史上最低最悪の男達に殺された娘
『闇の職業安定所』。
このサイトは詐欺、強盗、窃盗、薬物販売などあらゆる闇の仕事仲間を求め合う掲示板。
それはネット社会が作り出した最悪のサイトだった。
2007年8月。そこに一通の書き込みがあった。
その呼びかけに、2人の男が加わり獲物を狙った。
狙われた女性は幼い頃に父を亡くし、母と2人支え合いながら30年生きてきた。
母と娘の幸せはどう奪われ、壊されてしまったのか?
"仕事も恋も順風満帆だった"
1976年7月。
父・磯谷末吉、母・富美子にとって待望の子どもは利恵と名付けられた。
しかし娘が2歳になる前に父・末吉が急性骨髄性白血病のため、31歳の若さで他界。
夫を失った悲しみ、娘を1人で育てていくという不安の中、
富美子さんにとって利恵さんは小さな太陽。
自分の命に代えても守りたい唯一の宝だった。
母の心配をよそに利恵さんはしっかり育っていった、
中学に入ると3年間、弁当は自分で作った。
高校・大学を終え、仕事を始めてからはとにかく真面目に働いた。
他の年頃の女性達のようにファッションや流行などにお金をかけることはしなかった。
弁当と自宅から通うことでとにかく節約。
この頃から利恵さんは新たな夢に向かってコツコツお金を貯め始めていた。
そして30歳になった頃、利恵さんにはもう一つ趣味が。
それは囲碁。知り合いの紹介で地元の囲碁カフェに頻繁に通うようになった。
そこで1人の青年と出会う。
4つ年下の数学博士を目指す名古屋大学の大学院生だった。
初々しい恋は始まった。
2007年。全国的に記録的猛暑となったこの夏、
名古屋城の宵まつりで彼が撮った浴衣姿の利恵さん。
この写真が最後の1枚になるとは誰も知る由もなかった。
"闇の中で3人の男たちが出会う"
この頃、1通の書き込みがサイト上に流れた。
その提示版は「闇の職業安定所」。
『刑務所を出て、派遣会社で働いていますが、実にばかばかしい。
愛知県の人で何か組みませんか?』
「山下」という偽名で書き込んだのは川岸健治という男。
派遣会社を辞めたばかり。家もなく、車の中で生活していた。
そして反応はすぐにあった。
「田中」という偽名で書き込みに反応したのは堀慶末という男。
岐阜生まれの元左官職人で、女に小遣いを貰う生活で無職。
複数の金融業者から厳しい取り立てにあっていた。
もう一人反応した男がいた。名前は神田司。
群馬県出身の男は本名を名乗っていた。
新聞勧誘員として働いていたが、勤務態度は良くはなく金に困っていた。
「今すぐ金が欲しい」。
見ず知らずの3人が、ただひとつの共通点でつながっていく。
2007年8月21日...3人の男が初めて顔を合わせた。
まず、それぞれの経歴を語りあった。
どれだけ悪い事をやって来たか...ある意味、武勇伝自慢の応酬。
後に神田は警察の調べで、それぞれがハッタリのかまし合いだったと振り返っている。
そして計画へ...誰かを襲って金を奪おうと3人は考えた。
ハッタリをかまし、見栄を張るうちに強盗殺人も当たり前だろうと話は転げ落ちていった。
その頃、利恵さんと彼は毎日のように会い、思いを深めていった
ふと私より長生きしてほしいと彼に伝えた利恵さん。
その言葉で彼は結婚を強く意識したという。
2人には日課があった。
夜、駅から自宅までの帰り道、彼に電話する。こうして1日を締めくくる。
携帯電話の無い彼に、今日も無事帰れたことを報告。
彼が不在の時には留守番電話にメッセージを入れた。
そして8月24日。事件当日。
利恵さんはこの日有給休暇を消化するため、午後からの出勤だった。
元気よく家を出る利恵さん。
それが母、富美子さんが見た娘の最後の姿となった。
"抵抗もむなしく殺害された娘"
一方あの3人は焦っていた。
顔をあわせてから3日間、金持ちの襲撃や空き巣など、場当たり的な犯行計画は
ことごとくうまくいかなかった。
