病名が分からない苦しみと闘った女性
人気声優、松来未祐さん。
未祐さんは「ひだまりスケッチ」など数々の人気アニメに出演。
36歳の誕生日、彼女は熱狂的なファンに囲まれ、元気にステージで歌っていた。
そんな彼女が病に倒れた。原因は日本人成人の9割以上が感染しているというウイルス。
病と闘った彼女の壮絶なストーリーとは!?
" 原因不明の体調不良が彼女を襲う"
2013年9月、オリジナルアルバムを発売した未祐さんは、
告知番組の出演やサイン会、握手会で超多忙な毎日を送っていた。
そんな時...体のだるさを感じた。
熱を測ると、39度近くもあった。
翌朝。熱は37度台に下がった。
しかしその日の夜、また熱は39度近くに。
そして朝になると、37度台に下がる。
持病の副鼻腔炎があったので、耳鼻科に行ってみたが特に問題は見当たらない。
1週間ほどすると、症状はなくなった。
しかし年が明けると、また同じ症状が...。
いくつか病院を回ったが、原因はわからない。
そんな未祐さんに次なる症状が現れた。声が突然出なくなってしまったのだ。
幸い数日で元に戻ったが、2015年の正月、広島に帰省した時の事。
首のリンパ節が腫れていた。
痛みは感じなかったが、しこりが大きくなったので、
東京で血液検査、エコー検査を受けた。
そして抗生物質が処方され、感染症か見極めるためMRI検査が行われた。
しこりに針を刺し病理検査もした。
悪性リンパ腫の可能性もあると医者から伝えられた未祐さん。
不安な胸の内を話したのは、レコーディングエンジニアをしている、
友人の篠原麻梨さんだった。
麻梨さんは2人で食事をしながら相談を聞き、未祐さんを励ました。
食欲があることは、本人にとっても安心材料だった。
しこりの病理検査の結果は麻梨さんにもついてきてもらい、2人で聞いた。
検査の結果は、リンパ腫ではないとの事。
安心した未祐さんだったが、実はこの時、未祐さんの体を蝕んでいたのは、
発症し、発見が遅れると、死の危険もある疾患だった。
" 慢性活動性EBウイルス感染症の恐ろしさとは"
慢性活動性EBウイルス感染症。略してCAEBV。
EBウイルスはごくありふれたウイルス。
日本人成人の何と9割以上がこのウイルスに感染している。
リンパ球の主な種類は、T細胞、B細胞、NK細胞の3つ。
EBウイルスは、ヒトに感染すると、B細胞の中に、生涯にわたって潜む。
これを潜伏感染と呼ぶが、この状態では、通常は病気の原因にはならない。
だが、T細胞またはNK細胞に感染すると、感染した細胞の性質が変わってしまう。
勝手に増えたり、活性化することで、熱や炎症反応を引き起こす。
これが「慢性活動性EBウイルス感染症」という病気なのだ。
発熱が続き、血管や肝臓、皮膚など体のあちこちで炎症が起きる。
進行すれば白血病や悪性リンパ腫になってしまい、死に至ることもある。
医師の間でも認知度は低く、この病に焦点をあてた特別な検査をしなければ発見できない。
ゆっくり進行する人もいれば非常に進行が早く、治療が難しい場合もある。
治療法は白血病と同じ骨髄移植などがあるが、それは病気が判明すればの話。
未祐さんは、発症から1年数か月が経っていたが、
どの医師も、EBウイルスが原因だとわからなかった。
夜になると高熱が続くが、肝機能が低下し薬を処方してもらえない。
水分を取って栄養剤を飲むしかなかった。
顔がむくんでパンパンに...隠すことはできず、
未祐さんは異変を所属事務所に報告した。
「迷惑はかけないから、仕事は変わらず続けたい」そう告げた末祐さん。
皮肉にも、未祐さんの人気は高まる一方。レギュラーの仕事も増えていた。
だが、体調は悪くなるばかり。また別の病院で検査を受けた。
するとその病院で血液検査を薦められた。
紹介された血液内科でCTスキャン、PET検査、血液検査を受けた。
そして、ようやくEBウイルスにいきついた。
専門の医師がいる病院を紹介してもらい診察を受けることに。
その頃、未祐さんの体に湿疹が出るようになった。
さらに、扁桃腺が腫れてきた。不安と痛み、痒みで眠れない。
そして、医師から病名が告げられる。「慢性活動性EBウイルス感染症」。
発症してからおよそ1年半、ようやく原因がわかったのだ。
