しずちゃん、五輪への挑戦
2015年10月。
この日、ボクサー山崎静代の競技人生が幕を閉じた。
そこには、あるトレーナーとの強い絆の物語があった。
"運命の出会い...ボクシングにのめり込む"
2006年の大ヒット映画「フラガール」で女優デビューした
南海キャンディーズしずちゃん。
そんな彼女は2008年女子ボクシングをテーマにした、
NHKドラマの主演オファーを受ける。
その際にボクシングの指導を担当したのが、ボクシングトレーナー梅津正彦さん。
梅津さんは北野武監督作品「キッズ・リターン」や「あしたのジョー」などの映画で
ボクシングの演技指導を行ってきた名トレーナー。
そんな梅津さんの指導も手伝い、練習は楽しくて仕方なかった。
しずちゃんはドラマを撮り終えた後もジムに通い練習を続けた。
そんなある日。
梅津トレーナーから練習だけでなく試合をしてみないかと言われたしずちゃん。
2009年2月にアマチュア女子ボクシングC級ライセンスを獲得。
しずちゃんはヘビー級という、日本人ではあまりライバルのいないクラスだった。
すると、わずか半年後。
なんと自分がオリンピック候補になったという記事を目にしたしずちゃん。
もちろん本人は寝耳に水の記事だった。
実はこれ、2012年に行われるロンドンオリンピックから
女子ボクシングが正式種目になることが決まったことを伝える記事だった。
重いクラスで戦うしずちゃんを面白がって記事にしたのだが
この記事を見た時、運命のようなものを感じたという。
記事を現実にする!
その日から、ロンドンオリンピックに向けた本気の取組みが始まった。
"病と闘うトレーナーと共に五輪挑戦の日々!"
しかし、オリンピックはそんなに甘いものではない。
スパーリングで打たれ続けた顔は腫れ...呼吸困難に陥り、病院に運び込まれたことも。
そこまで彼女をボクシングにかりたてた理由。それは自信がほしかったからだという。
結成2年で売れた南海キャンディーズ。
テレビ、映画、CMと華々しい芸能活動だったが、
しずちゃんは自分の実力に不安を感じていた。
だから、オリンピックに出られれば、自信が手に入るんじゃないか。
そんなある日。
突然、梅津トレーナーから自身がガンに侵されている事を告げられた。
梅津トレーナーが侵されたガンは、メラノーマという皮膚ガンの一種。
転移率が非常に高く皮膚ガンの中で最も死の危険度が高い。
しかし梅津さんは治療を受けながらトレーナーを続けた。
しずちゃんとオリンピックの夢をかなえるために。
ぜったい梅津さんとオリンピックへ行く!!思いは一層強くなった。
そして2012年5月。
中国、秦皇島で行われたロンドンオリンピック予選を兼ねた世界選手権大会。
この大会で2回勝てば、オリンピックへの道が開ける。
ガンで体力的にもキツかったはずの梅津さんもそこにいた。
初日の相手はウズベキスタンの選手。激戦の末レフェリーストップにより勝利!
梅津さんと二人三脚で歩んできた道。二人でつかんだ世界大会初勝利だった。
しかし翌日、ドイツ選手に敗退。ロンドンオリンピックへの挑戦は終わった。
"トレーナーとの別れ。しずちゃんの挑戦は続く"
その1年後。2013年7月23日。
梅津トレーナーは44歳の若さで息を引き取った。
梅津さんが亡くなった後も、しずちゃんは次のリオオリンピックに向けて練習を再開。
パートナーを失い、何度も折れそうになった心を何度も立て直し頑張った!
その後...リオ出場のチャンスが無くなり引退を決断。
しかし、梅津トレーナーとの日々はしずちゃんの人生にとって大きな財産となった。