。
病院に呼ばれ、医師の話を聞くと、伸之さんは過敏性肺炎の疑いがあるという。
過敏性肺炎とは、アレルゲンの吸入により肺の中の肺胞に炎症が生じ、
発熱や咳、呼吸困難などの症状が現れる疾患。
軽い症状でも長い期間続くと、線維化という変化で肺胞が固まり、
肺ガンになるリスクも高くなってしまう。
マスクやゴーグルで完全防備したつもりだったが細かい粉はわずかな隙間から入り込み、
長い時間をかけて伸之さんの体を蝕み続けていた。
長い間アレルギーと闘ってきた伸之さんだったが、体は限界に近づいていた。
もう自分だけの問題ではない。妻や生まれたばかりの子どもを守らなければならない。
そして、2016年6月24日。
無念な思いを噛みしめ、113年の歴史に幕をおろした。
現在、伸之さんは体のためそば屋としての現役は退いたが、
全国の「満留賀」の組合員として日本のそばを守っているという。