医師も知らないほどの稀な病。ネットで調べても詳しい情報は得られなかった。
未祐さんが病気のことを打ち明けたのはほんの数人だけ。極力隠して仕事を続けた。
" 治療法はドナーからの移植のみ"
2015年6月。
未祐さんはせきが止まらず呼吸ができなくなった。
救急車で病院に搬送された。
翌朝。
母親が広島から駆けつけた。
レントゲンを撮ると、肺が真っ白で、機能が低下していた。
危険な状態。医者によると命を落としてもおかしくなかったという。
母は娘の病気について初めて知らされた。
その後、未祐さんは持ち直し、個室に移ることができた。
見舞いに来る多くの声優仲間。誰もが復帰を待ち望んだ。
だが、未祐さんの肺からEBウイルスに感染したT細胞がたくさん見つかった。
慢性活動性EBウイルス感染症のかなり進んだ状態だった。
医師によると、今の医学では造血幹細胞移植だけがこの病気を治すことができる
唯一の治療法だという。
造血幹細胞移植とは、健康な人から骨髄液、血液、臍帯血など、
血液のもととなる細胞「造血幹細胞」を含んだ液を取り出し点滴で投与する、
白血病治療でよく知られている方法。
白血球の型のHLA型が一致しなければならない。
HLAの型が合う確率は、兄弟なら4分の1。
すぐに広島にいる未祐さんの兄の型が調べられた。
病気を抑え、さらに骨髄移植にそなえるため抗ガン剤とステロイドの投薬が始まった。
免疫力が低下し、口の中がただれ柔らかいものやスープしか食べられない。
母が病院から帰り、一人になると怖くてたまらなかった。
その気持ちは、広島にいる父にメールでぶつけた。
死にたくない...父も娘が少しでも元気になればと、必死で励ましのメールを送り続けた。
自分を奮い立たせるため、ファンには必ず戻ってくると宣言。
だが...兄のHLAの型は一致しなかった。
骨髄バンクに登録しているドナーの中から合う人を探すことに。
すると完全に一致しているドナーが3人見つかった。
骨髄移植しか、未祐さんが生きる道はない。
未祐さんを少しでも勇気づけようと友人の麻梨さんが考えたのが
この病気を克服した人を見つけて話を聞くことだった。
その人物は未祐さんの病院まで駆けつけてくれた。
こうして出会った男性は、プロスノーボーダーの荒井daze善正さん。
2006年、慢性活動性EBウイルス感染症と診断され、
2008年にドナーが見つかり骨髄移植を受けた。
スノーボードがやりたい、と病気に打ち勝ち、
わずか5か月後には雪山に立ち、現在もプロスノーボーダーとして活躍している。
そんな善正さんから3時間も話を聞いた。
いつしか未祐さんは笑顔になり、最後には前向きな気持ちになれた。
その夜は、ぐっすり眠ることができた。
それから未祐さんは、食欲も出て歩き回れるほど元気になった!
" 病と闘い続けた未祐さんが残したもの"
病気の恐怖に耐えながらも前向きに頑張る未祐さんは、
9月14日、38歳の誕生日を迎え、大勢の友人が集まりホテルで祝った。
希望が見えてきたかに感じた。
しかし、数日後の検査で、病が全身に広がっている事が判明した。
急激に悪化するのがこの病気の特徴だという。
悪性リンパ腫の最終ステージだと宣告された。
さらに、腫瘍細胞が髄液に入りこみ、脳に腫瘍を作って
くも膜下出血を起こし緊急手術を受けた。
家族のほか、1日に20人もの友人が駆けつけ意識が朦朧とする未祐さんに声をかけた。
それから間もなく、父は珍しくスーツ姿で病室へやってきた。
実は、声優として働き始めてから毎年、未祐さんは父の誕生日に
ネクタイをプレゼントしていたのだ。
父は娘にネクタイ姿を見せ、再び誕生日にネクタイを買ってほしいと伝えた。
必死に病気と闘う娘に出来る精一杯の父の励まし。未祐さんは小さくうなずいた。
翌10月27日、松来未祐さん永眠。38歳だった。
医師にも認知度が低い慢性活動性EBウイルス感染症。
この病を疑って検査をしなければ、発見することは難しい。
未祐さんの死後、友人たちはこの病を知って欲しいと啓発イベントを行った。
一人でも多くの人が早い診断を受け、治療できることを松来未祐さんはきっと望んでいる。
松来さんのご遺族は、この病が難病に指定されるよう活動を続けている。