そこで3人は抵抗できない若い女性を襲い、キャッシュカードの暗証番号を言わせて
貯金を引き出す計画を考えた。
どんな女性が狙い目か神田が中心となり計画は具体的になっていく。
夜7時、3人は名古屋市内でさまよい始めた。
闇の中で動き出した3人の男達。通行人や対向車が多く中々、実行に移せなかった。
その頃...派遣先が変わることになっていた利恵さんは仕事終わりでささやかな送別会。
楽しい時間が鬼畜たちの待ち伏せるタイミングに近づいていく。
自宅には翌日のゴルフ会に一緒に参加する母・富美子さんの姉が泊まりにきていた。
利恵さんは駅から家路を急ぐ。
しかしこの日、日課だった彼への電話を何故かかけなかった。
偶然通りがかった利恵さんに狙いを定め男たちが忍び寄る。
それは利恵さんの自宅まであと100mという所だった。
3人の男に襲われて車に乗せられてしまった。
利恵さんを乗せた車は幹線道路を避け、名古屋市内を西へ。
1時間ほど走り、車は拉致現場から30km離れた人気のないレストランの駐車場へ。
堀は利恵さんの財布の中にあったキャッシュカードを取り出し、4ケタの暗証番号を聞いた。
しかし利恵さんは暗証番号を明かさなかった。それは大事なお金だったから。
すると神田が5分だけ待つと伝えた。
言わないと殺される...恐ろしいカウントダウンが始まった。
利恵さんはしばらく抵抗したがついに4ケタの数字を伝えてしまった。
その後、頭からレジ袋をかぶせられた後、ハンマーで何度も殴られて無惨に殺された。
そして、遺体は岐阜県の山中に埋められた。
"希望の光を失った母...娘の言葉で行動を起こす"
その日の朝、利恵さんの彼氏は嫌な夢で起きた。
昨日、なぜ彼女は電話をくれなかったのか?
慌てて利恵さんにメールを送る。
しかしそのメールに気付いたのは利恵さんではなく、殺人に手を染めた男たちだった。
もちろん返信などするわけはない。
一方、母の富美子さんは利恵さんの異変など知る由もなかった。
無断外泊などしたことがない娘。疑問に思ったが、娘を信用していた母は
姉と一緒にゴルフ会に出かけてしまった。
一方、利恵さんを襲った3人は、金がおろせる時間まで持ち物を細かく調べた。
残高はなんと800万円以上。喜ぶ男たち。
しかしこのお金は利恵さんがある強い思いで貯めたお金だった。
銀行が開き、川岸がATMに向かった。まず1日で引き出せる限度額の50万。
殺害する前に言わせた暗証番号を入力する。しかしその番号は違った。
利恵さんの誕生日に関係する4ケタも入れてみたが合わない。
暗記番号が違う限り諦めるしかなかった。
ひとまず利恵さんの財布にあった現金6万2000円を2万円ほどずつ分け合い、
神田は再度、女性を拉致しての犯行を提案した。
他の2人も了承した。更に殺すことも覚悟の約束だった。
次なる犯行を約束し、一旦、解散。
ところが、次の犯行を提案した川岸は意外な行動に出る。
自ら愛知県警に通報し、自首。それは刑が軽くなると思っての行動だった。
川岸が岐阜山中の遺棄現場を案内したことで、利恵さんの遺体は発見された。
さらに川岸の自白により、その日のうちに神田は自宅で、堀は交際女性の自宅で逮捕された。
母の富美子さんが変わり果てた利恵さんと対面できたのは翌日の事だった。
悔しさと怒りの告別式。利恵さんは多くの友達や親戚に囲まれて送り出された。
一人娘を失い、一人ぼっちになった母。
夢も希望も愛も未来も、すべてが一晩のうちに奪われてしまった。
遺品に触れることができずにいる富美子さんに姉の美穂子さんが、
利恵さんのブログや日記を読んでくれた。
そこから垣間見える自分の知らない利恵さんの一面。
『悲しむよりも、楽しかった思い出を大事にしていつまでも忘れないでいよう。』
日記の一文ではあったが、富美子さんは自分への言葉の様に感じた。
事件から僅か20日後、母は行動を起こした。
