放送内容

2017年3月29日 ON AIR

北朝鮮日本人拉致の真相

先月、世界を震撼させる事件が起こった。
北朝鮮の金正恩委員長の異母兄弟に当たる金正男氏が殺害された。


彼はマレーシアの空港にいたところ、女2人に抱きつかれ、暗殺された。
使われたのは、猛毒の神経剤VX。
マレーシア警察は、北朝鮮国籍の4人を国際手配したほか、
クアラルンプールにある大使館勤務の二等書記官らが関与したとみている。


犯人は...北朝鮮の工作員なのか?
工作員の仕業だとすれば...あの悪夢が蘇る。
それは...日本人拉致。


かつて北朝鮮の工作員によって何人もの日本人が拉致された。
その手口が明らかになっている。


"日本国内での拉致の手口とは"


1980年4月、宮崎県日向市。夜、ゴムボートに乗った男が日本に上陸した。
男の名は...シンガンス。北朝鮮の工作員。
男は静岡で生まれた在日朝鮮人。その後、工作員となり、日本に密入国してきた。


今回の任務は日本人の拉致だった。
対象者の条件は45歳から50歳くらい。独身者で身寄りのない者。
前科がなく、パスポートの申請をしたことがない者。


日本に潜入したシンガンスは工作員用語でいう「土台」にまず連絡を取った。
土台とは日本で工作活動をするための協力者のこと。
土台は潜伏先を用意したり、活動資金を調達したりとその役割は様々。


次にシンガンスは朝鮮総連の幹部と会った。
そして、北朝鮮にいるその幹部の息子の写真を見せ、
有無を言わさぬ形で、拉致する日本人を探す手伝いをさせた。


そして選ばれてしまったのが中華料理店でコックをしていた原敕晁さん。
原さんは在日朝鮮人がオーナーの中華料理店に勤めていた。


前科もなく、独身。拉致のターゲットとして求めている条件に合致していた。
シンガンスはすぐに国際電報を使って本国に報告。
当時、北朝鮮は工作員とのやりとりに、日本で誰でも聴くことができたラジオ放送を
使っていた。


午前0時に放送されていた「平壌放送」。


「445電文をお送りします。87993・・」


とラジオから流れてくる数字は暗号解読用の書籍や乱数表によって指令の文章に変わる。
乱数表には口に入れると溶けたり、火をつけると瞬時に燃え尽きる紙が使われていた。
ラジオ放送で、原さん拉致の指令が下された。


場所は宮崎県の青島。
まずは大阪にいる原さんを宮崎におびき寄せるため梅田の高級料亭に呼び出した。
その時は原さんに新しい仕事を紹介する、と偽った。


朝鮮総連の幹部が社長役、そしてシンガンスが専務役、土台の男が常務役だった。
偽りの面接が始まると、緊張する原さんに無理矢理酒を飲ませ続けた。


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そして酔いつぶれた頃を見計らって、原さんに今から宮崎県へ行こうと誘った。


そのまま電車に乗り、原さんたちは宮崎市の海岸沿いにあるホテルに着いた。
ここでも原さんは泥酔していた。
宮崎についてからも無理矢理、酒を飲まされたのだ。


午後8時ごろ、シンガンスたちも合流。
そして...夜風が気持ちいいなどと言い、外に散歩へ行こうと誘った。
その時すでに海岸にはゴムボートが置かれていた。


シンガンスは社長の別荘へ向かうボートだと言い、原さんを乗せた。
言われるがままボートに乗ってしまった原さん。これで拉致の指令は完了した。
その後、北朝鮮は原さんの死亡を発表している。


"北朝鮮が日本人を拉致する理由とは"


それにしても、なぜ北朝鮮はこんなことをしているのか?
日本人拉致。全てはこの事件から始まったとされる。


1974年8月15日。韓国では独立記念日の式典が行われていた。
ステージに立っていたのは、パク・クネ前韓国大統領の父親で当時の大統領だった朴正煕。


その時だった。
朴大統領に向けて放たれた銃弾は隣にいた夫人の命を奪った。
その場で逮捕されたのは日本人のパスポートを持った文世光という男だった。
韓国は事件を北朝鮮と日本の朝鮮総連によるものだと発表。


しかし、日本はその事実を掴めないと朝鮮総連を追求しなかった。
その対応に韓国では反日デモが相次いだ。国民の怒りの矛先は日本に向けられた。


この時、北朝鮮の工作活動担当のトップは、あの金正日。
彼は日本人のパスポートを持てば韓国での工作活動が容易にできる、と学んだという。
そう、日本人拉致は日本人になりすます事が目的の一つだった。


その後、シンガンスは4年半もの間、原敕晁として日本で生活していた。
そして韓国に潜入した際、逮捕され無期懲役に。
裁判でその工作活動が明らかとなったのだ。


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日本人拉致。その目的はなりすましだけではない。
1987年、大韓航空機爆破事件を実行した、北朝鮮の工作員・金賢姫はカメラの前で驚くべき事実を語った。


「私が日本教育を受けたリ・ウネという女性は日本からきた日本人女性です。」


そのリ・ウネという女性は東京で拉致された田口八重子さんとみられている。
北朝鮮の工作員に、日本の歌謡曲や文化や化粧の仕方や言葉遣いなどを教えていたという。


こうして何人もの日本人が拉致されていったのだ。


"日本国外で日本人を狙う手口とは"


さらには日本人による日本人拉致も行われていた。
それが発覚したのは、1988年9月6日。


その当時、5年前から消息が分からなくなっていた有本恵子さん。
ある日、実家に電話がかかってきた。
母親が電話に出ると、衝撃の情報が寄せられた。


電話は同じく息子が行方不明となっていた石岡と言う女性からだった。
彼女が言うには自分の息子から手紙が届き、そこには有本さんと一緒に
平壌にいると書いてあったという。


驚いた母。なぜ娘が平壌にいるのか?
1通の手紙からやがて衝撃的な事実が浮かび上がっていく。
実行犯は...なんと日本人。北朝鮮の社会主義を信じ、忠誠を誓った女性だった。


当時、北朝鮮は「地上の楽園」と謳われ皆が平等に豊かで幸せな生活を送っていると
日本人にも信じられていた。
日本と国交がない未知の国にあこがれを抱き、北朝鮮に渡った若者がいる。
実行犯の女もその内の一人だった。


1983年、実行犯の女性は、日本人拉致のためロンドンへ。
語学学校でターゲットを探している中、有本恵子さんと出会った。


彼女は有本さんを自宅に何度も招き、親密に。
海外に残りたい、という希望をもらす有本さんに、
貿易の仕事があるから一緒にやろう、と嘘の言葉で巧みにだまし、
北朝鮮に送り込んだという。


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あれから34年、有本さんは帰ってきていない。


有本さんの母に突如もたらされた情報。
消息が分からなかった娘のことが書かれた手紙の消印はポーランドだった。
監視の目をくぐり抜け、必死の思いで外国人観光客に託したと思われるその手紙には
石岡さん、有本恵子さんらの無事が記されていた。


そして、赤ちゃんの写真も。石岡さんと有本さんの間に生まれた子どもだという。
当時は、拉致があったことなど誰も知らず、政府は彼らを救い出す事ができなかった。


2002年、5人が帰国したものの、残る被害者はいまだ帰国できないまま。
兵庫県神戸市の有本恵子さんの実家では両親が娘の帰国を信じて待ち続けている。
北朝鮮によって拉致された家族を取り戻したい。残された家族は今も声を上げ続けている。絶対に解決しなければならない。

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