"暗証番号は娘の無念を表すメッセージだった"
母が起こした行動。それは...犯人3人の極刑を求める署名活動。
1人の殺害なら死刑はないことを基準としてきたこの国の裁判を変える。
それが富美子さんの信念だった。
これまで避けてきた事実とも向き合った。それは利恵さんの殺害に至るまでの状況。
3人は到底人間とは思えない残虐な方法で愛する娘を殺害した。
絶望の中でも娘は生きる道を探り、犯人達を説得しようとしていた。
そんな娘のある強い決意を交際相手だった彼氏からも聞いた。
それが800万円以上の貯金だった。
母に幸せになって欲しい、家を建ててあげたい。利恵さんはその一心でお金を貯めていた。
ひたすら働き、遊ぶこともせず800万もの貯金をし、それを命に変えても守ったのだ。
そして、命の危険が迫る中、利恵さんが口にしたウソの暗証番号「2960」。
彼はこの番号が利恵さんの残したメッセージだと確信した。
なぜなら...彼は利恵さんが4ケタの数字のごろ合わせが好きな事を知っていたから。
「5920」はゴクツマ、つまり"極道の妻たち"と言うように。
「2960」その意味とは「に・く・む・わ」。
憎むわ。利恵さんはそう訴えたかったに違いない。
事件から一年、初公判が開かれることになった。
母を後押しする署名は28万5000人分に達していた。
名古屋地裁には長蛇の列。
娘を殺した3人が目の前にいる。
3人のうち、反省の色が見えない神田と川岸に対し堀だけはいつも礼儀正しい様子で
振る舞っていた。
そして唯一、堀だけが詫び状を書いていたが富美子さんは受け取りを拒否した。
そして2009年3月18日、判決の日。
裁判長から下されたのは神田と堀の死刑と、川岸の無期懲役という判決だった。
異例のことだった。名古屋地裁は、殺害状況の残虐さ、遺族の処罰感情を重視し、
2人に死刑という判断。
一方、川岸には自首した点を考慮し、無期懲役とした。
"娘の死を無駄にしない...現在も戦い続ける"
富美子さんには悔しさが残った。
川岸は元々闇サイトで話を持ちかけた張本人。
だが自首したということで自分だけが助かる...それはどう考えても納得いかなかった。
川岸の無期懲役には検察側が控訴した。
堀と神田は死刑を不服として控訴。
しかし1か月後、神田は控訴を取り下げ、死刑が確定した。
時が経っても悲しみは癒えない。他の母親達のように幸せを感じることはもうない。
自分も娘と一緒に殺されたのだと感じた。
そんな頃...富美子さんは新居を購入することを決めた。
思い出が詰まった団地を出て、利恵さんの残した貯金で新築マンションを買ったのだ。
娘もそれを望んでいる。そのために命に代えても守ったお金なのだから。
2011年4月、第二審判決。
何と堀は一審での死刑判決は破棄され、無期懲役に減刑された。
そして検察は上告。判断は最高裁に委ねられた。
そして2012年7月。最高裁の判決が下った。
二審判決を「誤りはない」と支持した。
殺された人数によって刑を決める、その基準にのっとり、
堀、川岸両被告の無期懲役は確定した。
しかし、最高裁判決からわずか20日後、
堀は14年間も未解決だった別の2件の強盗事件の容疑者として逮捕された。
利恵さんの事件で採取された堀のDNAが14年前の強盗殺人事件に残されていた
DNAと酷似していたため、堀の犯行が疑われたのだ。
2015年12月、名古屋地裁は前の2つの事件に対し、堀に死刑判決を下した。
2審も死刑判決が下り、現在上告中となっている。
そして現在...富美子さんは今も全国各地で活動を続け、司法を変えるべく
その思いを伝えている。
3人の男たちによってかけがえのない娘を失うことになった富美子さん。
今でも名古屋市内に住む富美子さんは時々、利恵さんと暮らした団地のある街を訪れている。
事件から間も無く10年。
利恵さんは今も母、富美子さんの中で生き続けている。